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Page.46 無明

 暗く広いホールの中央に立つ私。

 ぼんやりと光る幽霊マイドが私を捕まえようと迫る。

 私はそれらを殴り、蹴飛ばし、へし折り、青い光で焼き払う。

 光を失う幽霊たち。

 最後にゆっくり歩いてくるトレンチコートのマイド。両脇に、私がこれまでドームで出逢ってきたひとびとを従えて。

 

「全員、裏切り者だったのね」


 彼らは私を嗤った。

 ドーム長、その秘書。現場を牛耳る武骨な親方、技術屋の詩人、裏切りの女、タクシー運転手まで。

 それから、子供を呑み込む母と、悪さを教えた老婆。


 おとなたち。


 あの子たちが居ないなら、それでいい。

 私は彼らを青い光で薙ぎ払った。鉄や肉の焼ける嫌なにおい。ペン先から光が消えると、光を放つものは何もなくなった。

 暗いホール。私は自分の姿までも見失う。


 さまよう。声も出ない、自分が本当に歩いているかもわからない。


 長い長い闇。それは一秒か八〇〇年か。一メートルか、0.00001581光年か……。


 * * * * *


 アラームよりも早く起床した私は、起き上がり頭を振る。

「なんだかすごく嫌な夢を見た気がする」

 じっとりとした身体。

 じかに汗をたっぷり吸いこんだシーツをくしゃくしゃに丸めて抱きしめる。

 背中の関節が小気味のいい音を立てた。


 トリプルシュガービールを飲み干してシャワーを浴びる。

 今日はオリオン座での共演最終日。

 ラント座長やナイトさんの台本に私の名前が書かれるのも最後だ。

 サブウェイの復旧のニュースは昨晩入っていた。思いのほか早い復旧。

 明日の朝には中央行きの列車に乗ることになるだろう。

 トランクに荷物を詰め、ベッドの上にパンツスーツとドレスを残す。


「ドレスは、夜のパーティにとっておきましょう」


 今日の予定は役所の見学とラント座長とのディスカッション、それから彼の家に招かれての食事会だ。

 食事会だけならばドレスでもよかったが、役所見学には少々不釣り合いだ。

 私は再びロイヤルブルーに身を包んだ。


 それから時間通りにボーイといつものやりとりをし、甘い紅茶とトーストをいただく。

 もしかしたら、ひとりの食事はこれが最後になるかもしれない。

 私にはヘルメスたちにしてやられる気はなかったが、万が一ということもある。


 昨晩、望んだひとと美味しいディナーができたのは幸運だろう。

 これから先は虎の穴だ。

 ヘルメスの帰還や幽霊マイドの件を考えれば、このドームで相当の立場の人物が手引きをしているのは疑いようがない。


 恐らくはドーム長や、その仕事を代行できる立場の人間。


「ラント・キド。ナイト・キド」

 ふたりともグルかもしれない。警察のトップだって。

 ひょっとしたら役所まるまるひとつが手中に落ちている可能性も。


「誰も信じない。私たちが、みんなを解放する」

 敵が強大過ぎて、それが叶わないとしたら?

「法を書き換えてでも、子供たちを連れ出すわ」

 彼らに必要なのは過去でも理想に遠い現在でもない。未来。パーフェクトな台本。


 私は仮面を被る。これまでのアイリス・リデルと変わらず。


 部屋を出て、定刻通りに待つ黒い車に乗り込み、不機嫌な“謹厳実直”と、“シャイで努力家”を演じるヒゲおやじとの演技をこなす。


 役所の視察も想定内。

 真面目ジャンルの配役を受けた人間と、鼻につく不完全さを演じるマイドたち。

 書類のやり取り、データの打ち込み、人間・マイド・機械三位一体の条例採決。


 本日の採決内容は、『反社会的映画の上映禁止』。

 思い出のリピートがひとつ禁じられる。


 揺らがない。私にとってはあの映画そのものにたいした意味はないのだから。

 映画は映画に過ぎない。それを作り、観る、なまの人間には到底及ばない。


 いくら演じようが、裏切ろうが、オリオンだろうが北極だろうが、すべては同じ。繰り返しからは逃れられない。

 繰り返しはひとびとのこころの安寧を買うものだ。


『絶対に壊させはしない』


 夕方。一日の視察を終え、キド邸に向かう。


 個人的主張の激しい、ユニークで贅沢な家。

 本物の木材や絹が極彩色のペイントで台無しにされている。

 クジャクのような形状。古今東西、旧時代も古代も含めてありえないようなデザインの家。

 それでも私は動じない。


 ムアダ・キド。ラント座長の妻。ナイトの母。

 気の違った家を管理する彼女は家とは真逆で、常識的で大人しく、あまり口を利かない女性だった。

 個人的な会食ということで、ラント座長の旧時代のセクシャルハラスメント・ヘイトスピーチが満開になる。

 息子が烈火の如く怒る。女は口を挟まずあとから私に謝った。


 茶番だ。

 少なくともあなたたちの誰かは、個人的な侵害なんて取るに足らないほどの企みに加担しているのだから。


 贅沢な料理。砂糖、ミルク、肉、すべて本物。

 それからオリオン座では一般的に口にする足の多い生物の料理。

 すべてを私の歯がかみ砕く。

 味だけ見れば、どれも美味。快不快、すべては認識の産物に過ぎない。


「とっても美味しいお料理ですわ」

 私は意に介さない。ゴキブリだろうと、セクハラだろうと。

 他人から奪わなくとも、誰しもが自身の仮面をいくつも付け替えて生きているのだ。


 会食が終わり、別れの挨拶を済ます。ラント・キドがアドリブに出る。

「少しアイリスさんと個人的な話がしたいのだけれど」

「父さんはこれ以上失礼を働こうっていうのか」息子による却下。

 妻も夫の擁護をしなかった。


 私も報告書を言いわけに車に乗り込む。最後の送迎。

 車内では誰ひとり言葉を発しなかった。

 私も本を開かない。ただ正面を見る。

 流れる景色。0024番ドーム、オリオン座第三層。書き割りの街並みをメモリーに焼き付けて。


 * * * * *


 私はマンションに戻るとすぐさま身を清めた。

 それから余分な体毛をそぎ落とし、全身に特殊なローションを塗る。

 生まれたままの姿で、「ドレス」の一部である全身を覆う特殊素材のスーツを身につけた。光を吸いつくす深宇宙の色。

 ぴったりと密着するスーツとローションの滑りを確認して、身体を動かすのに不足がないことを認める。

 黒い裸体の上からドレスを着こむ。


 私の衣装の意匠は、旧時代の軍服のスカートアレンジ。

 ネイビーブルーとブラックの生地。上下ワンピースの構成。

 広がり波打つスカートがいっそう腰を細く見せる。


 ドレスの生地はドーム社会で運用されるあらゆる武器と、過去のアウトサイダーの活動から確認できた武器のほとんどを防ぐことのできる頑丈な素材だ。


「あいつらは、何を持ち出してくるか分からない……」

 黒い手にはドレスとセットのグローブ。それから足にはややヒールの高いブーツ。

 一式の価値は、天然のちいさな森ひとつに相当する。


「ちゃんと機能するかしら」

 一抹の不安。稽古での試着のみ。今夜はドレスと初舞台。

 衣装を身に着け、胸に手を当て、深呼吸。


 ――今の世の中はひとのためにならないのかもしれないわ。


 私は確かめなければならない。母の言っていたことが、真実なのかどうか。

 ヘルメスを尋問したときに聞いた彼らの考え。その一部は母と酷似していた。


 出逢ってきたひとびとの抱えた問題。

 それらは母の憂慮や、アウトサイダーの台本否定の思想に沿ったものだった。


 母はすべて知っていたのかもしれない。

 だから、私をわざわざ視察に送ったのだ。「ドレス」や「ペン」を持っていくように指示までして。


「私たちは逃げることはできない」


 台本の言いなり。母の言いなり。Hi-Storyの言いなり。それでも、演じるのは私。

 ノイズ混じりの正義だとしても、私がみんなを守りたいことには変わりはない。

 律しなければ、こころも、身体も。

「私は屈しない」

 連中がどんなに甘い言葉でささやきかけても、無理やりに身体をこじ開けるようなマネをしてきても。

 たとえ、母の持つ答えが連中と同じものだったとしても。


「本に従え。されば能は与えられん」

 私はマイド学者の格言をつぶやいた。


「行きましょう。出番よ、アイリス」


 濃紺の森を身に纏った私は、偽りの月の輝く下へと踊り出す。


 疑似月光の中、私はひと目を避けて駆け抜ける。

 第三層、洗浄施設前に到達すると異変を察知。

 灯っているはずの明かりが消えている。連中の手配かしら? ヘルメスは自分でなんとかしろと言っていたけれど。

 本来なら煩わしいはずの洗浄と検問。

 無人、センサーも停止。私は難なくそれらを潜り抜ける。

 いっぽう、最下層へ繋がるエレベーターは静かに光を放っていた。

 私は躊躇なくパネルを操作して地下へのチューブに乗り込んだ。


 来場以来の景色。薄く安っぽいリノリウムが広がる。

 恐らく警備のディレクターも、荷物運びも、イレギュラーを伝達するプロンプターも居ないのだろう。

 私のヒールが小気味よいリズムを刻む。


 マイド然アイリス調。私は配役を否定しない。


「人間はマイドらしく、マイドは人間らしくあれ」


 夢で見た闇に酷似する風景。

 誰も居ない検問を越え、列車の停止するホームが見えてくる。


 そこには、見知った人間の男がひとり立っていた。


「アイリス・リデルさん。お待ちしておりました」

 謹厳実直な黒スーツが私にお辞儀をした。


「ナイトさん。あなただったのね。アウトサイダーたちと通じていたのは」

「はい」

 青年は悪びれもせず答える。


「ラント座長は?」

 私は短く訊ねる。


「父は何も知りません。母も。今は家でいびきを掻いているでしょう」

「そうかしら。お父様も気付いていらしたと思います」


「ありえませんよ」

 彼は笑わなかった。


「線路に降りて少し歩きます。降りられますか?」

 ナイトはホームから飛び降りる。着地音が闇に吸い込まれる。

 私もそれに続いてドレスをふわりとひるがえした。


「レールには触れないように。レールの通電までは切っていませんから」

 そういうとナイトはライトで道を照らした。

 私は黙って彼について歩く。硬い地面をヒールが叩く。ホールとは違う反響。

 十五分ほど歩くと、サブウェイの脇に造られた、なんらかの作業スペースのような窪みに到着した。


「こちらです」

 壁に向かってライトが向けられる。ハッチのようなものが見える。横にはカードの読み取り装置。

 ナイトはカードを通す。機械は静かに緑ランプを点灯させた。扉が開く。

 中は酷く狭い。ひとがすれ違うのもギリギリの空間。それから下への階段。赤い非常灯が足元を照らしている。


「ここからはくだりです。何百年も前に使われていた採掘現場への通路です」

 彼は階段の途中で足を止めて私のほうを見上げた。


「それを流用して秘密基地を作ったってこと?」


「そうです」

 彼は急に立ち止まり、階段を戻り始めた。私は身を固くして脇に寄った。


「まただ。設備が少し古いんですよ」

 私たちが通ったハッチは開け放たれたままだ。取っ手などはない。自動開閉する代物なのだろう。

「まあ、放っておけばそのうち閉まるはずです。降りましょう」

 ナイトは改めて階段を降り始める。

 私も続く。長い階段。ヒールには少々つらい。


「僕たちは、“地下劇場”と呼んでいます」


「台本や配役を否定するクセに」

 私はひとりごとを漏らした。


「皮肉ですよ。そのくらい分ってくださいよ」

 ナイトがつまらなさそうに言う。


 分かってるわよ、そのくらい。


「いつからなの?」

 私は訊ねる。


「きっかけは、父に仕事を押し付けられていたことです。彼はドームを半ば私物化している。

 ドーム長の権限を使って、違法スレスレで。僕はフェアじゃないのは嫌いだ。

 だから、個人的に中央に父のリコール要請を入れたり……評価を弄ったり」


「評価を弄るのは完全に不正ね」

 非難を含まない指摘。


「そうですね。でも必要悪ですよ。ルールやシステムのほうが間違っているんです。

 台本の指示が間違っていたら、役者は間違いに気付けない。子供以外はみんな、台本が絶対だと信じている」


「子供にも親が台本を作ってやることがあるわ。彼らはまだ学んでいる最中なんだもの」


「中庭に顔を出すようになったきっかけも、調べているうちに不自然なほどに予算を掛けているのに気付いたからです」

 充実した設備、天然の森を真似た公園。


「ドーム社会において子供を尊重するのは当たり前の話よ。お父さんは福祉系の出身だったでしょう?」


「だったら贔屓してもいいってことですか? 恵まれ過ぎですよ。

 普通の子供を越えて充実させることが平等だとでも?

 支えている側にだって子供はいるのに。あなたは一層も見てきたはずだ。砂まみれのひとたちを」


「そうね」

 でも、それは階層によって役目が違うからだ。三層は「保護区」なのだ。

 人間が絶滅してしまわないように確保しておくための。

 そのために三層では出生制限や層の移動制限が設けられている。


 これらの情報は本来、封印されてはいない。

 ドーム社会のはじまりでは公然の事実だった。長く続いていくうちに忘れ去られただけ。

 三層生まれの一般キャストの多くは、自分たちが「保護」される立場だと認識すらしてないだろう。

 保護区の「貴重な子供」なんだから、ラント座長が孤児院に予算を多めに割いていても正当性がある。

 それを管理者の一員である座長秘書が分かっていないはずはないんだけれど。


「アイリスさんも分かっているはずだ」

「否定はしない。だけれど、やろうとしていることが無茶過ぎるのよ」

「地下劇場を見れば気が変わります。でも、まだ足りない。僕たちは中央の人間の力を欲している。あなたにも是非こちら側に来て欲しいんです」

「考えておくわ」

「僕もね、そうやって悩んで、ひとりで父の不正と戦っているときに声を掛けてもらったんですよ」



 赤い階段は長く続く。降りていくうちに気温も比例して下がっていく。

 スーツやドレスに守られない頬や額が凍り付くよう。私は髪をおろしておいて正解だと思った。


「あなた、寒くないの?」

 ナイトはいつもの黒スーツ姿だ。


「もう慣れました。慣れられないのは父の振舞いだけですよ」

 彼もまた、父という像に縛られ、苦しんできたのだろうか。

 きっとそれがドーム社会への裏切りへの伏線を作ったのだ。


 だけれど、アウトサイダーに与したって、けっきょくは別の“父”に縛られるだけじゃないの?

 あなたがあなたでいるためには、身体に結わえ付けられた糸を切るしかないのに。


 階段をくだる青年を見下ろし、私はただ悲しくなった。


「ヒトのことは言えない、か……」

 私はつぶやく。彼は反応しなかった。


 それからしばらくして、階段は終わりを迎えた。

 巨大な砂場が広がる空間。最下層ホールに匹敵する広さ。元は機材を置くためのスペースだったのだろうか。

 床はコメットサンド製だったらしく、すでにすべて砂になってしまっている。

 壁も剥がれて岩盤がむき出しだ。

 機材用の巨大な通路だけは隕砂化していない素材が使われていたのか、いまだしっかりと閉鎖されたままになっている。

 ほかにもいくつかハッチのようなものが見える。

 白いライトに照らされたそれらは新しい。連中のなんらかの施設に繋がっているのか。


 そして、砂場の中央には大勢のマイドらしき影……それから、白っぽいスーツを着た見知らぬ人間の男がひとりと、トレンチコートの姿があった。


「リゲル! 客人を連れてきた!」ナイトが叫んだ。


 * * * * *


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