番外編 : 後輩思う、故に彼あり
12月12日に「聖女の、妹」書籍版が発売致します。
詳しくは16年12月2日の活動報告をご覧いただけると嬉しいです。
「ずえーーーったい、彼氏ですってぇ!」
ズズイ、とカウンターに身を乗り出して叫んだのは新見莉香。翠と同じ書店でアルバイトをしている、女子大生である。
小さな書店の中には、客の一人もいない。冬の寒さを感じさせない明るい声を張りながら、莉香は拳を握る。
「えーそうかなあ」
対して、カウンターの中で首を傾げたのは、書店の店主――つまり、莉香の雇い主だった。初老の細身の男性は穏やな口調で莉香に接する。
「僕にはいつも通りにしか感じないなあ?」
「通りじゃないですってぇ! だって最近バイト終わるとすぐ帰るじゃないですかぁ!」
「前までも、終わったら一秒も残業せずに帰ってたじゃない」
本をはたく為のはたきで、ポンポンポンと三度肩を叩くと、莉香は“いかにも”な風情で首を横に振った。
「まぁったくテンチョは何にもわかってないんですからぁ。いいですか? 『今日何食べて生きていこ』にしか興味ない、あのみどちゃんセンパイが、ゲームに、ゲームに! 興味持ったんですよぉ? しかもこんな長い間投げ出さずに、コツコツ進めてるんですよぉ!? ずええーーーったい、彼氏の影響ですって!」
名探偵の名演技はさらに続く。
「それに話を聞く限りじゃ、みどちゃんセンパイが一人でやってる風じゃないんですよねえ。最初はお友達かな、って思ったけど、こんな長いこと二人でイチャイチャRPGしますぅ? せんでしょ?? だったら、男ですって!」
手荒く、名探偵が状況証拠を並べていく。
「何と言っても……帰宅時間近くなったら、チラッチラ時計見るんですよぉ!? もうこんなん、絶対恋する乙女じゃないですかぁ!」
やだあ私のみどちゃんセンパイがぁ! と、悲鳴なんだか嬌声なんだかわからない声をあげる名探偵に、店主は眼鏡の奥から呆れた視線を送る。
「君は本当に早乙女君が好きだねえ」
「そりゃあ! テンチョの500倍は好きです!」
にこっと笑うバイトに、店長はカラリと笑った。
「ははは、そりゃあいい。まあ、事実は小説よりも奇なり、というし――君が想像できないようなことが早乙女君に起こっているって可能性も、無きにしも非ずだ」
「例えば?」
「例えば、そうだなあ。殺人事件に巻き込まれていたり……」
「そんな大事なってたら、ゲームしてる暇なんかないじゃないですかぁ!」
「じゃあ、殺人犯を匿っているのかも。暇つぶしにゲームさせてたりね」
「まあったく。テンチョは小説、読みすぎですよぉ」
書店の店長に言うにはいささか乱暴すぎる言葉で締めくくり、二人は仕事へと戻った。
***
「こんにちは~」
おっと、と店に入って来た翠が口を塞いだ。先にバイトに入っていた莉香が、カウンターで電話で対応をしていたからだ。
「……はい、はい。承知いたしました。ご来店、お待ちしております」
莉香が電話をしている間に、翠が着替えを済ませていた。と言っても、ハンガーにかかっているエプロンを纏うだけである。ガチャン、と電話を切り、莉香は翠に小声を向ける。
「こんにちはぁ。お疲れ様っす」
「お疲れ様。今日はリカちゃんと一緒なのね」
翠は既に手を動かしている。
莉香は客を見た。文庫棚に二人、参考書棚に一人。どの客も、まだレジに来る気配はない。
レジを任せようにも、店長は先ほど「ちょっと出てくるね。閉店までには戻るから」と言ったっきり帰ってこない。
――御用の際には呼び鈴を。
そう書かれた立て札と呼び鈴をカウンターに置くと、莉香もレジを離れた。
追加分の段ボールを開け、差し込んでいく。間に、翠の姿をちらりと盗み見。
莉香よりもいくらか背の高い翠はそれほど肉もついておらず、スラリとしている。どちらかといえば「こじんまり」という言葉が似合う莉香には、その立ち姿だけでも憧れるものがあった。
その翠が、真剣な顔をしてとある雑誌を見つめていた。こっそり聞き耳を立てると「買うべきか……いやでも……」と小声で呟いているようである。
何をだろうと、翠の手元を覗き込む。そこには莉香が以前翠に見せた、ゲーム雑誌があった。
「買ったらばれるよなぁ……ゲームって……」
「何がですぅ?」
「っ!」
突然現れた莉香に驚いたのだろう。翠が息を呑んで振り返る。
「り、リカちゃん、びっくりした……驚かさないでよ」
「えへへ」
褒めてないから。と呆れ顔で突っ込んだ翠と、手元の雑誌を見比べる。
「“聖女降臨”の情報ですぅ? 今週号、結構特集してるんでお勧めですよぅ」
莉香はもちろん、毎週発売日に買っている。多くのレーベルが発売する旬のゲーム情報を、余すところなく眺めるのが彼女の楽しみだった。
「うーん、うーん……」
すでに莉香は一周クリアしている。そのことを翠に伝えたときの、彼女の顔は忘れられない。莉香にとって初めて見る、子どものようなあどけない表情だった。
「ねえ、これって……絵、載ってたりする?」
「絵? 立ち絵ってことですかぁ? それともスクショ? どっちもバンバン載ってますよぅ」
ゲーム進行に欠かせない情報から、ゲーム雑誌内でしか語られない裏情報まで。びっちり読み込んできた莉香はぐっと親指を立てる。
「駄目だ。じゃあ買えない」
絶対変な勘違いする……と翠が小声で呟いた。
ほら、誰かとやってる。
興味津々に、名探偵莉香はつり目をキラキラと輝かせたが、それ以上翠が情報を漏らすことはなかった。なぁんだと肩を落とすと、レジから呼び鈴が聞こえてくる。
「私行きまっす」
「ありがとう、よろしく」
その瞬間にはもう、女の子の表情から、バイト店員の顔に戻っていた。
まぁったく、テンチョったら、ほんっとう何も見て無いんだから~。
彼女の表情が何よりも雄弁に語っているというのに。
莉香は小走りでレジへと向かった。
***
最後の客が帰って行く。扉を開けた際に、一気に冷気が入り込む。先ほどまでは聞こえなかった雨音に、莉香はげんなりとしつつ入り口を見た。
少し曇ったガラスの向こうに、こちらに背中を向けて立っている人物がいる。突然降りだしたため、雨宿りでもしているのだろう。
随分と立ち姿の美しい女性だ。綺麗に染め上げた金髪を、後ろで一つに結んでいる。背丈は翠と同じほどだろうか。分厚いチェスターコートが、長身にピタリと似合っていた。
こじんまりとした莉香が着ると、「お父さんのコートを羽織った子供」になるコート。若干の羨ましさを交えた目で、莉香はそれを見送った。
「店長が戻るまでに、やれるとこまでやっとこっか」
「はぁい」
翠は最終的な棚のチェックを。莉香は本日の売り上げを照らし合わせていく。
ピンクや黄色の紙をめくりながら、ふと莉香は再び入り口を見た。
あれからもう十五分は経ってるのに、まだいる。
それほど長く雨宿りするのなら、近くにあるコーヒーショップにでも入っていればいいのに。そう思っていた莉香はぎょっとした。彼女の足元に、傘が立てられているからだ。それも、二本。
……誰かと待ち合わせかな?
それこそ、こんな通りで待ち合わせしなくてもよさそうなものなのに……。莉香は首をひねりつつ、レジを開いた。
***
「テンチョ、遅い!」
「これは勝ちが続いてるね」
「それか負け込んで、後に引けなくなったかですよぉう! あのオッサン!」
キャンキャンと莉香が吠える。「ちょっと出かけ」に行った店長は、かれこれ四時間帰ってこない。
翠がちらりと時計を見た。本当に一瞬だった。翠よりも先に出勤している莉香に対する配慮を感じる。
「みどちゃんセンパイ、先に帰っててもいいですよぅ。私帰ってもやることないし、テンチョにラーメンの一杯でも奢らせて帰りますからっ!」
ぐっと握り拳を作って莉香は笑いかけた。
彼氏とデートの予定でも入れているのだろう翠は、莉香の提案に逡巡すると、ううんと横に首を振った。
「私も待つよ。ありがとう」
「じゃあ電話かけましょ! 電話! 早く帰ってこいって!」
一瞬でも早く翠を帰してやりたかった莉香は、通いの雀荘の電話番号を携帯で検索し始める。店長は残念にもほどがあることに、携帯電話を持っていない。
目的の番号を見つけ顔を上げる。その時にまた、入口に目をやってしまった。
「あれ、まだいる」
あれからもう三十分は経つ。冬の夜。雨が踊る足元は、随分と冷えることだろう。声をかけようにも、閉店後の店の中で待ってもらっていていいのか、一介のバイトにはわからない。
ぽつりと呟いた莉香の視線の先を、翠が追った。そして「はぁっ!?」と、荒々しい声を出す。
「――え……なんで……?」
「みどちゃんセンパイ、もしかしてお知り合いですぅ? あの方、もうかれこれ三十分ほど……」
「はぁ?!」
顔面が崩れそうなほど、ひどい表情である。眉を顰め、鼻の上に皺を寄せ、そのくせ、その表情には心配の色しか載せていない。
「あのお馬鹿っ……ごめん、ちょっと行ってくる」
「うぃっす!」
その間に、電話電話。走っていく翠の背中に敬礼して、莉香は携帯を操作した。
通話ボタンを押す。翠が店のドアを開ける。呼び出し音が鳴る。「こらっ!」と彼女の叱り声がうっすらと聞こえた。金髪の女性が振り返る。
赤らめんだ耳と、白い息がぼけたガラス越しにも見えた。
――プルルルル プルルルル
金髪の女性が翠に傘を差し出す。
――プルルルル プルルルル
翠が頭を抱える。
――プルルルル プルルルル
女性が腕に抱えていたマフラーを翠に巻こうとする。
『はい、雀荘“ジャン・ソー”』
翠がそれを遮る。
「あっ、はぁい。すみませんえっとー」
なんだっけ、じゃない。莉香は頭を切り替えて、翠たちから視線を外した。
「私、――書店の新見と申しますが……」
『あぁ、はいはい。ガネさんね。電話かわるから、ちょっと待っててね』
ガネさーん、と電話口の向こうから叫び声が聞こえる。ちなみに、ガネさんというのは店長がかけているメガネのガネだ。
『待ってよ、今本当、ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから!! いいところなの!』
「ラーメン! 特盛ですよ!」
『なんでも奢る! さすが新見君、話が分かる! 世界一素敵だよ!』
いいからさっさと戻って来い! そう叫んで、莉香は電話を切った。
入り口から翠が戻ってくる。
「ごめんリカちゃん……さっきああ言っておいて悪いんだけど……」
「大丈夫ですよぅ! 特盛奢らせるんでぇ!」
「餃子もつけてやれ」
「そうしますっ!」
ぐっと親指を立てる。莉香は窓の向こうを覗いた。
閉店作業中の店内を覗くこともなく、店に背を向けて立っている。すらりと伸びた百合のように。
――なぁんだ。デートじゃなかったか。
あの女性は翠の友人なのだろう。誰かと待ち合わせかと思っていたが、翠を待っていたとは。それこそ、店内で待たせてあげればよかったと莉香は申し訳なく感じた。
「お友達さん、お待ちですよぉ」
「わかってる急いでるぅっ」
わたわたわた、と珍しく翠が慌てている。
「あのコート、前にみどちゃんセンパイが着てたのと似てますねぇ」
店の外で待っている女性を指さす莉香に、翠があっけらかんと言った。
「あぁ、って言うか私のだし」
服を貸し借りするとは意外だった。莉香は最後にもう一度、女性を見た。
翠のチェスターコートを着こなした女性の毅然とした立ち姿は、莉香に誰かを彷彿とさせた。
そう。
性別すら違うのに、何故か今日、翠が見ていたゲーム雑誌で、特集を組まれていた……。
「ったく……馬鹿フォンスが……」
莉香の頭をよぎった人物と、ほぼ同じ名前が翠から呟かれた。彼女は無意識だったようで、反応した莉香にも気づいていない。慌てた様子でシフト帳に時刻を書きながら、エプロンを外している。
「じゃあごめんね、あとよろしく」
「ぅあ、はぁい! お任せくださっい!」
敬礼をして、莉香は翠を見送った。書店を出ると、また何か女性に小言を言う。そして、ボフンッと二人仲良く傘をさして、並んで歩いていった。まるで紳士のように翠の鞄を受け取り、車道側を歩いて。
まあ、事実は小説よりも奇なり、というし――
夕方の店長の言葉が頭をよぎる。
莉香はふふっと笑った。
「まぁさか、ね」




