29 友情の芽生え
「ジェス! 大丈夫!?」
アキ達が必死で裏庭に駆けつけると、そこには茫然自失といった様子で膝をつくジェスがいた。彼女の周りには、ぴくりとも動かない兵士らしき男が三人転がっており、そのすぐ側で、トリヤーナが華麗に回し蹴りを決めている。後方へと吹っ飛ぶ男を、アキがまるでスローモーションでも見ているようだと思っていると、いつのまにか地面に転がる男の数が五人に増えていった。
「口ほどにもない」
トリヤーナは足元でうめく男たちを一瞥すると、ついたドロを払うように手をはたきながらそうつぶやいた。
騒ぎを聞きつけたのかいつの間にかギャラリーが集まってきていたが、その端で、彼女の殺気立った顔を見た一人の男が、慌てて逃げていくのが見えた。
アキとイゼルは呆然とその様子を見ていたが、ラデクはなぜか頭をかかえている。
「ジェス、魔力なしには手加減しないと駄目だと言っただろう」
「すみません。実戦は初めてだったので……」
ジェスはずり落ちた眼鏡をかけ直すと、ふらりと立ち上がった。彼女の瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいる。
「あの、怪我とかない?」
「ごめんなさい。咄嗟のことだったので……し、死んじゃったらどうしよう」
何か無体をされたのかと、アキはジェスに対して言ったのだが、彼女は動かない男たちの方を見て動揺している。
アキが近づくと、ジェスはよろよろと彼女に手を伸ばして抱きついてきた。
「こ、怖かったぁ……!」
震える細い肩を抱きとめてやると、涙腺が決壊したジェスはワッと泣き出してしまった。
我に返ったイゼルが男達の様子をさっと見て回る。
「ロット候補生、彼らは意識を失っているだけだ。骨にヒビが入っているかもしれないが」
イゼルの言葉に、ジェスはアキの胸からゆるゆると顔をあげた。ラデクがホッとした表情になるが、アキの顔は逆に青ざめていく。
「こいつら、ジェスさんをここに呼び出したかと思えば変な言いがかりをつけてきたんですよ」
トリヤーナがドスのきいた声で話しだしたので、辺りは一瞬水をうったように静まり返った。
彼女の話では、アキとラデクの目が離れた隙をねらったのか、ジェスは伝言を頼まれた男に何か耳打ちをされてここまで来たという。側にいたトリヤーナはその様子を怪しく思い、咄嗟に後をつけていった。
裏庭に来たジェスを待ち構えていたのは五人の男だった。
「お貴族のお嬢様が。場違いなんだよ」
男たちはジェスに暴言をはいた後、おびえる彼女に向かってヘラヘラと笑いながらその手を伸ばした。その瞬間、彼女は反射的に攻撃魔術を唱えたらしい。強い衝撃を受けてバタバタと倒れる男たちを見て、少し離れたところにいた二人が逆上してジェスに襲いかかる。そこをトリヤーナが躍り出ていき、打ちのめしていったところをちょうどアキ達が駆けつけて目にしたのが事の顛末だった。
「私の出る幕でもなかったようですが」
トリヤーナはジェスに歩み寄ると手をさしだしてきた。ジェスは一瞬、戸惑うような顔をした後、ハッとして自分の手も出す。二人はがっしりと固い握手を交わしたのだった。
「ファズーさんは、こうなるって分かっていたんですか」
「あぁ。昨日、モリナー殿に忠告を受けてから一応教えておいたんだが」
先程の口ぶりだと、ラデクはジェスが自分の身を守れることを分かっていたようだった。アキがラデクに問うと、彼は少し渋い顔になる。
現場で結界を施しながら、合間をぬってジェスに簡単な護身術を教えたらしい。飲み込みの早い彼女がすぐに術を覚えたところまでは良かったのだが。
「魔力が強すぎるんだよな……」
本の虫の彼女は、大抵のことは書物で学んではいたのだが、実際に術を施すことについては経験が浅かった。どうにも調整がむずかしいようで、最大出力で魔術を打ってしまうらしい。
軽く痴漢を撃退する程度のものだったはずが、何故か地面にはえぐれたような穴が無数にできていたという。
土砂を運びにきた何も知らない者たちは、地面に突如現れた謎の着弾跡を見て首をかしげていたらしいが、ラデクは素知らぬ振りをした。
こう見えて彼女はリーアンに憧れているので、希望している専門は医療術の予定である。
それからイゼルは一向に目が覚めない男五人を部下と一緒に運び出すと、トリヤーナの両親に騒ぎを起こした謝罪に出向いた。
「うちの娘がでしゃばったことを」
彼女の両親は、なぜか恐縮した様子で謝ってきたという。
「なるほど。副団長のご親戚とは」
イゼルはアキの話を一通り聞くと、納得したようにそう言った。
場がお開きとなり、その顔に疲労を滲ませながら駐屯地へ戻ろうとするイゼルを引き止めたのはアキだった。側にいたラデクがニヤニヤと笑っていたが、アキは「例の怪物の件でお話があります」とあくまで仕事であることを強調して言ったのだった。
「確かに、第一兵団を希望するには申し分ない技量をお持ちだとお見受けしました」
「あんなトリヤーナは初めて見たのでびっくりしました……」
イゼルはあの場で冷静にトリヤーナの繰り出す技の力量をはかっていたらしい。一方で、可憐な少女だとばかり思っていたアキは、少々ショックを受けている。
「まぁ、どうするかは団長たちが判断するでしょう」
そう言ってイゼルが話をしめくくると、話は本題へと入った。
「怪物の目撃について、何かありましたか」
「はい。今朝は報告書をありがとうございました」
アキが礼を言うと、イゼルはめずらしく照れくさそうな顔になった。
「あれは、あなたに会う口実がほしかっただけなんですが……」
今朝は慌ただしくて残念ながら叶わなかったと呟くイゼルに、アキもつられて照れだす。
自分を気にかけてくれていたのだということが、何ともくすぐったく感じられた。
「それを読んで思ったんですけど、呆れないで聞いてもらえますか?……」
ためらいがちに口を開くアキに、イゼルはスッと表情を戻すと頷いた。その視線にうながされるようにアキは続ける。
「目撃情報を聞いてると、まるで竜のことみたいだなって思ったんです」
黙り込むイゼルに、アキは慌てて手を横にふった。
「いや、あの、絶滅していることは私ももちろん知ってるんですが」
「……言われてみれば」
初めて得られた同意に、アキは少し勇気づけられて疑問に思っていたことを話す。
「でも何故か皆一様にコアトルだって言うんですよね」
しばらく考え込むイゼルは、ふと思いついたように顔をあげた。
「竜は500年前に絶滅していますからね。詳細な記録も残っていないし、この地域の人にとってはコアトルの方がよっぽど馴染みがあるからでしょう。俺もそうです」
「……イゼルさんのご実家ではコアトルを信仰しているんですね?」
思わずアキがそう言うと、イゼルは頷いた。ただし春先にまくのはパン粥ではなくバターミルクだという豆知識まで付け加えた。
「明日、その場所に行ってみましょうか」
アキがコンラスから言われているのは聞き取りをしてこい、というところまでである。彼女がまとめた調書を見て、どう判断するかはコンラスにゆだねられるはずだったのだが。
「この現場の指揮を任されているので俺の一存で動くことは可能です」
アキの思考を見透かすようにイゼルは言うと、彼女の指示を仰ぐように黙った。
「……ということはまた山に登るんですか?」
「前回よりはきつくないです。休みながら行けば初心者でも問題ない山です」
「あ、はい」
恐る恐るといった様子のアキにイゼルは気遣うように言うが、そういう問題ではない。初心者向けだろうが上級者向けだろうが彼女にとっては山に登るという行為そのものがネックなのだということに、イゼルは気づいていなかった。




