駆け出しの見習い魔術師 ◇変身
それは、まるで遠い記憶をたどるような、不思議な夢だった。
色が鮮やかで、音がよく聞こえた。
そして──風が鳴いていた。
いや、鳴いているように聞こえているだけだ。
自分の体が、翳かげりのない青と白の狭間を、するするとすべるように飛んでいく。
地上は遠く、雲すら下にある。
身体は軽く、柔らかく、風の流れを読んでいる。
冷たい空気が羽根を撫でて、そこに 生じた小さな渦がまるで鳴き声のような音を生み出していた。
(羽根?……え?)
そう、エイラには――自分の背に羽があるのが自然に思えた。
奇妙に心地よく、前から知ってる自分の感覚のようで、違和感はなかった。
羽ばたくたび、空気が肺の奥まで届くようだった。
人の形を離れているのに、恐れはない。
むしろ懐かしさに似た疼きが胸の奥をくすぐった。
目を凝らせば、前を飛ぶ影がある。 黒銀の羽を持つ梟。
──ネラ。
知らないはずなのに、その名前に確信があった。
黒銀の大梟は先導するように、時に振り返りながら風を割って進んでいく。
夜ではないのに、空には星が浮かんでいた。
時間の感覚が薄れていく。
遠い日々の記憶と、見知らぬ光景が混じり合い、エイラの意識は、ふわふわと溶けていった。
山々が見える。 塔のある森ではない。
もっと古く、ざらついた岩肌。
赤く裂けた谷。
陥没した穴の入り口近くに青い花が群生していた。 青い花弁が、一斉に風に揺れた。
泣きたくなるほど物悲しい。
理由はわからない。
ただ、どうしようもなく――強く胸を突いた。
なぜだろう。
何か、とても大切なものをそこで失った気がした。
小糠雨が降りはじめた。
霧のような水滴が白い羽根を湿らせ、体温を奪っていく。
風はまだ鳴っていたが、それすら濡れた羽音に紛れ、沈んでいった。
****
はっと目を覚ます。
額に汗がにじんでいた――と思ったが、違う。
手のひらで触れると、冷たかった。
頬にも、首筋にも、細かな水滴がついていた。
髪は霧を吹いたように濡れ、夜着も薄く湿っている。
天井を見上げる。 石造りの、見慣れた天井。
窓の外には、まだ星が瞬いていた。
雨の気配は――ない。
けれど、全身がうっすらと湿っていた。
夜着の袖をつかみ、自分の腕を確かめる。
――ちゃんと人間の姿だ。羽もない。
エイラは立ち上がり、そっとバルコニーへ出た。
夜風が頬をかすめ、遠くから梟の鳴く声が聞こえる。
──ヨナ。
(いつからそこにいたの?)
白い大梟が屋根の上から舞い降りた。
「――私、さっき、飛んでた?」
問いかけに、ヨナは答えない。
黒曜石のような瞳で、ただじっと見つめている。
エイラは苦笑するように息を吐いた。
だが、その羽根に霧のような水滴がついているのを見て、動きを止める。
夢の中では、小糠雨が降っていた――。
夢か、現実か。
もやもやとした違和感が、胸の奥に巣くっていた。
翌朝になっても、その夢は鮮明に残っていた。
エイラは指先をじっと見つめる。
塔に来て二年目。
この春に、十五歳になった。
魔術の修行の合間に、この頃は園芸や機織りも習っている。
細くて、日に焼けて、少し傷のある手。
ものを書き、本をめくり、機を織る――働き者の手だ。
じっと見つめていると、指と指の間に、あるはずのない風切羽の感触が蘇る気がした。 握りしめれば、鋭い爪が肉に食い込むような幻覚。
(……これは、私の手? それとも)
夢の中で感じた風を掻き進む感覚が、まだ皮膚の裏で騒いでいた。
ふとした拍子に、この腕がそのまま翼へと変わってしまいそうで――。
重力から解き放たれるような浮遊感に、思わずめまいがした。
「――変だな」
目を閉じる。
考えたところで、答えは出ないことくらい、よく分かっていた。
夢は夢だ。
くよくよ悩むのは、性に合わない。
深呼吸をしたその瞬間――頭の奥で、小さな光が弾けた。
――もしかして、半身の姿に変ずる魔法があるのかもしれない。
「書庫に行かなくちゃ」
塔の書庫には、兄弟子がいる。
あのなんでも知っているロディスなら、ヒントをくれるかもしれない。
シルに事例を聞いてみるのもいい。
ぱっと顔を上げ、伸びをひとつ。 エイラは弾むように駆け出した。




