30 怪物の正体
翌朝、アキは直前になるまで雨でも降らないだろうかと思っていたのだが、彼女の願いも虚しく、青空には雲ひとつない絶好の登山日和となっていた。
憂鬱な気分でアキがジェスと連れ立って駐屯地へ行くと、そこには不服そうな表情のラデクがいた。
「何で俺も行かなきゃいけないんだ。こちとらお前と違って山育ちじゃねぇんだぞ」
「ここにいるなかで魔術師はあなただけだからです」
イゼルがにべもなくそう言うと、彼はグッとつまった。
「……やっぱりじじいに行かせりゃよかったぜ」
ぶつぶつと文句を言うラデクを無視し、イゼルはアキたちに地図をひろげて見せると、その日の行程を簡単に説明していった。
「山が崩れた所を避けていきます」
イゼルが赤い斜線の入った部分を示すと、そこを迂回するようにルートが書き込まれていた。
一度登ってしまえば、尾根伝いにいくような道になっており、そこに間隔の狭い等高線を一気に直登するような箇所は見当たらなかったのでアキはホッとした。
イゼルを先頭に、アキとジェス、ラデクを最後尾にして一行は出発した。
アレス山脈と違い、クルス山脈は山深く裾野に山塊がひろがるせいか、木立に続く山道は比較的ゆるやかだった。木々はまだ芽吹く前で、周囲の景色がよく見える。日陰の部分にはまだ少し雪が残っていたが、数日後には溶けるのだろうと思わせる陽気だった。
休みながら登ること3時間。アキたちはようやくがけ崩れが起きた箇所を見下ろす位置にまで来た。
崩落した場所のすぐ近くは山々に囲まれてすり鉢状になっていた。
「ここで昼食にしましょう」
昼まではまだだいぶ時間があったが、イゼルの指示に従って三人は待っていましたとばかりに腰をおろした。
「あーきつい。山なんて登るの初等科以来だぞ」
ラデクはどっかりと座り込むと、制服の襟元をくつろげて手であおいだ。
山岳の国ヴェルフェランでは、多くの学校で集団登山が行われている。美しく厳しい自然の中で多くを学び、山の素晴らしさを感じ、「また登りたい」という気持ちを育むという名目らしいが、大抵のものは「二度と山に登るものか」と思うらしいので教育としては少々失敗している感が否めない。
ジェスは肩で息をしているが、若さがあるのかまだ余裕があった。ちなみにお嬢様学校でも集団登山は避けられない行事なので、彼女も洗礼済ではある。
ひとり使い慣れない筋肉を酷使したアキは、背嚢に覆いかぶさるように身を預けぐったりと倒れていた。
イゼル一人が顔色ひとつ変えずに黙々と動いている。背嚢から携帯ストーブを取り出すと、小型の鍋で湯を沸かしだした。
「……それ、私物か?」
兵団で支給された野戦用食器とは違うそれに、ラデクが一瞥して興味なさげにつぶやく。
「カップもあります」
「なんで揃えてんだよ」
呆れた様子のラデクを尻目に、イゼルは人数分の金属製カップを取り出す。
「イゼルさん、山が好きなんですね」
「いえ、山が身近だっただけで。好きというか、習慣みたいなものです」
イゼルは首をかしげながらそう言うが、彼以外の三人は一様に困惑の表情を浮かべた。
それは、アキがイゼルの淹れた茶を飲みながらサンドイッチを頬張っている時だった。
尾根を渡る風とは違った空気の動きを感じ、彼女は何気なく目の前のサンドイッチから顔をあげた。その瞬間、瞳孔が縦にさけた大きな赤い目と視線が合う。生温かい空気が彼女に吹き付けられる。
凍りついた彼女の目と鼻の先に、馬よりも一回り大きい巨体が、空中に翼をはためかせて浮かんでいた。
(山でクマに遭遇したときはどうするんだっけ)
そんな疑問がアキの頭の片隅を過るも、巨体を前に体はぴくりとも動かせない。彼女の手からサンドイッチがぽとりとすべり落ちた。
竦んで動けない彼女をイゼルが猛スピードで抱え込むと、転がり込むようにして背後の岩陰へと押し込む。それと同時にラデクに急き立てられるようにしてジェスがすべりこんできた。
「え、コアトル?」
「……いや、もしかして竜か?」
ジェスが声をひそめて呟くのを、ラデクが迷いながら返す。
「竜ってこんな姿なんですか?」
「俺が知るわけないだろ」
ラデクは自身の制服の胸のあたりをぐいっと引っ張ると、ジェスに見せつけるようにした。
「ほら、これに似てるだろ?」
「……小さすぎてよくわかりません」
ジェスが眼鏡を押さえながら兵団の紋章を覗き込むも、かなり抽象化されており詳細まではわからない。
そこには、鳥の翼と長い尾を持ち、額に二本の角をはやした竜が、裂けたような大きな口を開けて威嚇するような出で立ちで縫い込まれていた。
目の前の動物に似ていなくもないが、こんなに雄々しい姿ではない。
落としてしまったサンドイッチをアキがうらめしく眺めていると、巨体は鼻をうごめかしてよたよたとそこに近づいていった。
「収穫祭のハリボテとは何だかイメージが違いますね……」
くちばしの様な大きな口を開け、目の前でサンドイッチを美味しそうに咀嚼する竜を見て、アキは思ったことを口にした。巨体はまだ物欲しげにこちらを見ながら首をかしげている。
グルルルル
喉を鳴らすような音が聞こえてくる。
「モリナー殿、何を言ってるかわかるか?」
「いや、動物(?)はちょっとさすがに……」
ラデクが真剣な表情でアキに問うが、彼女は即座に首を振った。
アキの言語能力は人にのみ発揮される。残念ながら目の前の竜が発する声は、ただの鳴き声にしか聞こえなかった。
「これも食べますかね」
「おい、野生動物を餌付けするんじゃない」
ふと思いたったジェスが手に握りしめていたサンドイッチをちぎって投げると、竜らしき巨体は大口を開けて見事にキャッチしてみせた。「ちょっとかわいくないですか?」と喜ぶジェスにラデクが何やら注意している。
イゼルがその様子をしばらく見ていたかと思うと、岩陰からゆっくりと立ち上がった。
「イゼルさんあぶない!」
「え、お前なにしてんだよ」
引き止めるアキたちを手で制し、イゼルはポケットの中に手をいれて何かを取り出した。そのまままっすぐと竜に向かって歩いていくと、手のひらを差し出した。
竜は鼻息荒くイゼルの手のひらを嗅ぐと、蛇のような長い舌を出して何かを舐めとっている。
「これは、草食動物のようですね」
竜がその巨体をイゼルに擦り寄せておかわりをねだってきたため、若干ふらつきながら彼はそう言った。行動食に持っていた干し果物がお気に召したようだった。
イゼルが羽の付け根のあたりを軽く掻いてやると、巨体は地べたに寝転がりいとも簡単に腹を見せてきた。その様子を見て、ラデクはつぶやく。
「あぁ、そりゃ絶滅もするわな」
それからイゼルは竜と共に近辺の様子を探りに行った。
三十分程して戻ってきた彼の肩には、何故か小さな竜が乗っていた。
ラデクは一瞬何かを言おうとしたが、突っ込む気が失せたのか口を閉じた。イゼルは特にそのことには触れずにアキの方に近づいた。
「ちょうど咲いていたので」
アキの手に何かが手渡される。それは、この国で春一番に咲くと言われている青い釣鐘型の小さな花だった。
気が利いているのかはよく分からないが、アキが礼を言うとイゼルは少し嬉しそうな顔をした。
「春なんですねぇ」
思わずほのぼのとした気分でアキが言うと、側でラデクが「さっさと状況を報告しろ」とせっついてきた。
「奥の窪地にどうも竜の集落があるようです」
怪物騒動は、土砂崩れで彼等の住処が人里からも見えやすくなってしまったためのようだった。
イゼルはラデクと相談し、ひとまず周囲に人目をさけるための幻術を施すことにした。
「どのみちこの付近は当分立入禁止だから、あとはどうするかはじじいに任せよう」
ラデクが術をかけ終えると、日は丁度真上を過ぎた頃になった。
「山は午後から天気が崩れやすくなるので」とイゼルが時間を気にしだしたので、一行は下山することにした。
「では行きましょう」
「おい、それは元の場所にかえしてこい」
先頭に立って、今まさに出発しようとするイゼルの肩をラデクが指さす。そこには相変わらず小さな竜がちょこんと行儀よく乗っかっていた。まるで最初からそこにいたかのように、すました顔をしている。
「そうは言っても勝手についてきたのですが」
イゼルはそう言うと、渋々といった様子で肩から竜をおろした。
「悪いな、お前をつれていくことは出来ない」
「情が湧いてんじゃねぇか」
妙に悲哀に満ちた表情で言うイゼルに突っ込むと、ラデクはしっしっと竜を追い払うようにした。その瞬間、竜が鳴いた。
「ワンッ」
「え、犬?」
聞き覚えのあるそれに思わずアキがこぼすと、竜はしっぽまで振りだした。その鳴き声は、明らかに目の前の竜から発せられたものだった。
ラデクは一瞬虚をつかれたようにかたまると、何かを察したのか盛大に顔をしかめてきた。
「……この感じには覚えがある」
ラデクは急に態度を変えると、しきりに犬の鳴き声で吠える竜をひっつかみイゼルの背嚢に押し込んだ。
下山して駐屯地に着くと、そこは撤収作業の真っ最中で多くの人が行き交っていた。戻ったイゼルたちを目にした一人の若い兵士が声をかけてきた。
「お帰りなさい。上の様子はどうでした?」
「特に問題はなかったが、落ち着くまでは当分立ち入り禁止区域になるだろう」
「ワンッ」
イゼルが状況を説明すると、背嚢の中から竜が返事をするように鳴いた。
「おやワンちゃんですか」
「あぁ。子犬を拾ったんだ」
イゼルは内心の焦りをおくびにも出さず、いつもの無表情ともいえる顔でそう言うと、竜が外に出てこないように背嚢の雨蓋をしっかりと押さえ込んだ。
青年はそれ以上は何も追求せずに、側にいたアキに顔を向けた。
「そういえば隊長、昨晩はモリナー秘書官と合流できて良かったですね」
「ヨアン」
昨日の朝、アキにイゼルからの預かりものを渡した青年はそう言うと、少し顔を赤らめた。アキは昨晩のことを思い出し、羞恥で穴があったら入りたい気持ちになる。イゼルの声が地を這うように低くなるが、青年はあまり気にしていない様子だった。
「いやぁ、だって隊長、すごいお会いしたがってたじゃないですか」
「ヨアン、任務中だ。業務に戻れ」
そういえば、とアキはやっと思い出した。この青年は、かつて見合いの身上書を返しに兵団の詰め所に出向いたアキに対応してくれた兵士だった。
ヨアンはいまいち分かっていない様子で鬼の形相のイゼルに追い立てられていった。




