97日目:お姉ちゃんって呼んでくれ
「教授は、君に任せると言っている」
きっと父親も、苦渋の決断だったのだろう。
それを言及することは、あたしには出来ない。
「……あたしは、どっちでも、」
構うはずもなかった。ここで電源を外せば、こいつは死ぬ。
でも、外さずとも、死ぬ。
嫌な堂々巡りの末、あたしは意志に反して、呟いた。
「構わない」
その時の妹の反応を見れるほど、精神は落ち着いていなかった。
「なあ、ひなげし」
可能性が限りなく低いことは分かっている。むしろ、この状況が奇跡だってことは重々承知の上だ。でも、それでも、あたしは。
「装置を直すことも、彼女を生きながらえさせることもできないよ」
彼の低い声は、あたしに絶望を与えた。
「そもそも、教授と僕が作ったという時点で、それが稼働している時点で、奇跡なんだ。だって、元の世界に、装置を作るための材料なんか無かったから。彼女のノートから、代わりになるもので作った、レプリカなのだから」
……そうだよな。
それくらいに、妹は化物だったんだ。
元の世界に対応なんかできるはずない。
こいつに、社会が追いついていない。
「……そうか」
とうとう、最後の希望まで断たれてしまった。
「私」
ずっと口を閉ざしていた妹は、ようやくここで宣言した。
辛い、答えを。
皆が幸せになれない、答えを。
「私の、電源を」
彼女は、下を向く。
涙を、下に落とす。
「電源を!」
上を向いた。
涙は、拭わない。
「抜いてください!」
「ちょっと待てよ!」
どうして、あたしが制止したのか、あたしにも分からない。
「あたしの人生なんて、どうなってもいいんだ。どうせなら、お前と一緒にいたい!」
折角会えたんだ。
久しぶりに会えたんだ。
なのに、お前から断ることないだろう?
「もしかすると、あたしはお前にとって面倒な姉としか見えなかったかもしれねえ」
頭の中で、過去の暴言が、反芻される。
『お前は、妹と違ってバカなんだな』
『それほどでもないのね』
『妹はどうしたんだ?』
『あの妹さんも、こんな子抱えて可哀想ね』
……うるせえ。
……黙れ。
どうせ、あたしは落ちこぼれだよ。
でもさ。
「でもさ、お前のおかげで、真面目に生きれたんだよ。お前の純粋な目が、あたしを曲げなかったんだよ。勉強だって真面目にした。結果はついてこなかったけど、それでも間違えずに進んできた自負はある。お前のおかげなんだよ」
なのにさ、そういうこと言うなよ。
こっからあたしはどうやって生きろって言うんだよ。
良い方にも悪い方にも、お前がいたから生きていたんだよ。
なのにさ。
「自ら、死なんか受け入れんなよ、バカ」
今まで押しつぶしてきた気持ちが、あふれ出す。
「……それでも、私はあなた方に生きていて欲しいのです。巻き込みたくないのです」
……やめろよ。
遠くなるなよ。
さっきまで、あんな馬鹿話してたじゃんか。
急に、元に戻るなよ。
「その前に、少し二人で話してもいいですか?」
妹は、ひなげしに確認をとった。
ひなげしは、「……5分だけ」と言った。
表情を見る限り、もう残り時間は無い様だった。
「ありがとうございます」
彼は、立ち去った。
気持ちを、整える。
最後くらい、最後くらい。
言い聞かせて、心を落ち着かせた。
姉らしく。
「あの、書置き、見てくれましたか?」
「ああ」
「そうですか。すこし、照れますね」
「なんで、あんなこと書いたんだ?」
「……だって、ずっと、思っていたので」
「『化物な妹で、ごめんね』って?」
「……うん」
「思うわけ、ねえだろうが」
「だって、優しいから」
声色が変わる。
聞いた事のない、甘えた声だ。
「え?」
涙で、周りが見えなくなる。
それは、妹も同様らしい。
「いつも、明るくて、笑ってくれるから。分からないんだよ」
「大丈夫だ。そのまんまだよ」
「一回、言われたことがあったの。『あんな姉持って大変ね』って」
「そりゃ酷いな」
「私は、まったくそんなこと思っていなかったから、何も言えなかった。びっくりしちゃって」
「それが正解。そんな奴、関わらなくていいよ」
「……本当に、思ってない?」
「何が?」
「周りから比較されてたんでしょ?一回だって、憎く思わなかった?」
「……そりゃ、ちょっとは分けてほしいなと思ったよ」
「やっぱり」
「でも、要らねえなって思った」
「……どうして?」
「ちょっとだけもらっちゃったら、それを維持するために努力しないといけないだろ?才能だって、生き物なんだって、思ったんだよ」
「……どういうこと?」
「錆びた才能は、誰も信用しない。天才っていうのは、常に才能を磨き続けているんだよ。お前みたいに、ずっと磨く。でもさ、あたしみたいなめんどくさがりは、磨くことこそが、一番つらい。磨くことを辛いと思うかどうか、それが天才であるかどうかってことだ。だから、そんなものは要らねえと、思ったんだよ」
「だから、天才と馬鹿は紙一重なんだね」
「そういうこと」
この瞬間が、続けばいいと思っていた。
「なあ、無戦姫。いや、我が妹よ」
「……な、なんでしょう」
もう涙は枯れ果てた。
残るのは、笑顔だけだ。
「最後に、お姉ちゃんって言ってくれねえか?」
「……ふふっ。何それ」
「欲しいんだよ。1回も言ったことないだろ?」
こいつは、いっつもみさきちゃんって言っていた。
もちろん、その呼び名も良かったけど、一回くらいはさ。
お姉ちゃんって、呼ばれたかったんだよ。
「姉であったことに、誇りを持たせてほしいんだ」
「……分かったよ」
ため息を吐く。
「……お姉ちゃん、いつも、いつも、本当に、」
ありがとうね。
一瞬で消えた。
あたしの旅は、終わりを告げた。




