星野との対話
ハンドル名、キリヤ。
彼は今日、以前約束をした『星野』という男とリモートで話すことになっていた。
リモートではあるが、自宅で行うことをさけ、電源とWiーFiのあるカフェに来ていた。
まだ、時間はある。
PCを起動してぼんやりとWebを開くと、検索サイトがおすすめのニュースを表示した。
ニュースを見た瞬間、彼は記憶の中にいた。
小学校から帰ると、母がご飯を炊いていた。
「俊、ご飯食べる?」
「さっき給食食べたばっかりだよ」
「そう……」
自分でそう言った俊は、先生から言われたことを思い出した。
「そうだ、先生が給食費振り込んどいてって。この前も、言ったよね?」
「ごめんごめん、母さん忙しくて」
「うん、だけど忘れないでね」
俊はランドセルを部屋に片付け、サッカーボールを持って戻ってきた。
「遊びに行ってくる」
「俊、手ぶくろは?」
母にお尻を見せるようにして振り返ると言った。
「ちゃんとポケットに入っているよ」
「行ってらっしゃい」
そう。
この頃から変だった。
彼は父から母の病気について聞いていなかった。
いや、父は話していたかもしれないが、理解できていなかっただけ、かもしれない。
俊が次の学年になり、再び冬がやってきた。
いつものように学校から帰ってきた。
「ただいま」
母は『おやつの時間』だというのに米を炊いていた。
俊は、父から『お母さんが変なことをしても責めちゃいけない』と注意されていたから、おやつの代わりに母がご飯を炊いていても、黙っていた。
近づいていくと、母の様子が変だった。
「……」
「お母さん?」
母は、首を傾げながら微笑んだ。
俊が近づくと、椅子から立ち上がった。
避けられている。
俊はそう感じた。
「お母さん」
「えっと、ボク、間違えてないかな?」
誰かと間違えてる?
「……俊だよ?」
そう言うと、俊は自分が自分で無くなったような、そんな感じがした。
そして思った。
父が繰り返し言っていた『認知症』というのは、このことだったんだ、と。
「お母さん! 俊だよ」
彼の母は、困ったような、怖がるような、聞いてはいけないことを聞いたような、不思議な反応をしていた。
言ってしまった俊が、いけないことをした気になった。
そうだ、と俊は考えた。
ランドセルを置くと、母に背を向けお尻を見せた。
そしてお尻のポケットを手で叩く。
「ほら、手ぶくろちゃんと持ってるから」
笑うかと思った母は、眉間に皺を寄せて考えている。
俊はポケットの手ぶくろを取り出し、母の目の前に持っていく。
「これ覚えているでしょ? 寒そうだからって、お母さんが作ってくれたんだよ」
母は怯えたような表情になり、一歩後ずさった。
「手ぶくろなんて初めて作るからって、お母さんすごく頑張ってくれたよね」
お母さん、少しでもおぼえていると言って。
俊は祈るような気持ちで手ぶくろを突き出す。
すると母は目を見開く。
「ボク、来るお家を間違えない?」
俊は母の顔が『怒って』いることに気づいた。
僕は死んだ。
他人に記憶が残らないなら、死んだに等しい。
時々、同じことを夢に見る。
今でも、母のことをどう受け止めればいいかわかっていない。
あの村に行ってあの娘と会ったのは、この事があった時期だった。
父が親戚の男の子と一緒に、東北に遊びに連れて行ってくれた。
あの頃、日々母のことを考えていた。
父も同じだったと思う。
だから気晴らしのための旅行だったのだろう。
確か、あの娘は……
彼のノートPCの画面にリマインダーがポップアップし、チャイムが鳴った。
すぐに『星野』とのリモート会議画面に移行する。
自らのカメラ映像はOFFにしておく。
「えっと、なんの話をすれば良いですか?」
リモート会議の相手先に表示されているのは、ヨレヨレのスーツ、クセ毛をなんとなく撫でつけただけの男だった。
見たことがある、気がする。
『よければなんだけど、顔を見せてくれない?』
「今、カフェの店内なので……」
彼は後ろを振り返り、問題ないと判断すると背景加工処理とカメラをONにした。
『き、君はカッター女に切りつけられた…… まさか君がお孫さんだとは思わなかった』
「えっ、あっ…… すみません。思い出しました」
そう星野を制し、キリヤが言った。
「カッター女が捕まった時、助けてくれた、星野さんですね」
『よかった。それなら話が早い』
星野は画面の向こうで身を乗り出してきた。
『あの時、君が庇った女性とは、幼い頃に出会っていたと言うことだね?』
「そうなります」
『その時の様子を詳しく聞かせてくれ』
キリヤの視線が落ちた。
「どんなことが聞きたいか言ってください」
『何か変わったことはなかったか?』
「特に変わったことはないです」
画面外に視線を向けていて、どう見てもキリヤがウソをついているように見える。
星野は焦って言葉にならない。
「たとえば、どこから来たと言っていた?」
「山の向こう」
「山の向こうは、どっちだった? 村の方向じゃないんだろ」
キリヤは首を横に振ってみせた。
「そこへは遊びに行っていただけだったので土地勘がないんです。だから、近くに人が住んでいる方向のことだったかもしれません。それよりこっちも聞きたいことがあるんです。なぜ彼女のことを調べているんですか? 話す前にそれが必要な気がします」
今度は、星野が画面の外に目線をずらした。
『話は長くなるが、ある山にある竹林に入るとめまいがするという情報が県から入っていてその山の近くで彼女を目撃した情報があって、確かめようとしているのだ』
「……さあ、竹林自体を知りません」
『竹林との関係はこちらで進める。問題は彼女が通常の人間なのかと言うことだ』
通常の人間か、どうか。
もし通常の人間ではない、と判断されたらどうなるのだろう。
キリヤは考えた。
よくない想像…… 人ではなければ、人権はない。
豚や牛と同じ扱いをされてしまうかもしれない。
人類の発展のため、と言う理由を使って。
いや、いくらなんでもそこまで非常識なことを……
カッター女が捕まった時のことを思い出していた。
極端な思想を持っているようには思えなかったが、あんな短時間で人を判断することはできない。
それより、あの時からずっと『彼女』追っていることになる。
政府関係者とは言っていたが、確認したわけではない。
もし、この『星野』と名乗る男が、単なるストーカーだったら。
彼女のこと、まずはこっちが確かめるべきなのではないか。
「申し訳ないですが、これ以上話せません。本当に申し訳ないですが。ここで切ります」
キリヤはそう言うとリモート会議を切断した。
接続を偽装するプロキシなどを経由すればよかった、と後悔した。
そして、頬を手で触った。
スマホのカメラを内側に切り替え、自らの頬を確認する。
あの時、女にカッターで抉られたはずだ。
時間は経っているとはいえ、なんの跡も残っていない、というのは……
彼女がスマホを使って何かしていた。
それとも貸してくれたハンカチだったのか。
何にせよ、謎を秘めていることは間違いない。
「とにかく、はっきりさせた方がいい」
そう言うとキリヤはノートPCを閉じた。




