「これが普通になる。いや、これが普通なんだ」
「頭、イタい……。いま熱計ったら38度越える自信がある……。あはは、インフルエンザだぁ……」
「あらあら。すごい知恵熱ね。熱さましに熱いお茶はいかが? それともお薬がいいかしら?」
「お茶でお願いします……」
ズルズルと身体を引きずるようにして晶はリビングへと向かう。そこには熱いお茶とお菓子が用意されていて、それを見た途端晶は大げさに目を輝かせた。
「いただきます!」
「はい、どうぞ」
おいしそうにお菓子を頬張る晶を、香が幸せそうに目を細めながら見つめる。今は二月の末。晶が六条家で生活するようになってから、およそ一ヶ月が過ぎようとしていた。
一月の初めに行われた二度目の面会で、晶が六条家に行くことが決まった。事務的な手続きは葛西先生が引き受けることになり、それにかかる時間と、さらに晶の部屋を整える時間も必要だとして、実際に一緒に暮らし始めるのは二月の頭から、という予定になった。
『学校はどうしましょうか?』
『転校して……、いや、晶ちゃんは愛と同じ三年生だからな……』
これが二年生なら、間違いなく転校であったろう。しかし晶は三年生。もう少しすれば卒業だ。
『あの……。わたし、できれば今の学校で卒業したいです……』
晶自身も控えめにそう主張した結果、転校はしないことになった。ただ一緒に暮らすことは変わらないので、六条の家に行ってから卒業までの間は欠席扱いになる。せっかく皆勤賞を狙っていたのに、と晶は少しだけ残念がった。
さて、中三と言えば忘れてはならないのが受験である。高校はもちろん、六条の家から通える範囲にあるところを選ぶことになる。愛が「一緒の高校に行こうよ」と誘ってくれたので、その私立高校が今のところ晶の第一志望だが、いかんせんレベルがちと高い。おまけに晶は卒業まで学校に行かないから、そのあいだ自分で勉強しなければならない。そのため六条家に来てからというもの、晶はずっと勉強漬けの日々を送っていた。ちなみにサックスを高校入学のお祝いとして買ってもらえることになっていて、彼女はそれを励みに頑張っていた。
もちろん、ただ勉強だけをしているわけではない。そんな生活に耐えられるはずがない。主に晶以外の家族が。みんな、15年ぶりに帰ってきた末っ子を構いたくて仕方がなかったのだ。
とはいえ、皆それぞれに予定がある。聡には仕事があるし、愛と司もそれぞれ学校に行かなければならない。香は専業主婦なので家にいるが、なるべく晶の勉強の邪魔をしないようにしていた。
その反動が、週末に来る。六条家の人々は週末ごとに晶を連れてお出かけをした。もっとも、それが必要であったことも事実だ。本人の好みもあるだろうから、と六条家では必要最低限のものしか揃えていなかったのだ。
それで私服はもちろん、靴、スマホ、カーテン、普段使いの小物に至るまで、ありとあらゆるものを買い揃えることになったのだ。
(つ、つかれる……!)
これまで晶にとって買い物とは、値段と好みの妥協点を足で探す作業だった。セール品、割引品以外には目もくれず、複数の店を勇ましく歩き回って候補を絞り、予算と欲望が最も高い点で折り合う一品を選ぶ。それが晶の買い物だった。
が、六条家の人々はそんな買い物の仕方はしない。少なくともこの時はそうだった。決して何でもかんでも買うわけではない。ただ(あくまでも晶から見ればだが)予算と言う観点がごっそり抜け落ちているように思えた。
「あ、これ可愛いよ」
「あら、こっちのほうが晶には似合うわよ」
「え~、絶対こっちのほうがいいよ」
とある大型ショッピングモール。本人そっちのけで晶の服選びに熱中する母と姉。当の本人は二人から着せ替え人形にさせられてグロッキー状態だ。助けを求めて店の外で待つ聡と司に視線を送れば、二人とも無情に視線をそらした。おお、何ということか。孤立無援である。
(女の買い物は長いなんてよく聞くけど……)
本当のことだった。そしてその買い物で精神的何かをガリガリ削られている自分はやっぱり女子力が足りない。そんな事を思い、晶は着せ替え人形になりながら黄昏た。
「晶ちゃん、どっちがいい!?」
愛と香が、それぞれ自分の選んだ服を手にして晶に迫る。明らかに二人とも本人より熱中していた。そんな二人を晶は苦笑を浮かべながら宥めた。そしてちらりと値札を見る。なんと7980円! 眩暈がした、ことにした。
「でもやっぱり、他のお店でも探して見なきゃだよね」
「そうね。次のお店に行きましょう」
「ええ~」
晶の泣き言は張り切る二人によって華麗に無視された。「いい加減妥協しようよ」と言いたいが言わない。下手なことを口走ろうものなら「女の子たる者~」と、お説教されてしまうのだ。いい加減、晶もその辺りのことは学習していた。
「ちょっと店内をぶらついて来るよ」
「私も、書店を覗いて来る。後で、フードコートで落ち合おう」
「わかったわ。じゃあ、また後で」
「あ、じゃあわたしも……」
どさくさに紛れて晶は逃走をはかる。しかし肩を、しかも両方掴まれあえなく捕獲された。冷や汗を流しながら後ろを振り返ると、そこには輝かんばかりの笑顔を浮かべる母と姉がいた。
「どこに行くの、晶ちゃん?」
「あなたのものを買うんだから、あなたがいなきゃダメでしょう?」
二人の笑顔の後ろに、般若と阿修羅を見た気がした。「これには絶対に逆らうな」と晶の生存本能が全力で警鐘をならす。
「ハイ、ヨロシクオネガイシマス」
「うん、任せといて! えっとじゃあ次は……」
張り切る愛に背中を押されながら晶は次の店へと向かう。脳内BGMはドナドナで決まりだった。
「お疲れ様。いいモノは買えた?」
待ち合わせの時間になったのでショッピングモールのフードコートへ向かうと、すでに聡と司が待っていて、二人は苦笑を浮かべながら六条家の女性陣を向かえた。
「ええ。これで必要なものは一通り揃ったわ」
お店のロゴが入ったビニール袋を掲げ、香が満足そうにそう答える。その隣で愛もまたスッキリとした笑みを浮かべているが、そのさらに隣にいる晶は対照的にゲッソリとした様子だ。どうやら散々付き合わされたようである。
「お疲れ様。たこ焼き、食べるかい?」
「いただきます……」
司が差し出した大粒のたこ焼きを、一つようじで突き刺してそのまま口へ運ぶ。うむ、うまい。
「向こうでドーナツを売っていたから、食べたかったらこれで買ってきなさい」
そう言って聡が1000円札を差し出す。晶は咄嗟に手が伸びなかったが、それをフォローするように愛がそれを受け取った。
「ありがとう、お父さん。ほら、晶ちゃん。行こう」
そう言って愛は晶を引っ張り、ドーナツを売っているお店の方へ小走りで向かっていった。その双子の背中を、他の三人が微笑ましげに見送る。
「……たまに、怖くなるの。こんなに幸せでいいのかしら、って……」
ポツリと、呟くようにして香がそう言った。そんな彼女に、聡がこう言い聞かせる。
「これが普通になる。いや、これが普通なんだ」
「そうね。そうよね」
そう言って香は目の端に浮かぶ涙を指で拭う。そしてたおやかな笑みを浮かべた。
しばらくすると、愛と晶がお盆を手に戻ってきた。お盆の上には、ドーナツが5つ乗っている。どうやら全員分買ってきたらしい。
「みんなおいしそうで迷っちゃったね」
「うん。今度作ってみたい」
「それは楽しみだ。さあ、せっかく買ってきてくれたんだし食べようか」
愛と晶がイスに座るのを待ってから、五人はドーナツを食べ始める。
そんな彼らは普通の家族。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
~おまけ~
その夜、愛はある野望を胸に双子の妹である晶の部屋の前に立っていた。パジャマに着崩れはなく、愛用の枕を脇に抱えたその姿はまさに完全武装。すぅ、と深呼吸を一つすると、愛は目の前の扉をノックした。
「晶ちゃん、入ってもいい?」
「愛ちゃん? いいよ、どうぞ~」
扉の奥から許可を貰うと、愛は扉を開けて部屋の中に入った。
「まだお勉強中?」
「そろそろ寝るつもりだけど……、ってどうしたの? 枕なんて持って」
「えへへ……。一緒に寝よ?」
一緒に寝ることが愛の抱く野望、ではない。彼女の野望はもっとこーしょーなものなのだ。
愛の抱く大いなる野望。それは双子の妹、晶をデロンデロンに甘やかすことである。
なぜそんなことを考えたのかと言うと、愛は気付いてしまったのだ。晶が家に帰って来てからというもの、自分があんまりお姉ちゃんらしいことをしていないと言うことに。
双子なのだから、姉だの妹だのはあまり関係ないとも言える。しかしそれでもお姉ちゃんはお姉ちゃんなのだ。お姉ちゃんは妹の世話を焼くものなのだ。
しかし遺憾ながら、まことに遺憾ながら、世話を焼かれることが多いのは、むしろ愛のほうだった。
朝はヌクヌクと寝ていれば起こしてもらい、寝ぼけ眼でボーっとしていれば寝癖の付いた髪を櫛で梳いてくれる。制服のアイロン掛けもしてくれたし、この前は部屋の掃除を手伝ってもらった。
それだけではない。現在、晶は週三日朝ごはんを作っている。当然、愛がまだ寝ている時間に、だ。夕飯を担当することもしばしばで、香の手伝いも含めればほぼ毎日関わっているといっていい。
さらに彼女は美味しいスイーツまで手作りしてくれるのだ。特にこの前作ってくれた、オレンジピューレの入ったパウンドケーキは絶品だった。絶賛リクエスト中である。
この他にも、晶は家事の手伝いをたくさんしていて、香をたいそう喜ばせている。どう考えても、晶の方がお姉ちゃんぽい。そのことに気付いたとき、愛は「このままではいけない!」と思ったのである。
もちろん、「せっかく末っ子から脱却できたのだからお姉ちゃん風を吹かせたい」とか、そんなことを考えているわけではない。「お姉ちゃんの尊厳が危機に瀕している」とか、そういうことを考えているわけでもない。
ただ、愛は晶のために何かしたいのである。
晶のことを「可哀想な子」と思っているわけではない。そんなことを思えば、彼女はきっと怒るだろう。だけど、可哀想な子でなきゃ何かしちゃいけないなんて、そんなおかしなこともない。
したいからする。それでいいのである。それで愛は「一緒にお寝んねして甘やかしてあげよう」と思ったのだ。
「ん、いいよ。今やってるところを終わらせたら寝るから、先にベッドに入ってて」
少し驚いたように目を丸くし、それから妙に優しい笑顔を浮かべながら、晶はベッドのほうを指差しながら愛にそう言った。
ベッドには入らず、枕を両手で抱いて腰掛けながら、愛は晶の部屋の中を見渡す。何と言うか、飾り気のない部屋である。ぬいぐるみや可愛らしい小物はほとんどない。唯一、大き目のコルクボードが壁にかけられていて、そこには写真が何枚か画鋲でとめられている。
写真に写る人々は、だいたい愛の知らない人たちである。恐らく同じ施設で生活していた子供たちや、前の学校の友達なのだろう。そんな中に一枚、この前家族で撮った写真が混じっていて、愛は少し安心した。
「……何か、怖いことでもあった?」
机に向かう晶が、不意にそんな事を言った。愛は小首をかしげながら、「何もないよ?」と返す。
「あれ、違うの? 一緒に寝たいなんて言うから、てっきり……」
施設にいたときも、似たようなことが何度もあったのだと言う。例えば雷がはげしく鳴るような夜は、小さい子供たちが怖がってしまい、そんなときは一緒に寝てあげていたのだそうだ。それを聞いて、愛は頬を膨らませる。
「もう、わたしそんなに子供じゃないよ?」
「あはは、ゴメンゴメン。さ、これで終わり。寝よっか?」
「うん」
そう言って愛はベッドに入り、晶の枕の隣に自分の枕を並べる。
「電気消すよ~。真っ暗にしていい?」
「えっ!? あ、晶ちゃんはいつも真っ暗にして寝てるの?」
「うん、そだよ」
電気代が勿体無いから、と晶は言う。たいへん彼女らしいのだが、愛としては少し困る。彼女はいつも、小さい豆電球をつけっぱなしにして寝ているのだ。
「今日は小さいのをつけておくね」
愛が「う~」と唸っているのを見て、晶は苦笑しながらそう言って電気を消した。ただし、言葉通りに豆電球を残して。完全に真っ暗にはならなかった部屋の中、愛はこっそりと安堵の息を吐いた。
(うう~、わたしのほうがお姉ちゃんなのに……)
お姉ちゃんの尊厳が形無しである。しかし本番はここからなのだ。
「よいしょっと」
晶がベッドに入ってきて愛の隣に並ぶ。いよいよミッションスタートである。
「えいっ!」
「およ?」
掛け声と共に、愛は晶の頭を胸に抱いた。そして彼女の頭を優しく撫でる。むふふぅ、これがお姉ちゃんの包容力である。
愛がそうやって自己満足に浸っているその時、しかしなにやら胸元から不穏な声が……。
「……愛ちゃんって意外と着痩せするタイプだったんだぁ~。しかもいい匂い。グヘヘ、たまりませんなぁ~」
「きゃああああ!?」
生理的な危機感を覚え、愛は思わず飛び上がった。そして手を交差させるようにして胸元をかくして後ずさる。顔が真っ赤になっているのが分かった。ちょっと冷静になってから晶の方を見ると、彼女は「してやったり」と言わんばかりにニンマリとした笑みを浮かべていた。
一拍おいてから、愛はからかわれたのだと気付く。また顔が熱くなった。
「もうっ! 晶ちゃんのバカバカ!!」
枕を掴んでボフボフと晶を叩く。叩かれた彼女に怯んだ様子は少しもない。むしろ楽しげに笑い声を上げた。
「あはは。ゴメンゴメン。許して、お姉ちゃん」
そう言って晶は愛に抱きつく。一方の愛は驚いて目をまん丸に開いていた。晶が愛のことを「お姉ちゃん」と呼んだのはこれが始めてである。なお、この次の日から晶は家族のことを「お父さん、お母さん、お兄ちゃん」とそれぞれ呼んで、彼らを喜ばせることになる。
「……もう、仕方ないなぁ。晶ちゃんは」
そう言って、愛はまた晶の頭を優しく撫でた。そして双子はそのまま仲良くベッドの中で横になった。
ちなみに、次の日朝起きたら立場が逆に、つまり愛が晶の胸元に抱かれる格好になっていた。解せぬ。
さらにちなみに、晶もまた意外に着痩せするタイプであることが判明した。あとやっぱりいい匂いがした。さすが双子。
というわけで。
いかがでしたでしょうか?
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