アメリカ合衆国本土初空襲
1943年9月1日、大日本帝国陸海軍によるアメリカ合衆国本土空襲が行われた。投入兵力は大日本帝国海軍連合艦隊第1機動艦隊・第2機動艦隊・第4機動艦隊、ハワイ諸島に展開する海軍航空隊第15航空艦隊と陸軍航空隊第18飛行師団だった。
海軍の作戦責任者である第1機動艦隊司令長官中野真知子大将は、第1波攻撃として総数1000機を出撃させた。これにより陣風改艦上戦闘機と流星艦上攻撃機が蒸気カタパルトにより次々と発艦された。
軽空母千歳級は搭載するジェット戦闘機烈風二型を発艦させ、艦隊防空を全力で行っていた。流星艦上攻撃機は、彗星艦上爆撃機と天山艦上攻撃機の両機種を統合し、石川島播磨重工業製排気タービン過給器エンジンのハ45を搭載した新型機である。ハワイ諸島占領作戦では大量生産体制が間に合わず、投入されなかったがその後体制が整い今回のアメリカ合衆国本土空襲作戦に投入された。
そして海軍航空隊は重陸上攻撃機深山、陸軍航空隊は重爆撃機連山なら航続距離8800キロを誇る為に、搭載爆弾の軽装状態ならハワイ諸島と西海岸間を往復可能であった為に大挙してアメリカ合衆国本土に飛来させていた。
この攻撃にアメリカ合衆国の対応は後手後手だった。まずそもそもとしてアメリカ合衆国西海岸は、大日本帝国海軍連合艦隊潜水艦部隊により、連日通商破壊戦が行われていた。投入されたのは潜水艦伊400級であり、90センチ超魚雷海龍発射管4門と75センチ魚雷発射管4門の重武装を誇っていた。90センチ超魚雷海龍は1発で超弩級戦艦でさえも轟沈可能であり、輸送船相手には過剰殺戮もいいところだった。
そして伊400級は2種類の魚雷を駆使し毎日のように輸送船を撃沈し続け、更には沿岸警備隊や太平洋艦隊の哨戒部隊まで撃沈し続けた。この為に大日本帝国によるアメリカ合衆国本土空襲作戦実行時には、西海岸周辺海域は無防備に晒されていたのだ。
だが流石に大日本帝国海軍連合艦隊機動艦隊の艦載機の発艦と陸海軍航空隊の飛来は、アメリカ合衆国はようやく実用化した対空レーダーにより探知する事になった。遂に本土空襲が現実のものになった事に、アメリカ合衆国陸軍航空軍とアメリカ合衆国海軍航空隊・アメリカ合衆国海兵隊航空隊は、全力で迎撃機を離陸させたのである。




