先輩と後輩
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「よっちゃん、久し振りだね 」
「ええ、すっかりご無沙汰しちゃって 」
吉岡は久方ぶりに 丸の内の半地下のバーに足を運んでいた。前回来たときは まだ半袖を着ていたが、今はすっかり上着が恋しい季節になっていた。
「いつものでいいかい? 」
「はい。お願いします 」
吉岡はマスターに飲み物を注文するとハイスツールに腰掛ける。店内をを少し見回すと、既に時刻はだいぶ深くなっているからか 客はまばらにしかいなかった。
「よっちゃん。今日は一人かい? 」
「いえ。後程 連れが来ます…… 」
「おっ、珍しいね。女の子かい? 」
「いや、まさか。こんな時間なんで、さすがに連れ出したり出来ませんよ 」
吉岡の返事を聞いたマスターは一瞬目を丸くしたが、当の本人は自分が墓穴を掘ったことにも気づくこともなくドイツビールに口をつけた。ビアバーでもあるこの店の飲み物は品質管理と温度管理が徹底されていて、口の中に一気に芳醇な麦の香りが広がった。
「マスター、今日も旨いです 」
「そう言ってもらえると嬉しいよ 」
マスターはニコリとして礼を言うと、また次の客の酒を作り始めた。氷をクラッシュする音、リキュールを注ぐ音、シェーカーが振られる音、日常では触れることがないこの環境のすべてが心地良かった。
吉岡が暫く空間の余韻に浸っていると、カランカランカラン……とドアが開く音がした。後方から少し世話しない足音が聞こえてきて、吉岡は後ろを振り向いた。
「吉岡さん、すみません、遅くなって 」
「おっ、野上 」
野上は息を切らしながら吉岡の隣に着席する。ぱっと見た印象ではあるが、夏場に会ったときよりも一段と顔のラインがシャープになっている気がした。
「ご無沙汰してます 」
「野上と会うのは、めちゃくちゃ久し振りだよな? 」
「ええ。夏に例の合コンの前にお会いして以来ですかね 」
「そうだな。あれからもう五ヶ月くらいは経ってるよな。野上は確か飲み物は生でいいんだっけ? あと、腹に溜まりそうなものも頼むか 」
「あっ、いや。自分は飲み物だけで十分なんで 」
「お前はどうせ 最近はマトモに食ってないだろ? それにちょっと痩せ過ぎじゃないか? 」
「あはは。自分じゃ自覚はないんですけどね 」
野上は吉岡の提案を控えめに遠慮すると、うっすらと苦笑いを浮かべた。若いうちは多少食べなくても体力で押しきれるが、そのうちそうもいかなくなることは吉岡も既に経験済みだった。
「本当にその節は、吉岡さんと神宮寺先生には感謝してもしきれません。お二人がいなければ、俺と息吹は出会うことはなかったんですから 」
「いや、別にそこまで言われるまでのことでは 」
「いや、俺にとっては人生の一大事ですから。この恩はいつか必ず返しますからっっッ 」
野上は軽食のオープンサンドを頬張りながら、もはや普通に食事をしていた。
そういえばの話ではあるが、朱美に懇願されて開催した合コンで、野上は朱美の友達である山辺息吹と出会い交際するようになった。しかし肝心の朱美と自分は幹事であるにも関わらず、週刊誌に出た記事のとばっちりでパパラッチに遭って、えらい迷惑を被った。もしもあのとき朱美が合コンに行って、自分以外の人間に興味を抱いていたら……今ある未来は違ったものになっていたのかもしれない。
「でさ、野上。今日 俺を呼び出した用件は何だよ? 」
「ああ。実は折り入って吉岡さんに相談があって 」
「相談? 」
「はい、単刀直入に言います。どうやったら彼女に同棲しようってスマートに誘えますかね? 」
「ブッっっ! 」
吉岡は野上の発言を聞くなり反射で吹き出すと、慌ててお手拭きを広げて辺りの体裁を整えた。
「あの、大丈夫ですか? 」
「ツッコミたい点は多々ある 」
吉岡は振り絞るように言葉を選ぶと、ハアと大きく溜め息をついた。何かしらの相談であることは想定していたが、同棲の二文字が繰り出されるとは選択肢には用意をしていなかった。
「まあ、同棲するとしても、最短で来年の四月からですけどね。僕のアパートの更新が三月で切れるんで。誘うならこのタイミングかなー、と 」
「なるほど…… ね 」
「それで吉岡さんに相談したいと思いまして 」
吉岡は数秒で一気に老け込むと、マスターに飲み物の追加を要望した。
こっちはファーストステップを越えられなくてずっと悩んでいるというのに、四つも年下のヤツにそんな相談をされるとなると精神的に堪えるものがある。
「つーか、展開が早くないか? まだ交際して半年も経ってないだろ? 」
「でもそうしないと、なかなか会えないんですよ。あっちは土日は基本休みだけど夜勤ばかりだし、自分は比較的昼間に活動してて不定休だから。月に二、三回会えればいいほうですよ? そんなの寂しくて無理でしょ? 」
「おまえ、どんだけだよ 」
「だから一緒に住めば少しは近づけるかなーと。ただ経済的な部分では、暫く向こうに負担は掛けちゃうと思うんですけど 」
「野上って、今いくつ? 」
「もうすぐ二十四です 」
「まあ、最初は仕方ないんじゃない? 年齢はどう足掻いても追い越せないし 」
吉岡は半ば職務放棄で適当にアドバイスをした。というか、この手の話の場合は外野がとやかく言っても 本人の中では答えが決まっているから、この段階で何かアドバイスをしても大抵はあまり意味がないのだ。
「だいたい何で俺に相談するんだ? もっと相応しいヤツなんかお前の周りにはいっぱいいるだろ? 」
「何でと言われましても。つーか、先輩たち半同棲中みたいなもんですよね? 」
「ブッっっ 」
吉岡は野上のブッ込み発言を聞いて また同じ過ちを繰り返すと、再びテーブルを拭き直した。吉岡は野上の歯に物着せぬ発言の数々に完全に振り回されていた。
「なんでっ、そうなるんだよっッ 」
「だって週の半分くらいは、神宮寺先生のお宅に泊まり込んでますよね? 」
「それはっ、アイツが締め切り守らないから監視しなきゃいけないからであって 」
それなら泊まらなくても良くないか? と野上は思ったが、それはここで言ったところで完全に愚問なので黙っておくことにした。
「でも息吹から聞いたんですけど、先輩と神宮寺先生って交際してるんですよね? 」
「っ…… 」
ゴツンっッ
「ちょっ、なっ、なんで殴るんですかッ!?」
「…… 」
吉岡はもはや反射で、野上に鉄拳を加えていた。
「ま、まさか…… やっぱ好きじゃないとか? 」
「なんでそうなるんだよ。そんなわけねーだろ 」
「じゃあ、何で自分殴られたんですか? 」
「それは 」
「まさか、まだ何もしてない……とか? 」
「…… 」
吉岡は無言のまま、今度は野上の両頬をつねると全力でグーっと横に引き伸ばした。とにもかくにも このお喋りガリガリ野郎を一刻も早く黙らせたかった。
「痛っッ! つーか、このリアクションってことは図星じゃないですか!? 」
「煩いな。俺のことは放っといてくれ 」
「っていうか、それって健全じゃないですよ!? なんで何もしないで平気なんですかッ? 」
「……あのなあ 」
吉岡はそう言うと両手を離して、野上を自由にする。野上が何気なく発した、健全じゃないとか、そういう単語がいちいち胸にグサグサ刺さって痛かった。
「さすがにゼロじゃない 」
「ゼロじゃない? とは? 」
「だから…… その…… 」
「あの、さっきから聞いてたら先輩たち順番がメチャクチャじゃないですか? 僕、自分たちが凄く真っ当に思えてきたんですけど 」
「あのな、俺は…… 」
「だいたいヤっちゃってるなら、別に今さら何を気を揉むんですか? 相手も了承してそういう流れになったんなら、今さら気にしなくても…… そんなんだからワンナイトばっかになるんですよ? 」
「なっッ 」
野上は再び野上の頬をつねると、取り敢えず悪気のない暴言の数々を粛清した。
「あのな、俺はまだキスしかしてないっッ!! 」
「……はあ? 」
「お前、一体俺のこと何だと思ってんだ? 」
「女性と続かない人…… って、痛たたたー 」
野上もこれだけ暴力を振るわれても年上相手に怯むことがないのだから、なかなかの肝の座り方なのだと思う。
「そういう感じになってから、タイミングが掴めない。仕事のパートナーだった時間が長すぎて。つーか、最初はマジで何とも思ってなかったし 」
「……吉岡先輩。もしかして逆ギレしながら、実はかなり悩んでます? 」
「悪かったな。野上の言う通りだよ 」
吉岡は心のうちを少しだけ白状すると、頬の拘束は弛めないまま盛大に溜め息をついた。




