緊急閣議9
1943年7月7日。フランス共和国とオランダ王国によるトルコ侵攻を受けて大日本帝国帝都東京首相官邸では、山本総理兼海相により緊急閣議が招集されていた。イタリア王国での反攻が成功し、北アフリカ戦線でアメリカ合衆国海軍とフランス共和国海軍を追い払って安定を確保した矢先の出来事であった。だが山本総理兼海相はその行動こそが、連合艦隊のみならず連合軍の注意を引く陽動作戦ではなかったのか、と語った。それを受けて緊急閣議ではトルコ救援を中心とし、大日本帝国としての次なる方針が話し合われる事になったのである。
『フランス共和国とオランダ王国によるトルコ侵攻は、大日本帝国以下連合国各国に衝撃を与えた。第二次世界大戦は文字通り世界規模での大戦争であり、太平洋戦線・北アフリカ戦線・イタリア戦線があったがそれに新たにトルコ戦線が生まれた瞬間であった。大日本帝国にとっては頭の痛い事態だった。ただでさえ全戦線に兵力を派遣し、特に太平洋戦線は大日本帝国がアメリカ合衆国と全力でぶつかり合っており、その経済的負担は大きかった。
だが皆さんもご存知の通り大日本帝国政府はその戦時経済を上手く舵取りし、戦争に勝利し戦後のインフレ率を年率30パーセントで抑え込む事が出来たのである。大日本帝国は1942年8月31日に山本総理兼海相が帝国議会に帝国改革法案を提出し、可決成立させた事により税収が大幅に増大さていた。
これにより大日本帝国の第二次世界大戦における戦費調達は、主に以下の3つの要素で構成され、総戦費の約60%を借入(国債)、約40%を税収で賄うという構造だった。まず1つ目は国債(戦時貯蓄債券)の国民への販売(約60%)戦費調達の最大柱であったが、その調達方法には複数あった。まずは国民の貯蓄の活用である。
大日本帝国政府は[戦時貯蓄債券]を大々的に宣伝し、国民や企業に購入を強く奨励したのである。これにより、国民の遊休資金(貯蓄)を市場から吸い上げて戦費に充てた。
次が通貨増発の抑制である。国民からお金を借りることは、市場に出回る通貨を減らす効果があるため、インフレ圧力の上昇を抑制する上で非常に重要な役割を果たした。そして愛国心と義務感を大々的に訴えたのである。
「債券を買って、攻撃を支援しよう」や「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンのもと、愛国心を刺激するキャンペーンが大々的に展開されたのである。
2つ目が増税による税収(約40%)であった。大日本帝国は帝国改革法案可決成立以後戦費における税収の比重(約4割)が非常に高く、健全な財源構成であった。帝国改革法案による貧富の格差解消により税率の引き上げ等により課税対象となる国民の数も激増した。これにより、戦費の一部がしっかりと税金として賄われたのである。更には軍需産業が過剰な利益を上げないよう、超過利潤税などが導入されていた。
3つ目は国内生産の統制を行い戦時生産委員会などを通じ、民間消費財の生産を制限し、軍需品生産に資源を集中させました。これにより、インフレ圧力を間接的に抑えた。これにより戦後の大日本帝国はインフレに見舞われたが、ハイパーインフレとまではいかず短期間で収束した。 しかも更には中東の油田開発により大日本帝国財政は飛躍的に高まったのである。
とまあ話はそれたが、大日本帝国が財政破綻する事無く第二次世界大戦を乗り越えられたのは事実だが、トルコ侵攻による新たな戦線が出現した時の大日本帝国政府の苦悩は大きかった。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




