36 救出
男と入れ替わるように部屋の中へ入ってきたのは、3人のガラの悪そう男たちだった。
彼らは下卑た笑みを浮かべ、アキの前に立ちはだかった。
「妙な格好しやがって」
少し訛りのあるアレス語で一人の男が言うと、アキの胸元をつかみ無理矢理立たせてきた。
アキの顎を掴んで上を向かせると、不躾に彼女の顔を覗きこんでくる。
「俺の趣味じゃないんだが……」
彼女は腹立たしさと悔しさでないまぜになりながらも、全身が恐怖ですくみ一言も発することができなかった。
これから自分の身に何が起こるかなど想像もしたくなかった。
目を開けていられなくなり、ギュッとつむったその時、遠くからかすかに犬の吠える声が聞こえてきた。
「なんだ?」
それはアキの幻聴ではなく、 男たちにも聞こえたようだった。
けたたましい犬の鳴き声はどんどん大きくなっていき、あっという間に戸の前までやってきた。
扉の向こうでしきりに吠える犬に、男たちは一斉に警戒するように体を構える。
アキを掴んでいた男が舌打ちをして顔だけそちらに向けたかと思うと、突然扉を蹴破る衝撃音が響いた。
間髪入れず二度目の衝撃音が続き、アキは思わずビクリと体を震わせて目をつむる。
砂まじりの床を踏みしめる音に恐る恐る目を開けると、下敷きとなった扉の上に、一人の男が殺気を纏わせて立っていた。
滑り込むように一匹の犬がはいってくる。
戸口に立つ男は薄暗い部屋の中からだと、廊下の明かりが逆光になり顔がよく見えない。
アキが目を細めて見ていると、先に部屋の中の男たちが動いた。
「なんだてめぇ」
ドスの効いた声で扉の近くにいた二人の男たちが短剣を抜き飛びかかっていく。
侵入者は手にした剣で素早く刃を弾くと、柄を思い切り男の鳩尾に打ち込んだ。そのまま無駄のない動きで反対側にいた男に刃先を突きつける。
その流れるような動作にアキが呆然としていると、彼女を掴んだままの男が動いた。
「おい、この女がどうなってもいいのか?」
相手を捉える切っ先はそのままに、ゆっくりとこちらに向いたその顔を見て、アキは思わず嗚咽を漏らしそうになるのを堪えた。
「アキ殿から手を離せ」
イゼルから地を這うような絶対零度の声が聞こえる。その顔は凍りついたように無表情だった。
「剣を捨てろ」
男が後ずさりながらアキの頬に短剣をつきつけると、イゼルは躊躇なく手から剣を離した。鈍い金属音が部屋に響く。
それまで自身に突きつけられていた剣が床に落ちるのを見て、男は慌ててそれを回収した。
その瞬間、ウーゴが飛びかかっていった。
「ギャッ」
思い切り急所に噛みつかれた男が、短く叫び声をあげて床に崩れ落ちる。
そのすきにイゼルは迷いなくアキに向かって大きく踏み込んだかと思うと、短剣を持つ男の腕を素早くつかみ思い切りひねりあげた。
あらぬ方向へ曲がる腕の痛みに耐えきれず、男はうめき声と共に短剣を落とす。イゼルが男の腹を蹴り上げると、アキを掴んでいた手が離れ、男はずるずると床に沈んでいった。
ふらついた彼女が尻もちをつきそうになったところを、イゼルが抱きとめる。
「間に合ってよかった。怪我は?」
「だ、大丈夫です。ありがとうございました」
イゼルは座り込むアキの両肩に手を置きじっと目を合わせる。緊張のせいか、彼の顔は驚くほど表情がなかった。
アキはしばし放心するも、我に返り慌てて立ち上がる。
「イゼルさん! もう一人誘拐された人がいます。少し前に別の場所に連れ去られたかもしれなくて」
「大丈夫です。そちらの方はファリスと先輩が後を追っています」
いつの間にか足元に寄ってきたウーゴの頭を撫でてやると、イゼルは三人の男を慣れた手付きで縛り上げていった。
緊張しこわばっていた体がようやく落ち着くと、今度は震えがとまらなくなってくる。アキがその場から一歩も動けないでいるのを目にし、イゼルが近づいてきた。
「枷を外します。動かないでくださいね」
彼はそう言ってアキの背後に回り、枷の継ぎ目に向かって剣を振り下ろした。バチッと何かを弾くような音がすると、それはあっけなく外れた。
アキが軽くなった手首をこすっていると、イゼルの腕がのびてくるのが見える。
彼は無言のままアキを引き寄せると、強く抱きしめてきた。服の上からでも、彼のせわしなく脈打つ鼓動が伝わってくる。
アキはそのたくましい背中に手を回すと、すがりつくように身を寄せた。
これ以上に安心できる場所を、彼女は知らなかった。
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。わずか数分か、それとも数十分か。ずっとこうしていたい、とアキがぼんやりと思っていた頃、耳に廊下を駆ける重い靴音が聞こえてきた。
「大丈夫か!?」
壊れた戸口からファリスが飛び込んできた。二人の姿を目にした瞬間、彼は見てはいけないものを見てしまったかのように慌てて視線をそらした。
「その、怪我は……」
「ないです。大丈夫です」
そう言ってアキが慌てて身を起こすと、イゼルは彼女を抱きしめたまま、ようやく口をひらいた。
「首尾は?」
「あ、あぁ。簡単につかまったよ。今とらえた馬車ごと兵団の方に連行している」
「シセリアさんは無事だったんですか?」
アキが口をはさむと、ファリスは力強く頷いた。
「あぁ、シセリア・ガドック殿は無事だ。特に怪我はないようだったが、王宮の方でこれから医療術師に見てもらう。モリナー殿も診てもらったほうがいい」
「あ、私はもう大丈夫なので……」
「診てもらいましょう」
ためらうアキに有無を言わせず、イゼルは素早く彼女の背と膝裏に手を差し入れて抱き上げた。
「ひっ」
いきなり変わる視界にアキは動揺して声をつまらせる。思わずイゼルの首に腕をまわしてしがみつくと、彼の端正な横顔が間近に迫っていた。
「……体、戻ったんですね」
今更ながらそのことに気づき、誰に言うでもなく呟く。
イゼルは彼女を見下ろすと、かすかに微笑んでみせた。
怪我もないし、もう震えも収まって歩けるのだが、アキはそこから降りようとは思わなかった。
かなり恥ずかしくはあったが、今はこの安心感を手放す気にはなれなかった。
イゼルはファリスに後を任せると、アキを抱き上げたまま部屋の外へと向かった。その後ろをウーゴが意気揚々とした足取りで付いてくる。
アキ達はどうやら半地下にいたらしかった。階段をのぼり外に出ると、アキの予想した通り、そこは記憶を失う前に見た建物ではなかった。辺りはもう薄暗くなっている。
イゼル達がどうやって探し当てたのか気になったが、硬い表情に戻ったイゼルに聞くのは何となく躊躇われたので、アキは黙ったまま大人しく馬に乗った。




