北アフリカ平定戦4
アメリカ合衆国陸軍航空軍が自信をもって投入したP-51マスタングは、一気呵成に襲い掛かった。だがP-51マスタングは接近している段階から大日本帝国海軍第7機動艦隊を発艦した、三式艦上早期警戒管制機に捕捉されていた。そして早くも陣風改艦上戦闘機とジェット戦闘機烈風二型は、P-51マスタングの飛行高度より更に高く展開したのである。この時のアメリカ合衆国陸軍航空軍P-51マスタングの悲劇は、機上レーダーが未だに実用化出来ていなかった点だ。
機体開発やエンジン開発が優先され、レーダー関連の開発も続けられたが開発ペースはやや遅れていた。そうとは知らず飛行を続けるP-51マスタングに、陣風改艦上戦闘機とジェット戦闘機烈風二型は50キロ噴進弾を斉射した。近接信管を搭載した50キロ噴進弾は即座にP-51マスタングに接近し、その瞬間近接信管が作動しP-51マスタングは次々と撃墜された。
辛くも撃墜を免れたP-51マスタングもいたがその体勢を立て直す暇もなく、陣風改艦上戦闘機とジェット戦闘機烈風二型は逆落とし攻撃を開始したのである。両機種が搭載する機関砲と機銃はP-51マスタングの防弾装甲を容易く貫いた。その為に空戦ともいえる状態では無く、一方的にP-51マスタングは撃墜されていった。その為に対地攻撃として攻撃機のA-26インベーダーも飛行していたが、対地攻撃を行う前に陣風改艦上戦闘機とジェット戦闘機烈風二型に次々と撃墜された。
あまりの惨状にアメリカ合衆国陸軍第1機甲軍団のジョージパットン中将は、驚くしか無かった。大日本帝国陸軍開発した三式重戦車は最早止められなかった。M26パーシングやV号戦車パンター・VI号戦車ティーガーI型は撃破され続けた。43式弾道弾も降り注ぎ、43式自走式多連装ロケット砲カチューシャもその斉射を止めなかった。
大英帝国陸軍北アフリカ方面軍司令官のバーナードモントゴメリー大将は、今が決戦の時だと大規模攻勢を命令した。『石橋を叩いても渡らない』程の守備的姿勢、つまりは防勢的指導を行うモントゴメリー司令官らしからぬ命令だったがタイミングは今しか無かった。
この突撃にパットン中将は耐えられないと判断し、全部隊に撤退を命令した。だが既に制空権を奪われており、それは限りなく不可能に近かった。




