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はじまり

広い平原に数多の馬の嘶きと金属同士がぶつかり合う音、

それを手にする人間たちの怒号が混じり合って聞こえる。

もうどれくらい戦い続けているだろうか。もう味方も敵も兵たちが疲弊しきっている。

戦況は拮抗しており、これ以上続けても双方共倒れになる未来しか想像できなかった。


――いや、ここ数ヶ月で幾度となく戦いを繰り返し、今まではなんとか耐えてきたが、

兵の消耗が激しいのはどうみてもこちらの方だ。

この戦場で引き分けたとしても、次の戦場では負けるだろう。

そうすればこの国は征服されてしまう。

何か方法を考えなければ。


いずれにせよ、すでにこの戦場での勝敗は決している。もうこれ以上の犠牲は必要ない。


「ノア様。」


今回ヘリオス国の兵を率いているというルカ王子は見たところ優秀な王子なようだ。

ヘリオス国の軍とは幾度となく刃を交えているが、

自分が戦場に出るようになってからここまで苦しめられたのは初めてだった。


上の二人の王子が立て続けに戦死し、

他国にいたというこの王子が連れ戻されたと聞いたが、

ルカ王子がもっと早く出てきていたら早々にセレネー国は征服されていたはずだ。

そう確信できる程その手腕は鮮やかだった。


優秀な王子ならば話し合いに応じてもらえる道は残されているかもしれない。



「ノア様。ご報告申し上げます。」


その声にはっと意識を取り戻した私は、話し合いを申し入れる方法を考えながら

戦況を見つめていた目線を部下へと移す。


「聞かせてくれ。」


「ヘリオス国軍を率いるルカ王子から同盟を結びたいとの申し入れがありました。」


「なに?」


ノア王子は訝しげに眉を寄せた。

ルカ王子は一体何を考えているのだろうか…。

話し合いの場を設けるどころか同盟の申し入れをしてくるとは。

ヘリオス国側にどんな意図があるにしても、

セレネー国側にとってはありがたい話に違いなかった。


「申し入れに応じる。国王陛下に伝達を頼む。」



同盟締結はヘリオス国側の意向を受け、セレネー国とヘリオス国の国境付近にある

セレネー国領の宮殿で行われることとなった。


全面的にセレネー国に配慮した対応を見ると、

同盟締結がヘリオス国の強い希望の下行われることが暗に示されており、

ノア王子はその条件がセレネー国にとって厳しいものになるのではないかと予想していた。


ノア王子と懇意にしているセレネー国の貴族が所有する宮殿は、

持ち主が趣味としている庭の手入れが隅々まで行き届いた緑豊かな土地にあった。

宮殿は緑に埋もれるように、ひっそりとした佇まいでノア王子を迎え入れた。


ノア王子はその中でも一番広い部屋に話し合いの席を準備させた。

上品で主張しすぎない調度品で整えられたその部屋は、

ノア王子がここぞという時に使わせてもらっている空間であった。


そこに父であるセレネー国王ジェラルドを誘い、補佐と護衛を兼ねてそばに控える。



「ノア。またお前に助けられたな。

本当はお前をこんなところまで駆り出したくないものを。」


父の言葉に苦笑が漏れる。


「父上。国のために私が望んでしていることです。

それに、私の戦争のセンスはセレネー国随一です。」


お茶目にウインクするノア王子を見て、

ジェラルド王はなんとも悲しそうな顔で笑いながら頷いた。


「皮肉なことにな。」


ノア王子は憔悴しきった父の顔を見ながら、

自分がこの人をしっかりと支えていかなければ、と決意を新たにしていた。



コンコン、というノックの音と共にノア王子の執事であるハリーが

ルカ王子を伴って部屋に入ってきた。


「国王陛下。ノア様。ヘリオス国のルカ様をお連れしました。」


ルカ王子はテーブルを挟んでジェラルド王とノア王子の正面まで歩みを進め、

ジェラルド王の真正面で一礼した。


ノア王子はルカ王子と対面するのは初めてのはずだが、

甲冑姿のルカ王子のその隙間から見える整った顔立ちと黒い瞳、

どこか上品な身のこなしと雰囲気に既視感を覚えた気がした。


お互いの自己紹介を終えると、早速テーブルについて話し合いが始まった。


「ジェラルド国王陛下。ノア様。同盟締結の申し入れを受けてくださって感謝いたします。

本日は私が父であるヘリオス国王に全てを一任されてこの場に参りました。」


「戦争が始まった原因はヘリオス国にあります。

父であるヘンリー国王が征服を目的にセレネー国を攻めた。

その点については大変申し訳ないと思っています。

貴国は貴国の国民を守るために応戦して、紛争は今日まで続きました。

今日もノア王子の見事な采配によってヘリオス国軍は苦戦を強いられました。

しかし、例え今日を耐え忍んでも、このまま続けたらヘリオス国が勝つことは明白です。」


それはノア王子も感じていたことだった。

どうしてこのタイミングで出てきたのかは不明だが、

ヘリオス国の兵力にルカ王子の手腕が加われば勝ち目はないと思わせるほどだった。

だからこそ、なぜ今ヘリオス国の方から同盟を締結したいなどと言いだしたのか、

その真意を測りかねていた。


「多くの国民を犠牲にして、今さらとおっしゃるかもしれませんが…。

これ以上の犠牲は無意味だ。貴国と同盟を結び、戦争を終わらせたい。」


ノア王子はその言葉を聞いて驚いた。

その目にはセレネー国を属国に引き入れたいという勝手な言い分で攻めてきて、

平和なセレネー国民の生活を蹂躙し、たくさんの犠牲を強いてきた張本人が

何を言っているのかという怒りが満ちていた。


それまで黙って聞いていたジェラルド国王が口を開いた。


「貴国は正当な理由もなくセレネー国の国民を傷つけた。

その事実に対しては貴殿も、貴殿の父上も、

例え考えの違いがあったとしても同罪であるし、

その時から我が国民にとってあなた方はみな敵だ。

敵をいきなり信じろと言っても難しい話だとは思いませんか。」


ルカ王子はその質問を待っていたとでも言うように強く頷いた。


「すぐに皆様に理解してもらうことは難しいとわかっています。

しかし、誠心誠意を尽くして私たちの思いを伝えていきたいと思っています。

今後の私たちを見ていただいて、時間をかけてセレネー国の信頼を育んでいきたい。」


ノア王子は、このルカ王子の話を聞きながら、この誠実さが本当なのか、

それとも他意があるのか、どうやってその真意を見極めようかと考えを巡らせていた。


「セレネー国と同盟を結び、今後は肩を並べて歩んでいきたい。

その意思表示として、貴国の姫を次期国王である私の妻に迎えたいと考えています。

できれば、国民からの信頼の厚い“アンナ王女”を――」


その言葉を聞いたジェラルド国王は一瞬考えるようにしながら斜め後ろに控える

ノア王子へ視線を送り、覚悟を決めたように頷いた。


「貴殿の話はわかりました。

ヘンリー国王ではなくあなたがこの場に来ているということは、

実質は貴殿がヘリオス国を掌握しているということでしょうし、

ヘンリー国王の始めたことを悔いているという貴殿の言葉を信じましょう。」


「ご理解いただきありがとうございます。国王陛下。」


ルカ王子は深く一礼し、畏敬の念を込めた眼差しでジェラルド国王を見つめていた。


その眼差しには嘘はないようにノア王子には感じられた。


ジェラルド国王はその眼差しを受け、話を進めた。


「わが娘の王女アンナは確かに国民の信頼が厚い。

それは彼女がこれまで国民の心に寄り添い、国民のために生きてきた結果です。

私は娘にたくさん助けられてセレネー国を統治してきました。

だからこそ、娘には絶対幸せになって欲しいのです。」


初めて聞く父の本音に、後ろに控えるノア王子ははっとして息を飲んだ。


「アンナが国民を心から思い遣ることで得てきた信頼を、

政治の道具として利用したくないのです。

そして何より、私は父として、娘には心から想う男性と

結婚してもらいたいと思っているのです。」


ノア王子は娘を想う父の温かな言葉を胸に刻み、意を決して自分の考えを口にする。


「国王陛下。差し出がましいことを申しますが、

ルカ様の申し出はセレネー国にとっては願ってもないものです。

私たちは一番国民が傷つかない方法を選択すべきです。」


ジェラルド国王は座ったままノア王子を見上げ、

『それだけは許さない』とでも言うように目に力を入れてノア王子の手を握り締める。


ノア王子は温かな父の愛を彼の手を通じて感じながら、

「大丈夫」と言うようにジェラルド国王の手を握り返しながら微笑んだ。


「アンナ王女が何よりも嫌うものが国民の犠牲です。

ヘリオス国と傷つけあうのをやめ、彼らに虐げられるのではなく、

肩を並べて歩める未来を選べるのであれば、

私たちにとってそれ以上の幸せはありません。」


そう進言を受けたジェラルド国王陛下は天を仰いで目を閉じ、何かを諦めるように頷いた。


「わかった。全てお前の判断に任せるよ。」


ジェラルド国王の言葉に頷いたノア王子は一歩前に出て、ルカ王子に向けて告げた。


「ヘリオス国との同盟の証として、セレネー国第三王女アンナをルカ様に嫁がせます。」


ルカ王子は安心するでもなく、こうなることが最初からわかっていたかのように

落ち着き払った様子で頷いた。


「ただし、条件があります。」


アンナ王子はまっすぐとルカ王子の黒い瞳を見つめ、話を続けた。


「私たちはつい先程までお互いを敵として戦ってきました。多くの血も流れました。

ですから、同盟を結んだといっても一朝一夕ではお互いの国の国民から信頼を得るのは

難しい、貴殿は今そのようにおっしゃいましたが、私も全くその通りだと思います。」


ルカ王子はノア王子の視線を受け止め、話の先を促す。


「なので、貴殿の元へ嫁ぐことになるアンナ王女に3ヶ月、時間をいただきたいのです。

その間はこの話は公にせず、必要最小限の人間にしか知らせないようにしていただきたい。

妹も一国の姫ですから覚悟はしているでしょうが、

突然のお話なので色々と準備も必要でしょう。

貴国にも悪い話ではないはずです。」


ルカ王子は右手を顎に置き、思案顔で小刻みに首を縦に振った。

確かに同盟のための政略結婚とするよりは、

同盟が結ばれた後に出会った二人の恋愛結婚という体にした方が

圧倒的に国民の支持は得られるに違いない。


「私が信頼に足る人物かどうか見極めたい、ということですね。当然の言い分です。

それに、あなたの仰る通り、そうした方が両国のためになりそうだ。

分かりました。条件をのみましょう。」


その場で同盟の条件が記載された契約書が作成され、その日のうちに正式に同盟が成立した。


無事同盟締結がなされてほっとするノア王子にルカ王子は歩み寄り、笑顔で握手を求める。


「あなたがいれば貴国とはいい関係が築けそうだ。」


「今日はお会いできてよかったです。

ルカ王子のように優秀な方が今までなぜ表舞台で活躍されていなかったのか

不思議でなりません。アンナのことをよろしくお願いします。」


この姿でこの人と会うことはもう二度とないだろうと思いながら、

ノア王子はルカ王子と握手を交わした。


「こちらこそ、よろしくお願いします。」


そう言って柔らかく微笑んだルカ王子の眼差しからは、

やはりどこか懐かしいような温かいものが感じられたが、

ノア王子はそのことについては深く考えずに笑みを返し、

その場を後にした。



「アンナ様。本当に良かったのですか。」


「ハリー。この姿の私の呼び名は“ノア”です。誰かに聞かれたらどうするのですか。」


「失礼いたしました。“ノア様”。けれど、この馬車の防音は完璧です。

万が一話が漏れたとしても周りは私の配下の者で固めているのでご心配は無用です。」


王宮に向かう馬車の中で“ノア王子”とノア王子付き執事のハリーが言葉を交わす。

アンナ王女は、相変わらず優秀で抜け目のない兄の執事に笑みを浮かべた。


「陛下のお気持ちを裏切るようなことをされて良かったのですか。」


「父上があのように想ってくださっていたと知れただけで十分です。

お気持ちはとても嬉しかったのですが、父上は勘違いされているのです。

だって、国民の幸せが私の幸せですから。

私の結婚が国民の幸せに繋がるなんて、これ以上幸せなことがあるでしょうか。

だから、誰がなんと言おうとこの結婚は私にとっては幸せな結婚なのです。」


ハリーは目を潤ませながら話を聞いていた。


「この先、心から愛する方が現れたらどうするのですか?」


その言葉にアンナ王女は含み笑いをしながら答えた。


「一人の殿方に夢中になる自分なんて想像できません。

18年間生きてきて、一度もそんな経験したことないもの。

私の恋人は今までもこれからも国民。心から愛するのも国民。

そして、これからはヘリオス国の国民と、夫となるルカ王子も同様に愛します。」


アンナ王女は昔から国のことを一番に考えていた。

自分の気持ちと向き合うために時間を使わなかっただけかもしれない。

王族としてはこれ以上なく優秀な姫だが、所謂ひとりの女性としての幸せを

考えることなく嫁ぐアンナ王女に、ハリーもジェラルド国王と同様の想いを抱いていた。


「“ノア王子”の役目はこれで終わりですね。ハリーには気苦労をかけました。」


「何をおっしゃいますか。私はセレネー国に生まれて、

“ノア王子”に今日までお仕えできて、この国で一番の幸せものです。」



「思えばこの戦争はノア様の死から始まりました。」


ハリーは過去を回想し、悲しみに顔を歪ませながら自らの膝に置いた手を握り締めた。

ノア王子に変装したアンナ王女も戦争が始まった10ヶ月前を思い出していた。

最初にヘリオス国がセレネー国に進軍してきた際、ヘリオス国の1万人の軍勢の前に

虚をつかれたノア王子は200人の手勢で迎え撃ち、大敗。

ノア王子自身も逃げ遅れた民を守ろうとして命を落としていた。


息を吐き、窓の外を眺めながらアンナ王女は呟く。


「私がお兄様の最期を看取ったのも、きっと運命だったのよ。」


ヘリオス国軍が攻めてきた時、偶然近くにいたアンナ王女は真っ先に

援軍を連れて駆けつけたのだが、到着した時にはとき既に遅くノア王子は行方不明、

やっと探し当てた時には既に危篤の状態だった。


「最期にお兄様は、『セレネー国を頼む。ヘリオス国を恨んではいけない。』

と言い遺して息を引き取った。私はその時、お兄様の言葉の意味がわからなくて。」


ハリーは自身の握り締めた拳を見つめながら静かにアンナ王女の言葉を聞いていた。


「でも、大好きなお兄様を奪われた憎しみに任せて剣を取り、

お兄様に成り代わって軍を率いてたくさんの犠牲を強いて…。

そして気づいたの。傷つけ合っても憎しみは晴れないし、悲しみも癒えない。

それどころか、新たな憎しみが芽生えて、悲しみも増すばかりだった。

そこでやっとお兄様の言葉の意味を理解したわ。

お兄様はこうなることが最初からわかっていたのね。

本当に素晴らしい方。」


ね、とアンナ王女がハリーに同意を求めると、

ハリーは目元に涙を浮かべながら切なげな表情をしながら頷いた。


「はい。もちろんノア様は素晴らしい方です。

でも、それでも私はアンナ様が間違っていたとは思いません。

私たちはアンナ様に導かれて今日まで生きてきたのですから。」


「そうね。あの時の私にはあれが精一杯だった。

私は一国の姫として未熟だった。それは認めなければならないわ。

もっと違う解決方法があったかもしれないのに、

私が未熟だったせいでたくさんの血を流させてしまった。

だからこれからは国民の命と、生活と、幸せを守るために私の全力を注ぎたい。」


一度間違えてしまったからこそ、今度こそ自分の使命を正しく全うしたい。

アンナ王女にはその道が少しずつ見え始めていた。



「3ヶ月でルカ王子の真意を探らなきゃ。」


翌朝、自室でアンナ王女付き執事のデニスに紅茶を入れてもらいながら呟いた。


「ご無事でのご帰還に安堵したばかりなのですが…。

執事に心配をかける天才でいらっしゃる我が主人は、

今度はつい昨日まで敵だった国へ自らの意思で嫁がれるとおっしゃる。

どうしても私に安心して仕えることを許していただけないようですね。」


デニスはアンナ王女が幼少の頃から彼女の身の回りを任され、

アンナ王女が最も信頼を寄せる執事であり、ハリーの弟だ。

アンナ王女は昔から活発で自分の考えが正しいと思うと

例え危ないことであろうと構わずに即行動に移してきたので、

デニスはその度にアンナ王女の身を案じて心を痛めてきた。


アンナ王女が普通の姫ならば手にすらしないであろう剣術に長けているのも、

心配して止めようとするデニスを振り切って稽古を始めて上達したものだった。


最後にデニスが必死になって止めたのはアンナ王女が12歳の時に

他国へ勉強に行くというノア王子に同行した時だったが、

16歳でセレネー国へ戻る際には王女として素晴らしい才覚を発揮するまでに成長していた

主人の姿を目の当たりにし、アンナ王女のすることに間違いはないのだと

認めざるを得なかった。


10ヶ月前に亡くなったノア王子の代わりに戦場に出ると言い出した時も

苦渋の思いでアンナ王女の言うことに従ったが、

それもアンナ王女の成長に必要なことなのだと納得していた。


その時には既に自分の仕事はアンナ王女のやり遂げたいことを全力でサポートし、

身を呈してでも彼女に降りかかる全ての危険を排除することだと覚悟を決めていた。



アンナ王女は一番の忠臣デニスの嫌味をいつものように笑って受け止めた。

アンナ王女には彼が嫌味を言うのは心から自分を心配しているからで、

最後には必ず自分の味方をしてくれるとわかっていた。


「デニスにはいつも感謝しているの。

デニスがいてくれるおかげで私は私らしくいられるのだわ。」


尊敬する主人から思いがけない言葉を贈られ、

デニスは嬉しさを滲ませないように気をつけながら言葉を紡いだ。


「今回は珍しく殊勝なお言葉を伺えたので大人しく従うことにします。

それでルカ様のことですが。

兄からは優秀で誠実で信頼できそうな人物だったと報告を受けていますが、

私は実際お会いしたこともありませんし、兄の言葉を鵜呑みにするつもりもありません。

偵察に行くことを許していただけますか?」


アンナ王女は頭の中を整理しながら紅茶を口に含んだ。


確かにルカ王子の言っていたことは筋が通っていたし、納得できたから同盟も結べたが、

あのまま戦いを続けていればヘリオス国が勝っていただろう。

そうすれば当初の予定通りセレネーを征服できたはずなのに、

なぜあのタイミングで同盟を結ぶことにしたのか。

こちらにとってはもう負けが見えていたし、願ってもいないタイミングだったわけだけれど、

何か他に目的があるような気がしてならなかった。

いずれにせよ、ヘリオス国王家とは戦争が始まる以前から折り合いが悪く

交流がほとんどなかったため、どんな小さなことでもいいので情報が欲しかった。


「同盟締結にどんな難しい条件を提示されるかと気を張っていたのだけれど。

領地を譲るとか、ほぼ属国と変わりない立場になるとか、そういう話になると思ってた。

それが、対等な立場のまま、私との結婚を条件にするだなんて。拍子抜けしちゃった。

もっとヘリオス国に利益をもたらす選択肢はあったように思うけど。

だから…どんな小さなことでもいい。判断するのにできるだけ多くの情報が欲しいの。

調べてきてくれる?」


「仰せのままに。」


デニスにとってはアンナ王女の存在自体に価値があり、

セレネー国からアンナ王女がいなくなることを考えれば

心の支柱を失うような喪失感を覚えていた。

セレネー国には自分のようにアンナ王女を慕う者は大勢いる。


その彼女が望んでヘリオス国に嫁ぐ体をとるならば、

例え敵国であってもセレネー国国民の信頼を得ることは難しくないだろう。

その方が力でねじ伏せるよりもより反発のない形での精神的な征服が可能になる。


アンナ王女は自分の存在価値については無頓着なので思い至っていないようだが、

デニスが考えるにはこれがルカ王子の真の目的のように思えた。


デニスは紅茶が飲み干されて空になったカップをアンナ王女から受け取り、

書類が大量に積み上げられた机に背を向け、紅茶のポットが置かれている台に歩み寄る。

おかわりの紅茶をカップに注ぎながら息をするようにぽつりと呟いた。


「いずれにせよ、私が認められる男でないとアンナ様は渡しません。」


アンナ王女は机に積み上げられた膨大な量の書類の一つ一つに丁寧に目を通していたが、

デニスの声に顔を上げ、答えた。


「え?何か言った?」


「いいえ。私はそろそろ出かけます。少しお側を離れますが、

私の不在中はハリーがお世話させていただきますので何なりとお申し付けください。」


アンナ王女は再び紅茶が注がれたカップを受け取り、気遣わしげにデニスを見遣った。


「ありがとう。気をつけてね。くれぐれも無茶しないように。」


受け取ったカップを机の上に置くと、いつものように席を立って

デニス両手をぎゅっと握り締め、デニスを見上げた。

少し自分の方に引き寄せるように引っ張ると175cmの長身のデニスが微笑み、

少し屈んでくれた。


昔は背丈も変わらなかったので苦労はなかったが、いまや15cm差が開いてしまったの

アンナ王女が背伸びをしてもデニスと同じ目線には届かなくなっていた。


デニスに少し屈んでもらって、やっと自分の額をデニスの額にこつんと合わせる。


「デニスが上手にできますように。」


昔、幼馴染だった二人がまだ主従関係を結ぶ前、アンナ王女の執事になるための

資格試験に臨むデニスを励ますためにアンナ王女が始めたおまじないだった。


効果は抜群で、それ以来このおまじないをしてもらったデニスは失敗知らずであった。

アンナ様の応援さえあれば何でもできる気がする、

とデニスが何の気もなしに言ったことがきっかけであったが、

デニスには今や実感をもってそう言える自信があった。

『アンナ様のためなら何でもできる。』

いつしかそう唱えて自分を鼓舞するようになっていた。


目を開いて目線を合わせて微笑んだデニスは、今度はアンナ王女から一歩身を引き、

右手を胸に、左手を背後に回して腰を落とした。


「いってまいります。」



デニスが部屋から下がるのと同時に、可愛らしい女の子が駆け込んできた。


「お姉様!お帰りなさい!!」


抱きつかれたアンナ王女は頬を緩めながらぎゅっと抱きしめ返した後に

その腕を優しく解き、愛しい妹の顔を覗き込んだ。


「ただいまヘレン。遅くなっちゃったけど、16歳のお誕生日おめでとう。」


「ありがとうございます!16歳になってもう3ヶ月も経ちましたのよ。

少しはお姉様に近づいているかしら。」


大きな目をくりくりさせながら話すヘレン王女の頭を撫でながら話す。


「ヘレンはお姉様と2つしか違わないけど、お姉様なんかよりずっと素敵なレディよ。

この間伺った舞踏会でなんて、何人の殿方に『ヘレン様はいらっしゃらないのか』

って聞かれたかわからないわ。」


戦争に参加していた10ヶ月間は、社会勉強のために様々な都市を回っていた

ことになっている。その間可能な限りはもちろん自ら足を運んだが、

地方の貴族にはアンナ王女の顔をはっきりと認識していない者も多かったので、

自ら赴くことが難しいときには美しい顔立ちをしたデニスに影武者を務めてもらっていた。


自分が参加した時にヘレンの話をされることはなかったが、

デニスに代わりに行ってもらった舞踏会や晩餐会では

度々ヘレンの話題が挙がったと報告を受けていた。


「きっとお姉様とお話がしたいから私の話題を出しただけですわ。

お姉様はまさに高嶺の花ですから。

殿方のみならずお嬢様方からも羨望の的ですもの。

私もお姉様に憧れておりますし。

ですから…ねぇお姉様。

お誕生日の祝いにお姉様のドレスをいただきたいの。」


ヘレン王女は上目遣いで目を潤ませている。

アンナ王女はヘレン王女のこのおねだりに弱かった。


「差し上げるのはもちろんいいけれど、私のお下がりでいいの?

サイズも少し直さないといけないでしょうし…新しいドレスの方が…」


アンナ王女の言葉を最後まで聞かず、ヘレン王女はパアっと嬉しそうに目を見開き、

満面の笑みで答えた。


「ありがとうございます!お姉様のドレスがいいの!!皆様に自慢できるわ!!」


アンナ王女は両手をぎゅっと握り、喜ぶヘレン王女に笑みを向けた。


「ふふ。ドレス選びは後にするとして、お茶にしましょうか。」


2人が話している間にいつの間にかハリーがやってきていて、

ヘレン王女の分もお菓子と紅茶を用意していた。

アンナ王女はきっとデニスが手配してくれたのだろうと思った。

いつものことながらかゆいところに手が届く優秀な執事だ。


「お姉様、お仕事をされていたのではないですか?お邪魔では?」


「お仕事はいつでもできるもの。

それより私がいなかった間のヘレンのお話を聞きたいの。」


その言葉を聞き、ヘレン王女は満面の笑みを浮かべた後、

顔を俯かせて頬を染めながら話し始めた。


「お姉様。お姉様は舞踏会でドキドキしたことってありますか?」


「ドキドキ?そうね…。」


ヘレン王女の言わんとしていることはなんとなくわかったが、

戦場のひやっとする場面でドキドキしたことは幾度もあるものの、

アンナ王女にとって舞踏会は情報収集の場であり、

常に人々の会話に神経を研ぎ澄ませていたので、

そういった意味で心臓が脈打つ経験をした記憶はなかった。


「そんなことを聞くってことは、ヘレンはドキドキすることがあったのね。」


ヘレンはさらに頬を染めて頷いた。


「はい…。私、こんなこと初めてで、どうしていいかわからなくて…。

あの方を思い出すと胸が苦しいのです。

ごめんなさい。お姉様が国のために結婚しようとしている時にこんなお話。

お気分を害されるのではないかと思ったのですが、

こんなことお姉様にしか相談できなくて。」


胸を両手でぎゅっと押さえて申し訳なさそうに顔を俯かせるヘレンを見て、

アンナ王女は微笑ましく思いながら口を開いた。


「お姉様は人を愛するってとっても素敵なことだと思うわ。

お姉様はそういう方を見つけることができなかったから、

将来夫になる方を心から愛するって決めているの。

でも、ヘレンはちゃんと愛する人を自分で見つけることができたのね。

お姉様なんかよりよっぽどすごいことだわ。

ヘレンはちゃんと自分で愛する人を見つけられる人だもの。

お姉様にできなかったことをきっとやり遂げてね。

絶対、心から愛する人と結婚するのよ。」


ヘレン王女はアンナ王女の目をまっすぐ見て、しっかりと頷いた。


「それで?お相手の方はどんな風に素敵だったの?」


アンナ王女はわくわくした様子で話の続きを促した。


「まだ一度しかお会いしていないのでよくは存じ上げないのですが…」


そうして2人は会えなかった間にできなかった会話を心ゆくまで楽しんだ。



ヘリオス国とセレネー国の同盟が結ばれてから1週間後、ヘリオス国の宮殿にて

両国の王族・貴族を招いて懇親会の体裁を取った舞踏会が開催されることになっていた。


その会場へ向かう道中、アンナ王女は馬車の中でデニスからの調査報告を受けていた。


「つまり、ルカ王子は現在ご病気の国王様の代わりを務めているというわけね。」


3人の姉はそれぞれ国力強化のために要人の元へ嫁ぎ、2人いた兄は共に戦死、

末っ子のルカ王子は与えられるべき領地がなかったため、割と自由に育てられたようだ。


「はい。これはアンナ様もご存知の通りですが、2人いた兄が次々と亡くなったため、

他国にいたところを急いで呼び戻された様子です。

国王代理を務めながらあっという間に王宮と貴族を掌握し、

弱冠20歳ですが次期国王として信頼も厚いようです。

今回セレネー国の処遇については現国王とは真逆の意見を通したのですから、

並大抵の手腕ではないと考えられます。

王族貴族もルカ王子のカリスマ性に心酔する者が多いようです。

若くして将来有望、器量も大変よろしいのでヘリオス国王妃の座を射止めたい

国内外の王族貴族から縁談も殺到していたようですが、

本人は一切興味を示さないことは有名な話のようです。

アンナ様との婚約は3ヶ月後まで公にしない約束ですので、

これが公表されれば国内外含めヘリオス国王家と血縁を

結びたがっている輩からの反発が大きいでしょうね。」


戦術にも長け、兵の統率も見事であったし、

短期間で王宮を掌握した事実をみても手腕は国王たりうる人物のようだ。

そしてルカ王子の妻になるということはいずれヘリオス国の王妃になるということ。

それには国内外の反発も必至。


「これくらいの困難、自分で解決できないとセレネー国のみんなを幸せにするなんて

到底無理ね。何より、私がヘリオス国の王妃になれるならそれがセレネー国を

豊かにする最短の近道だわ。」


アンナ王女は、間違えた道に進んでしまって出口がどこかわからないまま迷いながら

進んでいた中で、急に進むべき道が開けた思いだった。


「問題は山積みだけど、出口は見つかった。セレネーのみんなのためにも、

ヘリオス国の国民にも認められる王妃になってみせる。」


デニスが不安そうに顔を歪める横で、アンナ王女は馬車の窓から流れる景色を眺めながら、

セレネー国のみんなが笑顔で生活を送る姿、そしてその笑顔がずっと守れる幸せな未来を

思い描き、自然と口元に笑みを浮かべていた。


デニスにエスコートされながら馬車を降り、宮殿の門をくぐった時には辺りは

すっかりと暗くなっていた。噴水のある広場を抜けると、赤い絨毯を敷かれた

大理石の階段が次々と招待客を宮殿へと迎え入れていた。


広い宮殿内をひたすら進み、人々が集まるダンスホールに足を踏み入れると、

煌びやかな装飾と豪華なシャンデリアが目に入った。


ホールの中の人々をぐるりと見回し、まだルカ王子は到着していないことを確認すると、

アンナ王女は安堵して胸をなでおろした。


戦場に出るときでさえあまり緊張はしなかったが、今回は珍しく緊張していた。

ルカ王子にはノア王子の姿では会ったことがあるものの、アンナ王女としては初対面だ。

セレネー国繁栄のためにはこの縁談は必ず成立させるという決意と、

例え気に入らない人物であっても一生添い遂げようという覚悟が

身を固くさせていたのであった。


「アンナ様。」


声をかけられてデニスの方を見遣ると、視線を見知った人物の方へ促される。


「あちらにウェリントン公爵がいらっしゃいます。

久しぶりにお話されてきてはいかがでしょうか。」


ウェリントン公爵家当主のルイス・ウェリントンはデニスと同じくらい付き合いが長く

とても仲の良い幼馴染だった。

ルイスは古くから続く貴族の名家で育ち、歴代当主は国王軍を束ねる地位を歴任していた。

当然ルイスも後継として幼い頃から厳しく修行をしていたため、

アンナ王女が剣術と戦略を学ぶに至ったのはこの幼馴染の影響が大きかった。


「ウェリントン公爵。お久しぶりです。」


アンナ王女の声に振り向くと、ルイスは人懐っこい笑顔を浮かべ、彼女の前に跪いた。


「アンナ様。ご無沙汰しております。」


社交の場は何度行っても慣れなかったが、顔見知りに出会うと必ず行われる

こういった挨拶こそがアンナ王女が最も苦手としているものであった。


ルイスは苦笑いをしているアンナ王女の手を取り、その甲にキスをした。


「そろそろ慣れて頂かないと。こういった挨拶は貴女様に対する最低限の礼儀です。」


ルイスはやれやれと肩を竦めたが、彼にとっては人に頭を垂れられるのが苦手な

アンナ王女に対する半ばからかいの意味も含んでいることをアンナ王女は知っていた。


「先日の戦争で負傷したと聞きました。怪我は大丈夫なのですか?」


心配そうに顔を覗き込むアンナ王女にルイスは微笑んで答えた。


「ご心配いただき光栄です。でも、大丈夫だから今日こうして参加しているのですよ。

大事な幼馴染の未来の夫となる方のお姿も拝見したかったですしね。」


ルイスは同盟締結前の最後の戦場で国王軍を率いて戦ったが、

不覚にも鎧の隙間をぬって左足に弓矢を受けてしまい、

まだ傷は癒えていなかったが、同盟の条件としてアンナ王女へ結婚を迫ったという

ルカ王子の顔を一目見てやろうと怪我をおしてやってきたのだった。


早めに会場に入って人が増えるたびに確認しているが、

それらしき人物はまだ現れていない。

それどころかヘリオス国側の参加貴族は極端に少ないようだ。

ホストであるヘリオス国の王族がまだ姿を現していないことをとっても、

ヘリオス国側の参加貴族が少ないことをとっても、

両国のパワーバランスは一目瞭然であった。

この結婚はアンナ王女にとって険しい道になるに違いない。

このダンスホールの様子を見ただけでも、ルイスにそう思わせるには十分であった。


「アンナ王女は最後には私を夫として選んでくださると信じていましたのに…。」


冗談とも本気とも判断つかない口調でルイスはアンナ王女の目を覗き込んだ。


アンナ王女はルイスの言葉に一瞬きょとんとしたが、

言葉の意味を自分なりに解釈したらしく、柔らかく微笑んで口を開いた。


「心配してくれているのね。でも、大丈夫。やり遂げてみせるわ。」


アンナ王女は先程とは違い、緊張に固くなっていた身と心がほぐれて

リラックスしている自分に気付いた。


緊張に固くなっている自分に真っ先に気付き、

ルイスと話すことでリラックスするよう導いてくれたデニスの配慮に思い至り、

彼に感謝の目線を送った。


デニスは遠くでアンナ王女の目線を受け、深く一礼していた。


「少しも本気とはとってくれないのですね。」


ルイスがアンナ王女に聞こえないボリュームでぽつりと呟いた時、

ホールの片隅からオーケストラの演奏が流れ始めた。


「アンナ様。踊っていただけますか。」


「ルカ様もまだいらっしゃっていないようですし、私でよければ喜んで。」



アンナ王女とルイスがダンスを踊り始めた時、

ルカ王子はダンスホールに早足で向かっていた。


「すっかり時間に遅れてしまった。アル、アンナ王女は。」


「既にご到着になっています。」


早足で歩く主人の歩幅に合わせながら、ルカ王子付き執事のアルフレッドが答える。


ダンスホールの扉をくぐると、オーケストラの美しい調べがルカ王子を迎え入れた。

同時に、ホール中央で踊る一組のカップルに皆が釘付けになっている様子が見て取れた。


「あのお二人、素敵ですわね。どちらの方?」

「ご存知ないのですか?アンナ王女とウェリントン公爵ですよ。

昔から仲睦まじくて、お似合いのカップルですわよね。」


「あれがセレネー国のアンナ王女か。あのように美しい女性は初めて見た…。

同盟を結んだのならヘリオス国の貴族が妻に迎えても問題なかろうな?

次は是非私と踊っていただこう。」


どうやら、アンナ王女はこの会場の人々の心を一瞬で掴んでしまったらしい。

ルカ王子は人影から二人が踊る様子を眺めながら、人々の囁き声に耳を傾けていた。



「なんだか皆様の視線を集めてしまっているのだけれど。」


アンナ王女は踊りながら恐縮した様子でルイスの耳元に口を寄せる。


「あなたの美しさに皆が見とれているのです。」


色香を漂わせた笑みを浮かべるルイスを見て、

アンナ王女はそういえばルイスは昔から女性の扱いが上手かったなぁと思い返す。

ダンスのリードは誰より上手で、

女性を引き立たせるよう配慮しながらの身のこなしは美しくて優雅。

こういうところに世の女性は惹かれるのだろうな、と思いながら笑みを返した。


「ルイスのリードはどんな女性も美しく輝かせてしまうものね。

もし私がルイスと結婚できていたら、

私もずっとルイスの隣で輝かせてもらえていたのでしょうね。」


先ほどルイスと結婚するだのしないだのと冗談を言っていたので、

アンナ王女はその延長でジョークを交えたつもりだったが、

ルイスにとっては冗談として受け取るにはずっと重く胸を打つ一言だった。


「アンナ様、私が隣にいてほしいのは…」


ルイスが国のことも忘れ、己の情熱を持て余しそうになったところで、

痛めた足に激痛が走り、よろけた身体をアンナ王女に支えられた。


「ルイス。やっぱり無理していたのね。デニスに送らせるから、今日はもう帰って。」


「大丈夫。ちょっとよろけただけですから。」


何より、ルカ王子を確認するまでは帰れない、ルイスはそう心で呟いた。


「だめ。」


ルイスの足下に跪いて怪我の具合をみていたアンナ王女は、顔を上げて言った。


「身体を大事にして。お願い。」


この可愛い幼馴染のお願いには昔から一度も逆らえた試しがない。


「わかりました。」


ルイスは諦めたように息をつき、デニスに言外の意味を含ませて視線を送る。


「でも、デニスの付き添いは不要です。デニスはアンナ様の側にいてやってくれ。」


「承知しました。」


デニスはルイスの目からその意を汲み取り、深く頷いた。


ルイスを見送り、会場に戻ると、ひとりの男性を中心に人だかりができているのが見えた。

着飾った令嬢たちが我先に話しかけんと恍惚とした表情で囲んでいるところをみると、

余程の人気者が現れたようだと推察できた。

女性に人気の高いルイスでもあんなに囲まれたことはないのでは、と思われる程だった。


遠目から人垣の間を縫って中心の人物を確認したデニスがアンナ王女に報告する。


「アンナ様、あの中心にいらっしゃる方がルカ王子です。」


アンナ王女はデニスの言葉を受け、大きく深呼吸をして心を落ち着けた。


「デニスの報告の通りね。すごい人気。私も負けていられないわ。

しっかりアピールしなきゃ。」


お茶目に笑ってみせたアンナ王女を見て、

デニスはアンナ様に敵う方などいらっしゃるはずがない、

と思いながら曖昧な笑みを返す。


「私はこちらで見守っております。」


アンナ王女がルカ王子を囲む人垣に近づくと、

美しい令嬢たちの鈴の鳴るような声が聞こえてきた。


「ルカ様。今日こそ私と踊ってください。」

「いいえ。私が先ですわよ。」

「私はルカ様にお会いしたいがために今日参りましたのよ。」

「最初は私と踊って下さるってお約束しましたわよね?」


ダンスに誘う声が様々な文句で飛び交っている。

アンナ王女はこういう殿方の取り合いの輪に参加した経験はなかったので、

少し離れたところからどうしたものかしらとその様子を眺めていた。


こんなに美しい令嬢たちに囲まれるなんて悪い気はしないだろうな、

ルイスもいつもそんな気持ちを味わっているのかな、

などと考えながら笑みを浮かべていると、

ふっと自分の横に人が近づいてきたことに気付いた。


「相変わらずすごい人気ですよね。」


こういった場のマナーとして、見知らぬ男性から女性に声をかけるのは

マナー違反とされていたが、アンナ王女はそういった類のマナーに寛容だったので、

笑みを浮かべて対応した。


「私はこちらの舞踏会に招かれたのは初めてでして。お名前もまだ把握しきれていなくて。

ごめんなさい。お伺いしてもよろしいでしょうか?」


「失礼。知り合いのご令嬢と間違えてしまいました。

私はネイサンと申します。あちらにいるルカ王子とは昔からの知り合いでして。」


「そうでしたか。ネイサン様のお知り合いと似た姿で立ち尽くしていてすみませんでした。

あまりにもすごい光景を目の前にして気後れしてしまって。」


朗らかな笑みを浮かべてそう話すアンナ王女に目を奪われた様子のネイサンが、

恭しくアンナ王女の手の甲にキスをした。


「あまりにもお美しいお姿に見とれてしまいました。

私の知り合いに似ていたなどとおこがましいことを申しました。

私に貴女様のお名前を聞くことを許していただけますでしょうか。」


アンナ王女が困惑の笑みを浮かべながら自身の名を名乗ろうと口を開きかけたところで、


「セレネー国のアンナ王女でいらっしゃいますね。」


アンナ王女を助けに入ろうとしていたデニスを制し、

人垣を抜け出してきたらしいルカ王子が声をかけた。


「はい。あなたは…」


ルカ王子の顔を仰ぎ見てアンナ王女は目を見開いた。


「私はヘリオス国の第三王子ルカと申します。以後、お見知りおきを。」


「あなたが、ルカ王子…」


アンナ王女は信じられないものを見たかのような表情で

自身の手の甲にキスするルカ王子の姿を見つめていた。

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