第百四十話 二水の町の館にて でござる その二
その後、放火のあった当日の話を聞きながら、燃えた館の状態を確認する為に各所を案内して貰う事にした。
責任者の男は、歩き始めるとすぐに順序立てて当日の事を説明をし始めた。
先日もざっくりとは聞いた事ではあったが、まずは当日館の門番や見廻りの者らはサボっていなかった事を再度説明された。何もない夜の筈だったので、特別厳戒だった訳ではなかったそうだが、通常通りの任務はこなしていたとの事だった。
少なくとも彼の弁明を聞いている限りでは、本当に怠業が原因ではないように聞こえた。彼は我々の力及ばず申し訳ありませんと謝っていたが、本当に力及ばずといった感じだった。
そして現在だが、襲った者の正体も、襲われた理由も、突かれた警備上の穴も、未だ何も判明していないらしい。襲った者たちがどうやって逃亡したかすらも不明と、責任者の男はかなり言い難そうに口ごもりながらも、正直にそう語った。
こちらが姿を見る事ができた者の数が十名程度で、それらが用意されていたと思われる馬で逃げた。何かを奪われた形跡はない。その者たちは皆『巽門』の方へと逃げていった――――。
分かっている事は、それだけとの事だった。確かに肝心な事は何も分かっていない。
何もしない訳にはいかないから現在警戒態勢の強化はしているそうだが、正直何をどう警戒したらよいのかがまったく分からないでいると、非常に悔しそうに語る男の姿が印象的だった。一応警戒している格好はしているが、適切な対応ができている状態ではない――それはつまり、館襲撃前となんら変わらない状態であるという事である。
その意味するところは、ここは今も危険な状態だという事に他ならない。
有効な対策が何も打てていないというのは少々考えものではあった。しかし、それを正直に報告してきたのは評価できた。下手に隠されて、易々と再度の襲撃を許すような事態にでもなったら目も当てられないからだ。
とはいえ、彼の悔しそうな表情で、その報告がどういう意味を持つのかを彼自身理解している事が分かったから、俺はその報告に関しては「そうか」とだけ答えるに止めて聞き流す事にした。
やはり、この件も放置は出来ないなとは思ったが。
とりあえず彼の話の中で特に俺が気になったのは、巽門方面へと逃げた筈の賊の件だった。
忽然とその姿を消したらしい。巽門へと逃げた筈の賊が、巽門で門の守備兵と交戦していないとの事だったのだ。それどころか巽門に姿を現していないというのである。
そんな馬鹿な。幽霊じゃあるまいし。
そう思わずにはいられなかったが、聞き直しても内容が変わる事はなかった。
その他にも細々とした報告を受けながら、俺たちはどこかに腰を落ち着ける事もなく、火を付けられた現場を次々と廻っていった。何せ見る場所の数が多かった。グズグズしていられないのである。
館外周、縁の下、納屋、厩、厨、蔵、廊下など――――。
次々と場所を変えながら検分していく。
激しく燃えている場所もあれば、少し焼け焦げているだけの場所もあった。源太が行商人から聞いた話では結構激しく燃えていたとの事だったが、全体的にはボヤ程度の箇所の方が多かったのではないだろうか。
また、館の内側から燃やされている場所は一つもなかった。館内は綺麗なものだったのだ。その事にはすぐに気がついた。全部建物の外からだった。ただそれでも、一部の梁や桁が炭になってはいた。
それにしても……。
と、火をかけられた蔵の壁を見ながら考える。
現場を廻れば廻るほどに違和感が膨らんでくる。どうにも気持ち悪い。なぜだ? 一体俺は何に引っかかっているんだ?
自然と眉根に皺が寄った。それを揉みほぐすと、俺はこめかみの辺りを軽く握った拳でトントンと叩いた。
そんな様子を源太はじっと見守っていたし、案内してくれているここの責任者の男は、少し怯えながら俺の顔色を窺っていた。二人の様子に俺は気がついていたが、それを気遣う余裕はなかった。
まずは、これだろう。この違和感の正体をはっきりさせないといけない。ここまで気持ち悪いという事は、絶対何かが変なんだ。何だ? 何が変なんだ?
俺は必死で考える。
目の前には土壁。ところどころ崩れかけていて、上の方は煤でかなり汚れている。足下近辺は燃え方が激しい。上の煤と合わせて推察するに、多分油でも使ったんだろう。場所は館の裏玄関――――。
チッ。わからねーっ。
段々と自分自身に苛立ってくる。使えん脳みそだと、心が自分の頭を罵倒し始める。
それでも結局、自分が何に違和感を覚えているのかが分からなかった。
必死で考えても分からなくて、でも諦める訳にもいかなくて……。息苦しさを感じ始める。
だがそんな時、俺の様子を見ていた源太が言った。おそらくは俺の気を紛らわす為だけに。
「それにしても酷い有様ですな。まるで適当に火を付けてまわったかのようです。いやはや、これは参りましたな。はっはっはっ」
源太は高笑いをした。
だが俺は笑えなかった。
いらだったとか、そういう事ではない。まさにそれだ、と気づいたからだ。雲間から差した光のごとく、源太の言葉に俺の曇った心は穴を開けられた。
『まるで適当に火を付けてまわった』
軍の人間がか? 軍事行動で、そんな事があり得るのか? いや、ない。ある訳ない。そんな無計画な軍事行動などあってたまるか。
一番の容疑者は、継直や金崎のところの人間だった。絶対とは言わないまでも、状況的に考えて、まずそうだろうと思っていた。そこが落とし穴だったんだ。自分で伝七郎たちに言ったように、他の可能性だってあったのだ。
塩止めの件もあって、この件も奴らがやったと疑っていた。だから、その線だけで思考が固まってしまっていたのだ。注意はしていたつもりだが、予断をしてしまったのである。
これは素人がやったんだ。
館を燃やそうとしたのは分かる。が、何を狙って館を燃やしたのかが分からないやり方――――。
某かの計画の為、兵舎を兼ねる館を狙った。それはいい。だが、館を丸焼きにするにはこれでは火力が足りないし、かといって、館の何か――例えば俺が東の砦でやったように、武器庫やその場の司令塔など――その中の何かを目的にしたにしては、火を付けた場所が一貫していない。
意図らしきものが何も見えてこない。
そもそも、厩も狙われているのにボヤ程度の被害とはどういう事なのか。
こちらが追っ手をかける時に使うのは馬だ。その機動力は大きな力である。つまりその足を奪えば、確実にこちらの機動力を殺げる。なのに、厩はちょっとしたぼや程度の被害しかでていない。軍の人間がやったとして、そんな馬鹿な話はなかった。
それに茜ちゃんだ。もし、継直や金崎がやったとして、彼女が嘘をついてまで庇う必要がどこにある? そんなものはない。
だが……。
もしやったのが、継直や金崎ではなかったとしたら? やったのが、彼女がよく知る人物で、そして彼女がその人物が捕まる事をよしとしていなかったら?
放火――付け火は、確か基本的には火あぶりの筈である。つまり犯人が捕まる事は、すなわち死を意味する。
なんとしてもそれを避けたいと彼女が思ったとしたら、おどおどと気が弱そうな茜ちゃんでも、統治者のお偉いさん――つまり俺を相手にしようが嘘の一つくらい吐くだろう。女はいざという時には、相当強いもんだ。
目の前の油の撒かれた跡の残る煤で汚れた『土壁』を見ながら、俺は頬が緩むのを感じた。
それを横でみていた源太が、怪訝そうな顔をして尋ねてくる。
「急にニヤニヤと笑い出して、どうかされましたか?」
「ん? いや、なんでもない。お前、最高」
「は、はあ……」
素人がとりあえずやってみました的なそのやり様を見たまま、俺は源太に返事をする。
うん、まさに手当たり次第にやった感じだな。こんなやり方は、賊でもやり慣れた輩なら、まずしない。
犯人はずぶの素人だ。
「どこかに頭でもぶつけましたか?」
真横で俺の様子を見ていた癖に、源太はそんな事を言った。そんな源太に俺は笑いながら返事をする。今の俺は、喉の奥でつかえていたものが落ちたような爽快感で満ちあふれていた。
「はは。いや、どこもぶつけていないぞ? 酷い言い様だな、源太」
「いや。無理に笑っていただかなくても」
いつもの俺らしからぬ大人しい反応に、源太はどことなく気持ち悪そうにしていた。実に失礼な奴である。
まあ何にせよ、今は誤魔化しておくしかないな。先程の予断ではないが、まだ只の予想だし、何より状況証拠も薄すぎる。もっと調べないといけない。言うにしても、まだ源太とその配下の青竜隊までにしておくべきだろう。現地の守備隊にまで軽い気持ちで告げていい内容じゃあない。
もしかしたら、守っていた民から攻撃を受けたかも知れないなど――――。
俺は源太に笑い返しながらも、なんつう難儀な町じゃあ……と思わずにはいられなかった。