脱出
ひかるは寒さで目を覚ました。
いつから寝ていたのだろう。
足元にはムネタが寝ている。
ひかるは自分の行動を思い返す。
確か、ムネタの心を操ろうとして……
奇妙な精神世界に入った後、現れた赤子。
あれがムネタの真の姿だったのだ。
ひかるの力で彼の精神を攻略し、ムネタの赤子を消し去ることができた。
赤子が消えさったと同時に、ムネタが横たわった。
きっと彼の思考、すなわち心に変化が起きたのだろう。
ひかるには、ムネタの本当の精神状態はわからなかったが、肉体が寝ている状況はチャンスだった。
今のうちに逃げよう。
『時間がありません』
スマホを通じて『竹』がひかるの脳に語りかけた。
ひかるは、呼吸の違和感に気づいた。
「……酸素が薄い?」
ひかるがそう声に出すと『竹』が答えた。
『その通りです。活動を鈍らせようとしているようです』
「自分たちの部下たちもいるのに」
彼らが、自らの部下たちを死に追いやるなら、それはひかるの知ったことではない。
それより桐谷と自分が助かることを考えよう。
ひかるは、立ち上がった。
「!」
足に力が入らず、体が揺らぐ。
揺らいだ体を正そうとして、力を入れると激痛が全身を突き抜ける。
ムネタに受けた打撃で、足は腫れ上がっていた。
スマホの画面が光ると、痛みは少し軽くなった。
しかし、足が治っているわけではない。
一歩一歩、進むので精一杯だった。
「俊……」
ひかるは桐谷の前に立つと、顔を歪めながらしゃがみ、そして彼の体を持ち上げた。
上体を抱え、足は引きずりながら、エレベーターへと向かう。
エレベーターはムネタが下りてきた時のまま、扉が開いた状態で止まっていた。
その時、エレベーターのかごの内部がうっすら明るくなった。
「待って!」
桐谷を手放したら、頭を打ってしまう。
ひかるは、自分の体を目一杯伸ばし、エレベーター扉が閉まるのを阻止した。
痛めた足に、強烈な負荷がかかる。
ひかるの顔が、痛みに歪む。
伸ばした手で扉を押さえながら、桐谷を引き入れる。
エレベーターの扉が閉まり、かごは上昇し始める。
ひかるは床に座り込んでしまった。
ゆっくり呼吸を整えながら、精神を安定させる。
かごが止まったら、周囲は敵に囲まれているだろう。
その取り囲む大勢の心を読み、眠ってもらわなければならない。
エレベーターが減速していく。
ひかるは桐谷を扉の端に隠し、彼を庇うように立った。
ここにいても月の存在を感じる。
イケる。
エレベーターの扉が、妙にゆっくりと開く。
いくつもの銃口が、ひかるを狙って…… いるはずだった。
いない。
いや、いない訳ではない。
意識を失って、床に倒れている。
ここも酸素がないのか。
ひかるは桐谷を背負って歩き出した。
通路には何人もの人が倒れ、気を失っている。
通路を歩いているうち、ひかるは気づく。
ここの酸素が薄いのではない。何かが混じっている。
おそらく、人間はこの微粒子を吸い込むことで寝てしまうに違いない。
ひかるはエリシュア人で、この手の薬物は通じない。
「!」
背後に気配を感じた。
背負った状態だと、桐谷に危険が及ぶ。
ひかるは左足の激痛に耐えながら、急いで体勢を入れ替える。
背後に立っていた者はガスマスクを付けていた。
ひかるは瞬時に格闘するための構えを見せた。
「待て! 味方だ!」
スマホを通じ『竹』が言う。
『星野が手を回してくれたようです』
人を探していた。
見慣れた街中を、走って探している。
「俊!」
声がすると手を取られた。
「お父さん」
見上げるその顔は、若い頃の父だった。
「一緒に、探そう」
そうだ。母を探さなければ。
「大丈夫だから。きっと見つかる」
母は若年性の認知障害で、見慣れた風景を忘れて『帰ろう』としてしまう。
なんだろう。なんでそんなことを知っているのか。
『あっ!』
視線の先に母親がいた。
慌てて父の手を引っ張り、視線の方向に向けた。
「結衣!」
父が母の名を叫ぶ。
いつもは『ママ』と言っているのに。
父が走った。腕を引かれて、追っていくのが精一杯だった。
四車線の大きな道路。
何が起こるか、知っている。
やめろ、呼んじゃダメだ。
お願い!
父が叫んだ。
「結衣!」
道の反対側にいる母は、声に驚いたように周囲を見回す。
「達男、俊」
母の声。
最後に呼んでくれた僕の名前。
忘れかけていた、母の思い出。
やめてくれ。思い出したくない。
「俊?」
急に風景が変わる。
湖が見える建物の屋上だった。
目の前に知っている女性が立っている。
同じ大学に入った、動画配信をしている女性。
「ひかる?」
彼女はいきなり真剣な顔で見つめ返す。
「あなたに話さなければならないことがあるの」
ダメだ、それを言ったら……
「やめてくれ!」
「落ち着いて」
「やめろ!」
彼女は手を握ってきた。
「大丈夫。安心して。ここは病院よ」
「……」
急に世界が九十度捻じ曲がった。
彼女の顔の奥には、部屋の天井が見える。
「病院?」
「信じられないだろうけれど、あなたは東北の旅館から『某国』に連れ去られたの」
袋を被せられ、拘束された状態で車、そして飛行機に乗せられた。
「君が助けてくれたんだね」
ひかるは頷いた。
「俊、こんな状況だけど言いたいの。私、君が好き」
「知ってる」
桐谷はひかるを抱き寄せた。
ひかるは抱き寄せられるまま、そっと体を預ける。
しばらくして、ひかるが言った。
「そうだ。みんなに知らせなきゃ」
卵のような宇宙船が着陸すると、そこからツインテールの美少女アニメイラストアイコンが飛び出てくる。
画面上部にタイトルが降りてきた。
『かぐや姫は今夜も配信中』
いつもの配信のオープニングアニメーション。
カグヤに扮したひかるの顔が画面に映る。
「ただいま!」
ひかるは画面に向かって目一杯手を振り、笑顔を見せる。
コメントには『おかえり』とか『表情を見れて安心した』などのコメントで溢れかえった。
「本当に長かったね。色々あったんだよ、これがマジで」
カグヤの無事を祝うコメントが尽きると、今度は結果を問うコメントに変わる。
「そうだよね。まずそこを伝えるよ。さらわれた桐谷くん、無事取り返したよ。大丈夫、平和なやり方だからね。まっ、そこを詳しくは言えないんだよね。ごめんね」
さらに安堵のコメントが重なって、コメントが流れ続けた。
「みんなの協力のおかげだよ。情報もらったり、勇気づけてもらったり、本当にみんなに支えられてここまで来れたよ。これからも楽しい配信をして、みんなにお返ししていかないとね」
回答できそうなコメントの質問をいくつか拾って答えたり、某国での話せそうな逸話を語ったりしながら、配信の時間が過ぎた。
ひかるは、カグヤとして配信を終えると接続を切り、PCを落とした。
そしてリビングへと移動する。
そこには両親と一緒に、俊が待っていた。
三人で一緒に、ひかるの配信をみていたのだ。
笑顔の輪の中に、ひかるも加わった。
ひかるは、配信を終えるとリビングに戻った。
いつかと同じ風景に見えたが、少しだけ康二の白髪が増え、美月のこじわが増えていた。
俊は就職して表情に落ち着きが加わっている。
そして、ひかるの腕には赤ちゃんが抱かれていた。
「今日の配信も面白かったね」
「そう? 良かった。話だそうとした時に『ななこ』が泣き出すから、焦っちゃった」
「ひかるが授乳する姿が配信されるかと思って、一瞬ヒヤヒヤした」
ひかるは、ワザとムッとした顔を見せた。
「私の配信見ながら、そういうエロいことを考えてたってこと!?」
「違う違う」
「冗談よ。けど、なんで泣き出したか、ちょっとわからないのよね」
俊は首を傾げた。
子供が泣くのに大した理由はない。泣くのが仕事のようなものだ。
ななことひかるは、お互い声に出さないコミュニケーションができていた。
それは『竹』がスマホを通じて行うことと同じで、エリシュアの者に備わった能力だった。
「ななちゃん、どちたの?」
ひかるが言うと、腕に抱えられた赤ちゃんは南の空を指差した。
「ちょう。お空を見たいのね」
ひかるは家族に言う。
「ちょっと外に出てみる」
ひかるは小さな毛布でななこを包むと、窓の外に出た。
低く垂れ込めた雲の隙間に、巨大な飛行物体の姿を見つけた。
「……あれが泣き出した原因なのね」
すぐに騒ぎになる。
平和だった日々が終わり、再び混乱の時代がやってくる。
ひかる個人だけの問題ではなく、少なくとも星間の、最悪は銀河間の問題になるだろう。
『リスア様、ご連絡が入っています』
ななこはその小さな小さな手で、ひかるの指をぎゅっと握った。
「大丈夫。私がなんとかするから」
円盤を見つけた大衆の、その驚く声がひかるの耳にも届き始めていた。
おしまい
最後まで読んでいただきありがとうございます。
お手隙でしたら、評価いただけると幸いです。




