海竜王
薄く青くぼんやり光るそれは雌竜の鱗から引き出した力の加護のおかげだろうか。神殿自体は白い石を積み大理石を貼った白亜の神殿だ。そこに雌竜の力が宿り、薄く青く光る。
進行方向に対し左手側の一面だけ壁が取り払われていて天井を支える柱しかない。落下防止の柵さえなく、その下は断崖絶壁、そして荒れた海面だ。
押し寄せる波を遮る扉すらないそこから日光が差し込む。波の照り返しが天井の大理石に反射して光が柔らかく揺れている。
潮風が直接入り込んでいるというのに、神殿は潮風に侵食されて劣化している気配はない。今しがた建てられたばかりのような、磨かれた鏡面のような大理石が映える美しい作りとなっていた。
「桟橋まではあれほど荒れてたのに」
加護の外である桟橋は荒波に洗われていた。濡れてぎしぎしと鳴る木の桟橋は古く劣化して、いつ踏み抜いてしまうかと心配しながら進んでいたというのに。
それとは対照的な穏やかさだ。天井を支える柱しかない左手側の壁の外は荒ぶる海面なのにだ。神殿の内外でこれほど隔たっている。荒ぶる雄竜が起こす波濤の海を遮断する雌竜の力に舌を巻く。
これが神の仕業ではなく、神より格下の獣の仕業なのだ。それでは海竜より上に立つ神の力とは一体どれほどのものだろうか。そしてそれを従えるアッシュヴィトの力。それを凌ぐ猟矢の力。そこまで考えたアルフは途方もないなと心のなかで苦い呟きを漏らした。
「しかしまぁ広いな」
神殿の扉をくぐって歩いてもうしばらく経つ。天井を支える柱以外視界を遮るものはないのにまだ先が見えない。振り返れば入り口の扉が手のひらほどの大きさだ。
こんなに広いのは避難施設としての役割のためだろう。ミーニンガルドの住民を収容するためだ。よくよく柱を見れば、天幕を結わえ付けるための金具が各所に打ち込まれている。この金具に天幕を結んで簡単なテントを張れるようになっているのだ。
「お、階段」
成程。1階は避難施設のためのスペースだということか。ナルド・リヴァイアに礼拝する神殿の機能は上階にあるのだろう。
避難施設として使用する時はここに衝立を立てて区切るのだろう、不自然に段差がついた踊り場に踏み入る。足元を照らすように踏み板がひときわ強く輝く。
まるで導くように行先を照らす階段を登って2階へ。そこから回廊を少しばかり歩き、螺旋階段に出る。早く来いと言いたげに明滅する螺旋階段を登る。
波の音にまぎれて人の話し声が聞こえてくる。おそらく領主がナルド・リヴァイアと会話している声だろう。
「そうだろうそうだろう………ナルド海の竜の王、海竜王は…………おやおや?」
階段を最上段まで登りきったと同時に領主ナクアブル・ヤチェが振り返った。
まず目についたのはうなじのあたりで切り揃えた短い青い髪だ。鮮やかな髪色を持つのはベルベニ族だけである。その特徴からするに彼女はベルベニ族なのか。
自由を愛するベルベニ族がひとところに留まるということは珍しい。領主という地位ならなおさら。更に言うならばベルベニ族の信仰は風の属性であり、海竜が守護する水の属性ではない。つまり、彼女は種族も信仰も曲げてここにいる。否、いさせられているのだ。
「私など風の終着点、"吹き溜まり"ですよ」
守護という役割のため、海竜は選定した人間をこの地に留め置く。種族も信仰も曲げさせて。
荒波を率いる海竜に囚われてしまった身分を自嘲しつつ、領主は軽く頭を下げた。
「はじめまして。初にお目にかかる。ミーニンガルドが領主、ナクアブル・ミーニンガルド・ヤチェと名乗り申し上げます」
表現が重複するのは癖なので許してほしい。反復語が多いので文字通り話半分聞くだけで結構と言い添えた。
アッシュヴィトに向け頭を下げた領主は、顔を上げて猟矢を見る。真っ直ぐに。そのことに猟矢はひどく驚いた。
領主にはこの中のうち誰が旗印となる人間なのか伝えていない。男ということは伝聞されているだろうが。だからさっきの門番のようにアルフを見ると思っていた。その予想を裏切って領主は猟矢を真っ直ぐ見たのだ。
「そちらの貴方が東方大陸、ディーテ大陸の結託の同盟の象徴の旗印の少年でしょう」
「あ…えっと、はい、そうです」
戸惑いがちに猟矢が頷く。どうして領主は言い当てることができたのだろう。お世辞にも凡骨としか見えない少年だというのに。
いったいどうしてと不思議そうな猟矢に領主がふと微笑む。深海の色をした瞳が微笑ましさに緩んだ。
「容易で簡単なこと。事前に姿形の容姿を聞かされていたもので」
黒髪黒目の少年と聞いていた。アルフは茶髪だ。だから猟矢に行き着いたのだと。
何かしらの神秘的な力だとかで当てたわけではない。特に種も仕掛けもない単純なことだ。
「わざわざご足労来ていただき有難く感謝いたします。ナルドの海の竜の王、海竜王との対話の時間は外せないもので予定をずらすわけにはいかなかったのですよ」
毎日この時間に海竜との対話が必要なのだ。1日欠かせば雄竜は不機嫌になり、2日欠かせば怒り始め、3日欠かせばミーニンガルドは海に沈む。なのでこの時間だけはどうしても外すわけにはいかなかった。
ちなみに対話は長い時で半日を超える。ナルド・リヴァイアの機嫌次第なのでいつ終わるかもわからない。
「あの暴れん坊の悪童は我くらいしか話し相手がいませんからね」
番の雌竜ははるか海の彼方。同じ海といえど距離は遠い。毎日会いに行くには骨が折れる。遊び相手を探そうにも自身が立てる荒波がすべてを打ち砕いて藻屑にしてしまう。なので日々の相手はもっぱらミーニンガルドの領主となるわけである。領主となるものだけが雄竜の言葉を理解できる。
しかしそれにしてもあのナルド・リヴァイアを暴れん坊だの悪童だのとは。とんでもないことを鷹揚な話口調でしれっと言ってのける。
「まぁまぁ我に挨拶のため寄る手間も省け略せたことでしょう。さて」
冗長な前置きはここまで。本題に入るとしよう。話題を切り替えるように、ぱちん、と領主は手を打った。
「出ませい、猛き荒海の竜の王、海竜王、ナルド・リヴァイア」




