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22.重なるのは

 帰宅された時からご機嫌斜めだとは思っていたけれど、ヴィルヘルム様が物凄く不機嫌だ。夕食の時も言葉は少なく、食べ終えるとすぐにご自身の執務室へと行ってしまった。

 わたしが何かをしたわけではないと思うけれど……そこはかとなく寂しいのも事実。

 でもわたしとヴィルヘルム様の関係は、元々凄く不安定なものだから。こうしていきなり距離が離れてしまうのも仕方がなかったのかもしれない。


「ひとりだなんて、初めてかも」


 小さく落とした呟きは、静かな室内に消えていく。

 湯浴みも済ませて寝支度も整えて貰ったわたしは、自室に篭っていた。いつもならヴィルヘルム様と一緒に過ごしていた時間だから、一人だと何をしていいか分からない。


 お気に入りとなった、窓辺の作業机の前に座る。

 魔導ランプに明かりを灯し、ジギワルドさんが持ってきてくれた本を読もうとするも、文字がただの羅列に見えて頭に入ってこない。



「……わたしに飽きてしまわれたのかしら」


 呟きが、胸にちくりと刺さる。自分で言った言葉だけれど、その予想外の鋭さが痛い。


「そんなわけないだろう」


 聞こえるはずのない低音に思わず悲鳴をあげそうになるが、後ろから力強い腕に囚われてそれも叶わなかった。


「……ヴィルヘルム様」

「ノックはしたのだが、反応がないから入らせて貰った」

「……気付きませんでした」

「考え事をしているようだったからな」


 ノックも、扉が開く音も聞こえなかった。

 でもそんな事はもうどうでも良かった。わたしを抱き締める腕の温もりや、その力強さに体だけでなく心も震えるようだ。その腕に両手を添えると肩越しに振り返る。


「お忙しいのではないのですか?」

「忙しいが、お前を不安にさせるつもりはなかった」


 眉を寄せたその表情は、夕食時までのように不機嫌そうではあるが、それよりも……なんだろう、焦りが滲んでいるような……?


「何かあったのですか?」

「飽きたなどと思われているとは心外だ」

「……この時間にご一緒しないのは初めてだったので、少し寂しかっただけです」


 思わず本音を零してしまったけれど、それも仕方がないと思う。この人がわたしに飽きていなかった。わたしをまだ必要としてくれている。それが嬉しいのだから、素直になるのも仕方がない。

 きっとこれは夜の魔法。いまだけ素直になれる魔法が掛かったのだ。


 ヴィルヘルム様はわたしを抱き上げると、慣れた様子で寝台に向かう。わたしをそこに寝かせると隣に横たわった。

 思わず手を伸ばしてその頬に触れると、柔らかく笑ってその手に頬を摺り寄せてくる。


「俺がお前に飽きるわけがない。こんなにも焦がれて、全てが欲しくて狂いそうなのに」

「……ヴィルヘルム様?」

「本当は今すぐにでも全てを俺のものにしたい。我慢強い俺を褒めてくれてもいいんだが」


 一体どうしたというのだろう。

 ヴィルヘルム様がわたしを求めてくれている。それを言葉にして下さるのは初めてなのではないかと思う。

 体だけの繋がりだと思っていた。同情だとか、物珍しさとか。そういった思いだけで触れてくれているのだと。……でもそれは違ったのだろうか。

 わたしも同じ気持ちだと、そう伝えてもいいのだろうか。


 ヴィルヘルム様の瞳が色濃くなっていく。


「……ヴィルヘルム様は、わたしを……想って下さっているのですか?」

「そうだと分かっているだろうに」

「……おっしゃって下さらないから、分かりませんでした」

「言っていなかったか? だとしても、こうしてお前に触れているんだ。分かるだろう」

「物珍しさから情が湧いて……」


 鋭い視線に思わず口を閉ざす。これは言ってはいけないようだ。


「エルザ。はっきりと伝えずにお前を抱いたのは悪いと思う。だが俺は、最初から物珍しさなどでお前に触れたわけではない。お前に心惹かれたからこそ、この手に抱いたんだ」


 どうしよう。

 嬉しい。こういう時はどうしたらいいのだろう。上手く笑えることも出来ないけれどこの気持ちを伝えてもいいのだろうか。……迷惑にはならないのだろうか。


「……お慕いしています、ヴィルヘルム様」


 優しく笑ったヴィルヘルム様の指先が目尻をなぞる。それでようやく、わたしは自分が泣いていることに気付いた。意識して口端を持ち上げると、ヴィルヘルム様の笑みが濃くなった。


「知っている。お前が俺を好いているのは伝わっている。……だが、いいものだな。お前が好意を口にするのも、そうして笑おうとしてくれるのも」

「笑えていますでしょうか」

「ぎこちないが、可愛らしい」

「……物好きだと言われませんか」

「お前くらいだ、そんな事を言うのは」


 ヴィルヘルム様の腕に抱かれると、伝わる鼓動と温もりに胸の奥が熱くなるのを自覚する。わたしの体はすっかりと慣らされてしまっているし、肌が馴染んでいるのが分かる。でもいまそれ以上に、気持ちが重なっているのが嬉しいのだ。


「ヴィルヘルム様、わたしは……全てを捧げたいと思っています」

「……可愛い事を言うな。俺の忍耐を試すつもりか」


 忍耐などいらないと言っているのに。

 不思議に思って首を傾げると、額をその長い指先で弾かれてしまった。


「お前の真名を取り戻してからだ。そうしないと婚姻も出来ないだろうが」


 婚姻。


「変な顔をするな。これは俺のけじめだ」

「……けじめ」

「そう。真名を取り戻したら、お前は俺と結婚する」

「それは、求婚でしょうか」


 確定事項を述べられているだけな気がする。

 ヴィルヘルム様がわたしと結婚しようとしている。それは凄く嬉しいけれど、もう少し……ロマンチックなものを想像したいのは、わたしの我儘だろうか。

 それとも、わたしに手を出してしまったから、責任を取るという意味でのけじめ? ああ、だめだ、また悲観的になってしまう。


「求婚。……さすがにこれが求婚というのはまずいだろう。少し待っていてくれ」


 そう言うとヴィルヘルム様はわたしの寝着のリボンを片手で解いていく。手馴れた仕草が、わたし達が毎日のように閨を共にしている事を示しているようで、気恥ずかしい。素肌が晒されるこの瞬間はいつまで経っても慣れない。


「求婚はもっとちゃんとする。いまは、俺の気持ちだけ受け取っていてくれ」


 ああ、ヴィルヘルム様はやっぱり優しい。

 わたしは頷くことしか出来ずにいた。長い指先がわたしの口端をなぞるものだから、笑顔を浮かべている自分に気付く。こうして、もっと表情が顔に出るようになればいい。そうしたらもっと気持ちを伝える事が出来るのに。


「……ヴィルヘルム、様、っ……」

「好きだ、エルザ」


 重ねた唇から熱が伝わる。応えたいのに、いつだって呼吸を乱すのはわたしばかり。好きだなんて熱を帯びた声で言うものだから鼓動が早鐘をうつ。


 もっともっと。

 わたしの最奥までヴィルヘルム様で満たして欲しい。


 わたしの心の中の願いを覗いたように、ヴィルヘルム様が妖しく笑った。


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