16.失踪
魔術試験に無事合格し、今年も一年が終わった。
夏季休業は、久しぶりに家に帰ることにした。アディリアのために買った誕生日プレゼントも直接渡したかった。
「ただいま!」
違和感。
「おかえり、また背が伸びたんじゃない?」
「髪も随分伸びたなぁ」
違和感。
「そろそろ、ちょっと切ろうかなって」
違和感。
「ねぇ────アディリアは?」
両親の動きが止まる。
玄関に、アディリアの靴がない。
アディリアが育てていた花がない。
何より、クレニアが帰ってきたら、彼女は真っ先に飛びついてくるはずなのだ。
嫌な予感がしていた。
震えを抑えるように、手のひらに爪を立てる。
そんなはずはない。
お願いだから、出かけているとか、もしくはまだ寝ているとか、そう言ってほしい。
クレニアの声にならない懇願も虚しく、母親は片手を頬に当て、首を傾げた。
「アディリア? ……それは、誰?」
ヒュッと喉が鳴く。
違う、違う、違う。
そんなはずは、ない。
「お友達かしら」
「近所にそんな名前の子、いたか?」
「いないわねぇ。聞いたことないわ」
両親の話し声が、水の中にいるみたいに歪んで聞こえる。
浅い呼吸を繰り返す。
彼らが実の子供のことを忘れるなんて、あり得ない。あるとしたら、それは。
──最初から、いなかった。
「……あら? クレニア? ちょっと、どうしたの!」
クレニアは乱雑に靴を脱ぎ捨て、両親を押し除けて自分の部屋へ走った。あそこには、アディリアから貰ったサラーペヴォ草がある。
ある、はずだ。
「はぁっ、はぁっ……」
呼吸を整える余裕もなく、サラーペヴォ草をしまっていた箱を開ける。その中を見て、思わず乾いた笑いが洩れた。
「……はは、意味、わかんない」
サラーペヴォ草は、一年以上経ったというのに、萎れてすらいなかった。この魔草は寿命が短い。咲いてからは三日ほどしか保たないはずなのに。
例外は、ある。
吸収した魔力が一定値を超えた分、花の咲いている期間は伸びる。だが、これはアディリアが育てた植物。彼女以外の魔力を受け付けない。
去年の冬季休業中、守境大樹を訪れた。
そのとき荷物に入っていたサラーペヴォ草は、家に帰る頃には満開になっていた。
あれは、もしかして。
瞬間、手の中の魔草が青く輝いた。その眩しさに目を閉じる。
「何……っ!?」
瞼を開けると、虚ろな目をしたアディリアがクレニアの前に立っていた。
「あ、アディリア……?」
淡い期待も虚しく、伸ばした手はアディリアの胴をすり抜ける。その気味悪さに、思わず手を引いた。
アディリアの虚像は滑るように動き、閉め切っていた窓をすり抜けて外へ出た。
クレニアを追いかけてきた両親が部屋を覗き、青褪めたクレニアを見て不安げに眉を下げる。
「クレニア、一体どうしたの?」
「どこか、具合が悪いのか」
どこか悪いのはきっと、あなたたちの方だよ。
そう言いそうになったのをグッと堪えて、クレニアは両親に向き直る。
「……ごめんなさい。私、行かなきゃ」
「クレニアっ!?」
母の悲鳴じみた声に、少しだけ胸が痛む。
しかしクレニアはもう振り返らず、窓を開けて飛び降りた。二階だから、大した高さではない。
それより、早くアディリアを探さなければ。
その一心で、クレニアはサラーペヴォ草を握りしめたまま街へ出た。
◇◆◇
アディリアが行きそうな場所はいくつか思い当たったが、そのどれもがこの状況に相応しくないように思えた。
だからクレニアは、真っ直ぐコルディス領へ向かった。
クレニアの人生が終わる地であり、同時に人生が始まる地。
日が沈む間際、守境大樹のあるニーヴル森の入り口に辿り着くと、覚えのある魔力を感じた。よくよく目を凝らせば、奥に誰かいる。
西日を反射するその髪は、白銀。
「……ネオ?」
息を整えながら呟く。
どうして、彼がここに。
いや、それより早くアディリアを見つけないと。
手元のサラーペヴォ草は、まだ淡く光を纏っている。まるで、主が近いことを教えているかのように。
森の中に踏み入ると、やけに静かなことに気づく。
この前来たときは、入り口付近にはもっと魔物の気配があった。だが今は、シンと静まり返っている。
サクサクと枯葉や枝を踏む音が響く。
それが耳に届いたのだろう。銀髪が揺らめいて、ネオが背後を見た。
「グレイシス? どうして、ここに」
「君こそ」
何故ここにいるのか問い返せば、ネオは少し気まずそうに視線を逸らして答えた。
「……魔泉を見にきたんだ。ほら、守境大樹ってやつ。上手く言えないんだが、どうも違和感があってさ」
「……そう」
いつもより更に口数の少ないクレニアを不思議に思ったのだろう。ネオは改めて彼女の顔を見て、ギョッと目を見開いた。
普段なら知的な光を宿している瞳が、暗く沈んでいる。まるで凍った湖面のように、不気味に凪いでいた。いつもと違う姿に、胸の奥が騒つく。
「グレイシス、一体どうしたんだ? その花も……」
ネオがサラーペヴォ草に手を伸ばしたその刹那、青い光の粒子が線になって、森の奥を指し示した。
「なんだ、これ……」
ネオが怪訝そうに青い光の道を眺めるその横で、クレニアはふらりと一歩踏み出した。
「なぁ、グレイシス! 本当にどうしたんだよ」
「……止めないで。探さなきゃいけないの」
「探すって……誰を」
クレニアの暗い双眸に、一瞬だけ光が揺らめく。もしかしたらそれは、光を反射した透明な膜だったかもしれない。
「……妹を」
ポツリと独り言のように零して、クレニアは森の奥へ吸い込まれるようにまた歩き始める。その後ろ姿をどうしても放っておけず、ネオはクレニアを追いかけた。
「妹さん、どんな格好なんだ? 俺も探すの手伝うよ」
「ありがとう」
クレニアは少しだけスピードを落とし、視線を下げる。
「赤い髪に、琥珀色の目をしてる。服は……わからないな。いついなくなったのか、知らないから」
「赤い髪に……琥珀色の、目」
繰り返して、ぼんやりとその姿を想像してみる。
瞬間、脳裏にノイズが走って、頭蓋骨を圧迫されているような痛みに襲われた。
「う、ぐっ」
「……ネオ?」
突然頭を押さえてふらついたネオのうめき声に、クレニアは振り返る。
初めて名前を呼ばれたことにも気づかず、ネオは苦痛の中で脳裏に浮かんだ映像を見ていた。
────赤い。
それこそ、鮮血のように真っ赤な髪が、優雅にたなびく。
光の加減で黄金にも見える琥珀の双眸は、ネオを、否、クレニアを見て三日月の形に歪んだ。
微笑んだ、のかもしれない。
だが少なくともネオにとっては、そうは見えなかった。
あれは、獲物を見つけた捕食者の目だった。
「──ネオ!」
「ッ……あ」
肩を揺さぶられる衝撃に、意識が戻ってくる。クレニアが肩を掴んでいた。その思いがけず強い力に、動揺が治まっていく。
今の映像は、一体。
考える前に、クレニアの声がかかる。
「大丈夫? もう暗いし、無理についてこなくても……」
「いや」
クレニアの言葉を食い気味に否定し、ネオは真っ直ぐ彼女を見つめる。
「俺も行く」
正直なところ、まだ頭は鈍く痛んでいる。
だがそれでも、今のクレニアを放っておくことはできないと思った。
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