12.宗ちゃんを助けたい
「俺はもう寝る。椛も早く寝ろよ」
「うん……」
日が暮れて、山犬たちも寝静まる頃。
夕食を済ませた後お風呂から出ると、銀夜はそう言って自室に消えていった。
あの後、銀夜とはちゃんと話をしていない。
玲生さんと黄太君に「おやすみなさい」を言い、私が使わせてもらっている部屋に向かう。
「……はぁ」
今日も私は生き延びたけど、これからどうすればいいんだろう。
「おばあちゃん、お母さん……」
二人なら、どうすればいいのかわかっただろうか。
私がもっとしっかりしていれば。
鬼の封印が弱まっている――。
「だからおばあちゃんは私を呼んだんだ……」
人間の世界で祠を守っていただろう祖母の跡を、私に継がせるために。
ちゃんと祖母から話を聞いていれば、何かヒントになったかもしれない。
力の使い方がわかったかもしれない。
「宗ちゃん……」
それに、宗ちゃんだって、あのとき私に何か言おうとしていた。
とても大切なことを言おうとしているように見えた。
結局それを聞くことができずに、私たちははぐれてしまったけど……死んでなんかいないよね?
「……」
私たちが転移してしまったあの場所にもう一度行けば、何かわかるかもしれない。
宗ちゃんが死んだなんて信じたくないし、何か手がかりが見つかるかもしれない。
「……よしっ!」
意を決した私は、夜着を脱いでこの世界に来たときの洋服に着替えてスニーカーを履くと、裏口からそっと外へ抜け出した。
「――はぁ、はぁ……っ」
それから、ひたすら走った。
山犬の住処へは銀夜に運ばれてきたから、道をはっきりとは覚えていないけど。
それでも、小さい頃山で育った私なら、きっとなんとかなると根拠のない自信を抱き、止まらずに走った。
怪我だって治ったし、血の匂いがしなければ、きっと大丈夫。
本当はとても怖いし、不安だけど、もう引き返せない。
「宗ちゃん……」
とにかく、宗ちゃんを助けなきゃ。
私のせいで彼を危険な目に遭わせてしまったのに、黙ってなんていられない。
お願い、どうか生きてて……!
もし生きていてくれたら、怪我をしていても私が必ず治すから――!
「痛……っ」
どれくらい走っただろう。かなり遠くまで来たと思うけど、暗闇で足がもつれて、転んでしまった。
そして、一度止まると気づいてしまう。
私の心臓は早鐘のように脈を刻み、息が止まりそうなほど苦しいことに。
疲れもあるだろうけど、そのほとんどは恐怖から来るものだ。
それに、とても寒い。山犬の住処にいたからわからなかったけど、この山は夜になるとこんなに冷えるのね。
「……っ」
恐怖を自覚した途端、身体がガチガチと震えていく。
足にも力が入らない。でも、このままここで座り込んでいたらきっと死んでしまう。
「!」
そう思って力を振り絞り、立ち上がったとき。
近くの茂みから、ガサガサと音が聞こえた。
「あやかし……?」
鬼ではないとしても、狼や他の野蛮なあやかしだったらまずい……。
そう思いつつ、足下に落ちていた木の棒を握り、構える。
「グォォォォォ――!」
「熊……!?」
だけど現れたのは、私の身長の倍はありそうな、大きな熊だった。
あやかしではなさそうだけど、これも十分まずい。
「やばいやばいやばい……、こんな棒で勝てるわけないって……!」
わかっているけれど、武器はないよりましかも。
そう思い、熊に向かって木の棒を構えた。
〝バキィ――〟
「……っ!!」
けれど、まったく怯む様子を見せない熊は、あっさりと木の棒を弾き飛ばすと、私に大きな手を振り上げてきた。
――駄目だ、私。今度こそ本当に死ぬ――。
死を覚悟したとき、頭の中に走馬燈のように昔の記憶が蘇ってきた。
優しかったけど、いつも祖母と一緒に何かをしていて忙しそうだった母。
そうか、お母さんは封印を守っていたのね。
私たちはあやかしの世界に来てしまったけど、向こうの世界は今、大丈夫かな?
……きっとおばあちゃんがなんとかしてくれているよね?
でも私、何もできなかった。
父との思い出は全然ない。
愛琉の我儘を聞いていた思い出のほうが、大きいかも。
愛琉、宗ちゃんを助けられなかったら、きっと怒るんだろうなぁ……。
怒ると言えば、銀夜よね。
あんなに外は危険だって言われたのに。
姫巫女様の血を受け継ぐ私がいなくなったら、きっと山神様になれないって、怒るよね。
……攫われたのか助けてくれたのか、わかんない感じだったけど……ごめんね、銀夜。
世界がゆっくり動いているような感覚の中、他人事のようにそんなことを考えていた、そのとき。
「――っ!」
ものすごい速さで、白いものが現れた。
「……え、」
〝ドォォォォォン――〟
熊の首の辺りで、きらりと閃光が走った直後。
その白いものが熊の後ろから飛んできて、着地した。
それと同時に、熊は大きな音を立てて地面に倒れた。
「ぎん、や……」
あまりにも速くて、目で追えなかったけど。
着地した銀夜は、刀を鞘に戻して私に視線を向けた。
「帰るぞ」
「……」
そしてただ一言静かにそう言うと、銀夜は人間の姿のまま、何も言えずに固まっている私を横抱きに抱えて、走り出す。
すごい……。あんなに大きな熊を、一太刀で仕留めてしまうなんて。
でも。
「……ごめんなさい」
「……」
聞こえたかはわからないけれど、小さくそう呟いて、銀夜の着物をぎゅっと掴んだ。
また、助けられてしまった。
結局私は、何もできなかった。
何も言わずに私を抱えて走る銀夜に、胸が締めつけられる。
――私はただ、宗ちゃんを助けたかった。
けれどそれは、今の私には無理なのだと、痛いほど思い知らされた。
この山には、あやかし以外にも危険な獣がたくさんいる。
私が手も足も出なかった大きな熊を、銀夜は簡単に倒してしまった。
その圧倒的な力を前に、自分の無力さを痛感せざるを得ない。
「……っ」
「……」
悔しくてこぼれた涙は、風に乗って流れていく。
無力な自分が悔しくて、たまらない。
もし本当に私に姫巫女様の血が流れているのなら。特別な力があるのなら。
すぐにでも目覚めさせて、今度こそ宗ちゃんを助けに行きたい。
このときの銀夜の温もりがあたたかくて、ただただ静かに、私は涙を流した。