対策会議8
1943年9月3日、アメリカ合衆国首都ワシントンDCのホワイトハウスではルーズベルト大統領が対策会議を開いていた。参加する海軍クイーン作戦部長・陸軍マーシャル参謀総長・陸軍航空軍アーノルド司令官・ハル国務長官の表情は一様に暗かった。何せサンフランシスコが壊滅状態になってしまったのだ。あまりに被害が大きすぎる為に、救助活動は難航していたのである。
ルーズベルト大統領はクイーン作戦部長に向かい無感情に、太平洋艦隊は何をしていた、と尋ねた。クイーン作戦部長は長身を縮こませながら、連合艦隊の通商破壊戦と機雷除去に精一杯でありました、と語った。
だからといって戦艦や空母が引き籠もったままなのか!、とルーズベルト大統領は机を叩きながら怒鳴った。その言葉にマーシャル参謀総長は、陸軍ながら口添えすると戦艦も空母も単独ではただの的です、とフォローした。クイーン作戦部長はマーシャル参謀総長に、目礼した。
ルーズベルト大統領は車椅子を窓際に移動させ、外の景色に目を移した。緊張感のある沈黙が大統領執務室を包んだ。
『この後行われたホワイトハウスでの対策会議では、如何にして防衛体制を整えるかが話し合われた。完全にアメリカ合衆国が守勢に回った瞬間だった。長く続いた対策会議で決定された唯一の事は、陸軍の高射部隊を各都市に配備する事だけだった。
航空隊の投入は西海岸の主要都市のみにするか、西海岸全域にするか判断が下せず保留とされた。太平洋艦隊は通商破壊戦と機雷除去を早急に行い、西海岸全域での哨戒活動を行うようにルーズベルト大統領に強く命令されたが、何せ大日本帝国海軍連合艦隊の投入した潜水艦が多過ぎたのである。
その為にクイーン作戦部長は、大西洋艦隊の太平洋展開も考えていると語ったが、地中海に展開する大日本帝国海軍連合艦隊を考慮するとそれも難しく、その為に太平洋艦隊云々についても保留とされた。
つまるところアメリカ合衆国は手詰まりであったのだ。海軍艦艇や航空機を大量生産したところで、その活動範囲は限られた。それに対して大日本帝国はサンフランシスコ空襲以後は、1週間に1度の頻度でハワイ諸島から航空隊と連合艦隊による協同での空襲を、西海岸各地に行う程であった。
こうなるとアメリカ合衆国の斜陽は明らかであり、それはヨーロッパにも影響を与える事になったのである。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




