躍動
1943年3月1日。アメリカ合衆国のトーチ作戦、大日本帝国のシベリア解放作戦から、1ヶ月と少しが経過した。両国は共に作戦目標を達成していた。
アメリカ合衆国はトーチ作戦に於いて北アフリカ沿岸部の、大半を占領する事に成功していた。本来の作戦目標である、スエズ運河占領は大英帝国陸軍とイタリア王国陸軍の必死の防衛により、達成出来ていなかった。だが北アフリカ沿岸部の占領により、飛行場や港を拠点とし航空機や艦隊による通商破壊戦を実行する事が可能となった。
これにより大日本帝国からイタリア王国への軍事支援は、最大で3割減に及ぶ被害が発生する事になった。大日本帝国から送られる軍事支援が、3割も撃墜・撃沈させられてしまうのである。イタリア王国にとっては、由々しき事態だった。
それは大日本帝国にしても同じであった。何とかヨーロッパ大陸に於いて最後の希望として奮闘する、イタリア王国を支援するのが最優先事項であるがそれが支障をきたす事になったのである。
その為に大日本帝国としても、イタリア王国への軍事援助のルートを確保し続ける為の行動を起こす必要があった。大日本帝国は海軍航空隊の第10・第11航空艦隊と陸軍航空隊の第3・第4飛行師団を、大英帝国から撤収しイタリア王国に集中して配備していた。
そこで大日本帝国は駐留する航空隊を任務別に振り分ける事にした。陸軍航空隊は引き続きイタリア王国北部に展開し、フランス陸軍航空隊の空襲を阻止する。海軍航空隊はナポリ近郊に展開し、アメリカ合衆国による通商破壊戦を阻止する事になった。そして更に連合艦隊の第6機動艦隊も地中海に向けて派遣した。第6機動艦隊は正規空母陸奥と正規空母大鷹級3隻を配備する艦隊であり、イタリア王国沿岸部の防衛には最適だった。
しかも海上保安庁も新編した第10護衛隊群をイタリア王国に派遣。イタリア王国の脆弱な海軍兵力に成り代わり、イタリア王国沿岸部の地中海を安定させる事になった。
慌てたのはアメリカ合衆国であった。ここまで本気で大日本帝国が対抗してくるとは、想定していなかったからである。これによりアメリカ合衆国は当初の想定以上に、兵力を増派する必要に迫られた。しかも派遣したとて航空機の性能では、大日本帝国に劣る為に被害を拡大させるだけとなった。
海軍にしても戦時建造計画が道半ばである為に、ある種兵力不足なのは否めず連合艦隊に遭遇すると、大西洋艦隊は逃走する事になった。こうして北アフリカに於いては、不思議な膠着状態に陥る事になったのである。