火花
洞窟の中では、火の球がゆっくりと洞窟内の空気を奪っていく。それでも少なくとも視界は確保できたが、錨は這うようにして近づいてくる。遺産が口を開く。
(危険な賭けだね。君には戦闘経験がないし、空気がなくなる前にNarysが尽きるかもしれないよ)
(最初の落下で膝を痛めたんだ……フレイムは最後の手段にする。それに、もし生き残れたとしても……別の問題になるし)
錨は近づきながら口の中に一列の牙を作り出す。Kaelianは岩の杭を放つが、それは避けられてしまう。
(まだそんなに多くは作り出してない……だからNarysはまだ十分に残ってる……でも、感覚魔術で土の魔法を使い続けたら長くは持たない……)
錨が飛びかかってくるが、Kaelianは地面から杭を突き出させ、天井へと縫い付ける。しかし、錨は触手を作り出して爆発させ、その先端をKaelianに向かって撃ち出した。
(どうやって!?)
Kaelianは分厚い岩の板を作り出したが、壁際まで押し込まれる。壁から石の支柱を作って衝撃を和らげ、その下を這って進む。火の球は半分の大きさになっていた。Kaelianは一度立ち上がろうとしたが、膝の痛みに阻まれ、心の中で呟く。
(しっかりしろ……もっと酷い痛みも経験したじゃないか!)
錨は手足を使って杭を破壊し、降りることに成功する。そして地面の一部を砕きながら、Kaelianへ一直線に向かう大量の触手を作り出した。それが届く前に、彼は再び岩の足場を使って跳躍し、宙に浮く。両側から二本の巨大な触手がKaelianを直撃しようと迫るが、天井から二本の杭を作り出してそれらを串刺しにした。地面の触手が方向を変えて上へと向かい、同時に地面から削り取られた大量の土埃が洞窟の中に舞い上がる。
(くそっ!……上手くいってくれ)
Kaelianは両手を伸ばし、周囲にNarysを広げ始める。空気中の土埃や鉱物の粒子を集め、何層にも重ねて凝縮させ、巨大な岩の杭を両手の前に作り出した。鋭さはなく、かなり歪な形ではあったが。
(土の技術魔法! やっとできた!)
遺産は何も言わないが、その驚きは伝わってきた。
杭を錨に向けて放つが、跳躍して避けられてしまう。それでも、触手を後退させることには成功した。
Kaelianは着地のために再び水の泡を作り出す。
(これでNarysはもっと節約できる……でも……もう酸素が……)
火の球が消え、空間は完全な暗闇に包まれた。錨が攻撃のために走り出す。KaelianはNarysを地面へ伸ばし、Narysを型代わりにして地面から鋭い岩を引き抜くと、足音が聞こえる方向へ投げつけた。しかし一つも当たらず、錨の足音が聞こえなくなる。その直後、目の前に着地した気配を感じた途端、触手で持ち上げられ、そのまま口へと運ばれ始めた。掴まれた衝撃で、肺に残っていたわずかな空気が漏れ出る。
(……くそっ……)
絶望的な状況の中、地面から杭を作り出して錨の一本の手足に突き刺し、バランスを崩させる。それでも、今にも喰われそうになるのを防ぐには十分ではなかった。遺産が叫ぶ。
(Kaelian! 奴のNarysはもう残りわずかだよ)
錨の体内のどこかで、他とは違う小さな部分が際立っているのを感じる。以前は錨の持つNarysの量が多すぎて感知できなかったものだ。彼は思考を巡らせる。
(あれが核に違いない!)
壁や天井から可能な限りの湿気を集め、残りのNarysを使って水に変換し、下から強力な高圧の水流を放つ。それは核に直撃し、錨の体を完全に貫いた。水流は洞窟の天井に激突し、数秒でそれを貫通すると、地表へと続く穴を開け、数メートルの高さまで噴き上がってから雨のように降り注いだ。
錨の体は消滅し始め、Kaelianを地面に落とす。彼はすぐに息を吸い込もうとする。
「ゲホッ、ゲホッ……」
深く息を吸い込みながら、残骸が消えていくのを見つめる。開いた穴から、青と紫の雲が閉じ込められているような球体が落ちてきた。遺産が口を開く。
(あれが核だよ。いや、むしろ錨そのものだね)
Kaelianは痛みをこらえて立ち上がり、どうにか核の元まで歩いていく。
「……こんなに小さなものが、あれほどの力を持ってるの?」
(君のことも同じように言えるけどね)
「これをどうすればいいんだ?」
(破壊するか、再び封印するか、あるいは中に何があるか見てみることもできるよ)
洞窟の広間の入り口があった場所を見つめる。
「壊す力なんて残ってない……ここから出る力すらない」
錨の前に座り込む。
「……ずぶ濡れで寒いし、少しNarysが回復するまではここから出られない……怪我や打撲のことは言うまでもないけど」
膝に肘をつき、両手に顔を埋めながら深呼吸する。
その時、ある考えが頭をよぎり、すぐに姿勢を正す。服の襟ぐりから手を入れ、今やペンダントになっているNaeviaの石を取り出した。
「遺産! もしかして……この錨をNaeviaの魂の器にできると思う?」
(……器?……そうだね、でも前例はないよ)
「じゃあ……僕は!……」
(彼女を生き返らせたいのは分かるけど、錨についてはあまり研究が進んでいないんだ。君の望む結果にはならないかもしれないよ)
息を吸い込んで答える。
「試してみるしかない……でも……彼女の魂で実験する覚悟はないよ」
(それが賢明だね……)
Naeviaの石を見つめる。
「ごめん、Naevia……もう何年か待ってて」
ペンダントを服の中にしまい、核に手を伸ばす。
「核のNarysを使えば、早くここから出られるかもしれない」
核を手に取り、自分の中にわずかに残るNarysをそれへと流し込む。しかしその瞬間、自分の精神が錨と繋がり、その記憶を見せられているような感覚に陥った。
記憶の中には、紫色の髪と瞳を持つ痩せた女性がいた。大きな先の尖った帽子を被り、前が開いたゆったりとしたドレス、長い手袋を身につけ、腕から背中にかけて布を羽織っている。場所は、あの封印の岩があった同じ森だ。
「……あんたを手に入れるのにどれだけ苦労したと思ってるの、ふん。私がいない間、あんたの気配が魔物を遠ざけてくれるといいんだけど……一応、数百年は持つように封印にエネルギーを注いでおくわ。もちろん、戻ってきたら壊してあげるけどね」
映像は蠢く黒い物質に満ちた暗い場所へと移り変わり、その後、緑の野原とすべてを消し去る光の短い記憶へと続いた。
Kaelianは激しく息を乱しながら意識を取り戻す。
「!! 今のは何なんだ!?」
(錨の記憶……だと思うよ……)
「あの女の人……Lioraに似てた」
(あの女性は……Ranmara Garmistだね……その記憶は恐らく百年前、あるいはもっと前のものだろう)
「百年?……そんなに昔に死んでたなんて」
(まあ、正確な時期は分からないし、どこでどうやって死んだのかも不明だけど、どうやら錨を回収する前に姿を消したようだね)
「どうしてあんなものを置いたんだ?」
(昔は今よりもはるかに多くの魔物がいたんだ。一時的な防衛策として残したんだと思うよ。魔物自身よりも危険な防衛策だけどね)
「それで、それが彼女の思いついた最高の防衛策だったの? 間違いなく最高だね」
(信じられないかもしれないけど、錨の存在がフレイムを狙う他の魔物を遠ざけていたんだ。だからRanmaraは、今まで君が襲われないように間接的に守ってくれていたことになるね)
「じゃあ、防衛の御守りとして持っておくよ」
(封印がその気配を辺りに広げていた部分もあるから、御守りとしてはあまり効果がないよ。それに、また起動する可能性もあるしね)
核から声が聞こえてきた。
「意……志……名……前……」
「名前が欲しいみたいだね」
(そう思うかい!? 封印するって言ったのは忘れて、起動する前に破壊した方がいいよ)
「待って、実体の部分もあるって言ってたよね?」
(そして実体ではない部分もある。錨自身のNarysを使って壊すんだ)
「考えがあるんだ。君は気に入らないだろうけど」
目を閉じ、再び自分のNarysを錨に繋ぐ。錨の記憶を思い浮かべ、それを即座に弾き出した。
(一体何をしてるんだい!?)
「浄化してるんだ……白紙のキャンバスに戻すみたいに」
中身をすべて放出し、錨は完全に空っぽになった。
「儀式や呪いの本では、ほとんどの呪いが意図に反応する。魔法そのものもそうだ。これは……呪文を使うようなものだよ。核にある純粋なNarysに生命と形を与えることに集中すれば……そうなるはずだ」
(何だって?……まあ、確かにそれが魔法の基礎の一つだけど。君がやろうとしているのは、Narysでオートマタを作るようなものだ。でも、錨相手では勝手が違うよ!)
「オートマタ? 何のことかよく分からないけど、違うよ。これは……まあ、見てて」
彼は人型を作ることに集中する。まるで錨に指示を与え、それがその指示に従っているかのように。やがてそれは彼の手から離れ、宙で輝き始めると、その身体が硬質な光でできた人の姿へと変わっていく。
「最後の仕上げだ」
彼は近づいて錨の脚に触れる。自分の中でフレイムが燃え始めるのを感じ、それが腕を伝って錨へと広がり、核と結びついていく。そして、そこに『意志』を与えていくのを感じた。
(君、今……)
地面に近づくにつれて光が弱まり、そこに現れたのはKaelianと同じ年齢の少女だった。白い髪を持ち、地面に座ったまま自分の手を見つめている。やがて顔を上げると、その両目は真っ白だった。
慎重に彼女へ近づきながら、Kaelianは言った。
「白紙のキャンバスって言葉を、少し真に受けすぎたみたいだ」
少女が言う。
「あ……な……た……わたしの……お・と……うさん?」
「ん? いや、君のお父さんじゃないよ」
「だれ……なの?」
「僕は……」
Kaelianはすぐさま言葉を止め、両目を覆った。
「待って、この子が裸だってことに今気づいた!」
(今更気づいたのかい)
少女は辺りを見回して尋ねる。
「だれ……が言ったの?」
Kaelianと遺産が同時に声を上げる。
「……何だって!?」
「……き……いたの……だれが……言ったのかって」
(私の声が聞こえるのかい?)
「うん……聞こえる」
Kaelianは尋ねる。
「どうして君の声が聞こえるんだ?」
遺産はKaelianにだけ話しかけることに意識を集中させる。
(フレイムのせいかもしれないね)
少女が尋ねる。
「え?……声、どこにいっちゃったの?」
(こうしてごらん)
Kaelianは少女に近づき、少女の頭に手を置いて、そのNarysを感じ取る。すると、それを形作り始め、少女の身体に白いドレスが現れるように形を変えていく。
(君は彼女の形態を完全に制御できる。だから好きな形に変えられるんだよ)
少女は自分の姿を見て尋ねる。
「わたしは……だれ?」
Kaelianは考える。
(そうだ、名前をつけるのを忘れてた。何か可愛い名前、思いつかない?)
(ただの『女の子』でいいんじゃない?)
(ダメに決まってるだろ)
(分かったよ……それなら……『錨の女の子』はどうだい?)
Kaelianは微笑みながら答えた。
「君の名前は火花だよ。僕が君を創ったんだ」
少女も微笑む。
「ひ……ばな……すき!……あなたがわたしを創ったのなら……どうすればいいか教えて……」
Kaelianは顎に手を当てる。
「うーん……自分の意志を持たせたから、君の好きにしていいんだよ……」
「すきにしていいの?」
「うん」
「じゃあ……この洞窟から出たい」
少女は塞がれた出口を指差す。
「僕もだよ。でも、少しエネルギーが回復するまでは出られないんだ」
少女は出口に近づき、Narysで作った柱で出口を殴りつけ、無理やり開ける。そして微笑みながら言った。
「開いたよ!」
Kaelianは思う。
(……本当に強いな……)
(強すぎる。気をつけな。彼女はもう普通の錨じゃないよ)
二人が洞窟を出ると、彼女が甲高い声で言った。
「わーい、外だ!」
「すぐに家に帰らないと……君を一人にはしておけないから、一緒に来て」
「いいよ! どうせ他に何していいか分かんないし……だから、いいならご主人様と一緒にいる!」
「その呼び方はやめて」
「じゃあ……なんて呼べばいいの? ご主人様」
「僕の名前はKaelianだ」
「わたしは火花! でもそんなの知ってるよね。あなたが名前をつけたんだもん、えへへ」
Kaelianは腕を組み、頭に手を当てる。
「さて、お母さんに何て言おう?……まさか、森から出てきた女の子を養子にしてくれなんて言えないし」
火花が手を挙げる。
「あ、あ! わたしのこと従姉妹だって言うのはどう?」
「アハハハハ、ユーモアのセンスがあるな」
遺産が言う。
(冗談で言ったのかどうか、怪しいところだね)
少女は手を下ろし、なぜ彼が笑っているのか分からない様子で小首を傾げた後、小さく笑った。Kaelianが言う。
「あはは、よし、真面目に考えよう……うーん、いっそ君を物に変えるのはどうかな?」
「うん! すごくいい考えだよ、ご主人様……じゃなかった、Kaelian」
遺産が二人に語りかける。
(本当にいいのかい? 動くことも、息をすることも、見ることもできなくなるよ。せいぜい音が聞こえるくらいだ。死にはしないけど、たとえ短時間でも精神に影響が出るかもしれないよ)
彼女は地面に倒れ込み、後ずさりし始めた。
「ええっ!? やだ、やだ、じゃあ絶対やりたくない!」
「落ち着いて、物にはしないから……動物ならどう?」
「動物?……う、うん、それならいいかも」
「よし、選んで。キツネとネコ、どっちがいい?」
少女は立ち上がり、数秒考える。
「うーんと……キツネ!」
「分かった。じゃあ、じっとしてて」
Kaelianは近づき、火花の頭に手を置く。手袋をしているにもかかわらず、触れた瞬間に軽い不快感を覚えたが、痛みはなかった。火花の体が淡く光り、Kaelianは彼女の形を赤いキツネへと変えた。
「キャン、キャン」
「へへ、その姿、可愛いね。行こう!」
Kaelianと火花は森の中を走っていく。膝を痛めているため、Kaelianはどうにか走っている状態だが、火花が先回りして彼を待ち、また先へと進んでいく。森の中にいても、火花と一緒だとそれほど恐怖は感じなかった。
森の入り口に着くと、Kaelianは少し足を止める。遺産が尋ねた。
(Irethaになんて言うか、もう考えたのかい?)
「ううん……説教されるのは確実だけどね」
「キャン?」
「僕のそばを離れないで。僕がなんとかするから」
しかし、心の中ではこう思っていた。
(まだ寝ててくれますように)
家の扉が開き、すでに服を着替えたIrethaが慌てた様子で飛び出してきた。Kaelianの姿を認めると、すぐさま駆け寄ってくる。
「Kaelian!! どうしてこんな時間に外に出たの!?」
(あーあ)
彼女はKaelianの前にひざまずいた。
「どこにいたの? どうして服が濡れてるの!?」
「僕は……」
Irethaは説明を求めるように彼の体を揺さぶりながら言う。
「真夜中に外に出るなんて、一体どういうつもり!? 何を考えてたのよ、Kaelian!? こんな時間に外に出たら危ないじゃない!」
(Irethaに怒られたのはこれが初めてだ。僕は彼女を、みんなを救ったのに……どうしてこんなに……嫌な気分なんだろう?)
IrethaはKaelianの顔の擦り傷に気づき、視線を落とす。息を吸い込んでから、再び顔を上げた。
「どこにもいないと分かった時、死ぬかと思ったわ。急いで着替えて、みんなに知らせて捜しに行こうとしてたのよ」
Kaelianはうつむきながら答える。
「少し外の空気が吸いたくて。外に出たらこの子ギツネを見つけて、服を着て追いかけたんだ。途中で木の根につまずいて膝を痛め、木にぶつかって、葉っぱの朝露でずぶ濡れになっちゃった」
Kaelianの目から涙が溢れ出し始める。
「ごめんなさい、お母さん!」
手の甲で涙を拭いながら続ける。
「ぼ、ぼく……心配させるつもりは……ごめんなさい」
火花が前足を上げ、Kaelianの足に寄りかかる。
「キャン! キャン!」
遺産が言う。
(君の頭の中にいなかったら、その涙が本物だって信じ込んでたよ)
(静かにして、集中が切れちゃうだろ)
Irethaはため息をつき、自らの手でKaelianの涙を拭った。
「よしよし、もう泣かないの。あなたが泣くなんて珍しいから、本当に反省してるのね……でも、もうこんなことしちゃダメよ。危ないんだから」
Kaelianが頷くと、Irethaは続ける。
「あなたがあんまり賢いから、まだ五歳だってことを時々忘れちゃうのよね……何も考えずにこんなことをするのも、まあ普通なのかもしれないわね。さあ、お風呂に入りましょう」
IrethaがKaelianの手を引こうとすると、彼は尋ねる。
「このキツネ……飼ってもいい?」
「えっ?……野生の動物よ。森にいた方が幸せだわ」
「お願い……火花はいい子にするから」
「もう名前までつけたの?……」
すると、火花はすぐに家の中へ駆け込んでいった。
「もうっ……その話は後でね」




