緊急閣議8
1943年5月15日。大日本帝国帝都東京首相官邸では、山本総理兼海相により緊急閣議が開催されていた。ポー平原戦車戦に勝利しイタリア王国への侵攻を防いだ事により、一時的にイタリア王国は安定を取り戻していた。そしてそれを受けて山本総理兼海相と東條陸相は、かねてから話し合いを続けていた点に関して閣議決定を取る事にしたのである。
その内容とは連合国としての、連合軍派遣であった。昨年1942年10月1日の連合国共同宣言により大日本帝国・大英帝国・イタリア王国・中華民国の四カ国が連合国の主要国となり、1942年11月11日にタイ王国・オーストラリア・ニュージーランド・トルコ・イランが連合国への加盟を表明し、大日本帝国は大規模な軍事援助を行う事になっていた。その大規模な軍事援助は連合国に参加した国々の軍事力を底上げし、その軍事力は連合国に参加する前とは比べ物にならないものになっていた。
そこで山本総理兼海相と東條陸相は、連合国各国を連合軍として一気に戦線に投入する事を話し合っていた。シベリア解放作戦で中華民国と満州帝国が軍を派遣していた事から、前例はある為に各国への調整は可能だと思われた。特に注力すべき戦線として東條陸相は、イタリア王国をあげていた。
第1第2方面軍を派遣していたがそれだけの兵力では防衛が精一杯で、アルプス山脈を越えてのヨーロッパ侵攻は不可能だったからである。それは山本総理兼海相も理解を示し、イタリア王国への投入は最優先事項となった。そして山本総理兼海相は北アフリカ戦線も、投入すべきだと力説した。北アフリカに展開するアメリカ合衆国軍を叩き出す事により、地中海の制海権を確固たるものにしイタリア王国北部からの侵攻阻止と逆侵攻が可能になると説明したのである。
それに東條陸相も賛同し、連合軍を投入すべき戦線はイタリア王国と北アフリカと決定したのである。そして緊急閣議に於いて東條陸相から、連合軍の派遣について説明がなされた。ある種内政干渉的な意見であるが、事実上の連合国のオーナーである為に大日本帝国の意見は大きなものになっていた。
当然ながら決定となれば東郷外務大臣のみならず、山本総理兼海相も外交交渉を行う事になる。だが力関係的に大日本帝国の要請や外交交渉は、ある意味で『命令』であるのも事実だった。それは閣僚達も理解しており、更には戦争に勝利する為には必要不可欠な援軍である為に、全会一致により連合軍派遣は閣議決定されたのである。
これにより大日本帝国は連合国のオーナーとして、大規模な部隊再編と移動を行う事になり大日本帝国自身も、大規模な作戦を行う事になった。だがそれが開戦以来連勝していた大日本帝国に、甚大なる被害を与える事になってしまう結果となったのである。




