トルコ反攻作戦
1943年9月5日トルコ陸空軍は、大日本帝国陸軍の援軍を迎え入れて反攻作戦を開始した。
『大日本帝国はフランス共和国とオランダ王国がトルコに侵攻してから、即座に対応を決定した。そして大日本帝国陸軍第3方面軍(司令官岩松義雄大将)と大日本帝国陸軍航空隊第8飛行師団(司令官鈴木率道大将)を派遣したのである。しかも大規模軍事援助は続けられており、トルコの軍事力は日に日に強化されていった。
そして1943年9月5日、トルコ陸空軍は満を持して反攻作戦を開始したのである。そして作戦の火蓋を切ったのは例の如く、大日本帝国の開発した43式弾道弾であった。全長15メートルで直径1.7メートル、2トン弾頭を装備しマッハ2.5の速さで800キロを飛翔する物であり、フランス共和国とオランダ王国も既に認知している兵器だが、マッハ2.5もの速度に反応出来る兵器を保有していない為に、対応は無理であった。
その為に轟音と噴煙を残して降り注ぐ43式弾道弾は、次々とフランス共和国とオランダ王国の陸軍部隊と防御陣地を破壊した。何せ2トン弾頭を擁する物体がマッハ2.5で降り注ぐのだ、着弾時の破壊力は尋常では無かった。
しかも今回投入された43式弾道弾は信管を2種類に変更可能な改良型であり、着発信管と遅発信管に設定出来た。これにより遅発信管型は地中にある程度突き刺さりそれから爆発する為に、今で言う所の地中貫通爆弾のような性能を発揮する事になった。これにより着弾地点は巨大なクレーターが形成され、破壊力の大きさを見せ付けていたのだ。
そしてダメ押しとして43式自走式多連装ロケット砲カチューシャの攻撃も開始された。大日本帝国が大量生産している軍用トラックの6輪車輌の荷台に柵状の構造物があり、それが斜めに持ち上がり射角を確保すると、凄まじい連射速度で噴進弾を発射するものだった。横に8本並ぶ発射機が上下2段ある為に、合計16発を一気に発射する事が可能であった。
その攻撃はもはや大日本帝国や連合国にとってはある種テンプレートとなっていたが、フランス共和国とオランダ王国には防ぐ手立ては無かったのである。そして肝心なのは攻撃は始まったばかり、という事であった。』
小森菜子著
『欧州の聖戦』より一部抜粋




