第五章 2話
到着すると、ある部屋の前で一人のメイドが腰を抜かせて座り込んでいた。
「何があったの?」
ヴィオが声をかけると、メイドが声を震わせながら言った。
「ヴ、ヴィオ様……あ、あれを!」
震える手でメイドが室内を指差す。ヴィオが視線を向けると、そこには血だまりの中に倒れる男性の姿があった。
「お父様……!」
ヴィオが驚き声を上げる。
何事かとどやどやと人が集まってくる。みなは室内で倒れる国王を目の当たりにし、思わず息をのむ。
とっさにエルスリンが剣を抜き、バノフォンに詰め寄る。だがバノフォンは慌てて首を横に振った。
放心した様子のヴィオが、おぼつかない足取りで室内へ立ち入ろうとする。
「待ってください!」
アリルは大きな声を出して呼び止める。みなの注目がアリルに集まる。
大きく深呼吸をしてから、アリルは声を張り上げた。
「王を殺した犯人は、この中に居ます!」
そう宣言すると、周囲にどよめきが起こる。
みなが騒ぎ出す中で、エルスリンがアリルに尋ねてくる。
「アリル様、犯人とは誰なのですか……?」
「ちょっと待ってください」
アリルは考える。ただ単に、さっきの決め台詞を言ってみたかっただけだった。推理などみじんもしていない。
周囲の人たちがじっとアリルに視線を注いでくる。仕方なくアリルは、とりあえず集まってきた人の中で一番気が弱そうな太ったおっさんを指差した。
「あなたが犯人です!」
力強く言ってのける。指名されたおっさんが激しく狼狽する。
「わ、わしが犯人なわけなかろう……!」
「捕まえて処刑しろ、兵士を呼んでこい!」
誰かがそう叫ぶ。それを聞いた太ったおっさんは、慌てるようにしてこの場から逃げ出した。
アリルは声を張る。
「逃げたということは、身にやましいことがあるに違いありません! すぐに捕まえてください!」
駆けつけた兵士たちが、すぐさま太ったおっさんを追いかけていく。
集まっていた人々がアリルに拍手を送ってくる。
「すばらしい推理だったわ、アリル」
ヴィオに褒められて、アリルは嬉しくて笑顔になる。
やがて捕まった太ったおっさんは、犯行を自供した。
「あの憎き王を討つことが、わしの長年の夢だった。完璧なアリバイとトリックを用意しておいたのに、あっけなく捕まるとは……!」
裁判の結果、太ったおっさんはブラバクト国へ追放されることになった。悪人はすべてブラバクトへ送り込む。これが最近の基本方針だった。
なお国王は死んでいなかった。奇跡的に一命を取り留めていたのだ。
治療を受け、今はベッドで横になって休んでいる。そんな王に、ヴィオはずっとつきっきりで看病をおこなった。
意識を取り戻した国王が、かすれるような声でヴィオに伝えた。
「わしは、老いた。できることと言えば、ブラバクトの悪口を言うことだけ。わしはもう、国を治める器ではない」
「自覚があったなんて……」
驚くヴィオに、王はかすれながらも、力強い口調で告げた。
「ヴィオよ。おまえが次の王だ」
その言葉にヴィオが目を見開き、驚きのあまり王の傷口を叩いてしまう。王が甲高い悲鳴を上げる。
「で、でもお父様、わたくしよりも、お兄様やお姉様の方が王には向いてるのでは――」
「あやつらは駄目だ。兄の方は出来心から万引きをして捕まり、姉の方は冒険家になると言ってどこかへ旅立ってしもうた。ヴィオ、おまえだけが頼りなのだ……」
しばらく考え込んだヴィオだったが、やがてちらっとアリルの方へ視線を向けてくる。アリルがお菓子をつまみながら、ジュースを飲みつつこくりと頷くと、少しして彼女は頷きを返してくる。
王に向き直ると、ヴィオはりんとした声で伝えた。
「お父様、分かったわ。わたくしがこの国を治めます」
「おお……!」
「けれど一つだけ条件が」
「なんでも言っておくれ」
「アリルを宰相として迎え入れるわ」
飲んでいたジュースをアリルは噴き出す。
王がアリルへ視線を向けながら口を開く。
「それほど、おまえが信頼できる者なのだな」
「ええ。彼女に何度救われたことか。武術の腕、人柄、人望、こころざし、どれをとっても彼女に勝る者はいないわ」
慌ててアリルは否定する。
「わたしよりエルスリンさんの方が武術は上ですし、人柄はティさんがすごいですし、ヴィオさんの方が当然人望を集めてますし、こころざしとかたぶん誰かすごい人がいますし!」
「その謙虚さ、それもあなたのすばらしいところよ」
ヴィオが優しい笑みを浮かべる。
ぽんとエルスリンがアリルの肩に手を載せてきた。
「アリル様、あなた様ほど適任な方もいらっしゃいません。サッカーで大活躍をおさめた上に、王殺しの犯人を突き止めたことで、この王宮でもあなた様の評判はすばらしいものです。きっとみなは受け入れてくれるでしょう」
エルスリン、ヴィオ、そして王の視線がアリルに集まる。
あ、これはもう断れない雰囲気だ。
察したアリルは、投げやり気味に笑みを浮かべる。
「いい笑顔だ」
と王が褒めてくれた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
新しい国王の挨拶がある。その話を聞いた市民たちは、王宮前に大挙して押し寄せた。
王都全体が新しい王を歓迎すべく、お祭りムード一色に染まっている。
もうすぐ挨拶の時間だ。
華やかな衣装に着替えたヴィオは、とても落ち着いた様子だった。隣に座るアリルに柔らかい笑みを投げかけてくる。
「挨拶はあなたにもしてもらうわ、アリル」
「無理です」
即答するが、ヴィオが笑顔のまま首を横に振る。
「国民たちに、あなたのことをよく知ってもらいたいのよ」
「……分かりました、わたしが何者か、はっきり伝えればいいんですね」
アリルは覚悟を決めた。
この機会を逃せば、もう二度とこんなチャンスは訪れないだろう。
ヴィオがここまで自分のことを信頼してくれているのに、いつまでも欺き続けるわけにはいかない。打ち明ける代償として自分がどんな罰を与えられるかは分からなかったが、アリルの決意は固かった。
ヴィオが宮殿のバルコニーに立ち、姿を現す。
市民たちから歓声が上がる。
堂々とした様子でヴィオが演説を始めた。
市民たちはそれに聴き入る。
ヴィオは学園に通ったことでどのようなことを学んだのかを情熱的に語り、そして最後に宣言した。
「わたくしが王として最初におこなうこと。それは、わたくしの最大の理解者にして、最高のパートナーであるアリルを紹介することよ。さあ、アリル、来なさい」
市民たちからいっそうの歓声が上がる。
緊張した様子でアリルは足を動かし、ヴィオの隣に並ぶ。
しばらくアリルが黙ったままでいると、ヴィオがひじで小突いてくる。
アリルは決心して、口を開いた。
「わたしは――いつか、ヴィオさんのことを殺すでしょう」
その言葉にしんと市民たちが静まりかえる。だがすぐに、がやがやと騒がしくなる。
アリルは声を張り上げ、言葉を続けた。
「けれど、殺すのは今じゃありません! そのときが訪れるまで、わたしはヴィオさんのそばにいて、彼女を守り続けるでしょう。それがわたしに課せられた、使命なのだから!」
その言葉に群衆たちがわっと沸き立つ。
「ヴィオさんを殺すのはわたしです! ほかの誰にも、彼女を殺させはしません! 暗殺者が居るならかかってきなさい、まずわたしが相手になります。ヴィオさんには指一本触れさせませんから!」
市民たちから『ア・リ・ル、ア・リ・ル!』の大合唱がわき起こる。隣では感動したヴィオが涙を流している。
アリルは小声でヴィオに話しかける。
「すみません、ヴィオさん。今までわたしの正体を黙ったままで。どうかわたしのことを、罰して――」
その言葉を遮るように、ヴィオがアリルのことを抱きしめてくる。群衆たちが今までで一番の盛り上がりを見せる。
「ありがとう、アリル。あなたに出会えて、本当に良かったわ」
耳元でそっとヴィオがそう伝えてくる。
こうしてヴィオとアリルの挨拶は、大盛況のまま幕を閉じた。