トーチ作戦3
第1機甲軍団はパットン将軍の性格から、突貫を開始した。第1機甲軍団として編成された第3歩兵師団・第9歩兵師団・第2機甲師団は、高度に自動車化されており機動力は圧倒的に高かった。機甲師団の国産M4戦車、フランスがスカウトしたドイツ人技術者が開発したV号戦車パンターとVI号戦車ティーガーI型、そして更にアメリカ合衆国が開発した新型重戦車である、M26パーシングの先行量産型。この大量の機甲戦力を主力とした第1機甲軍団は、この時点では北アフリカ最強を誇った。あまりの規模に大英帝国とイタリア王国は、陸軍を退避させ迎撃準備を整える事にしたのである。
だがその目論見は、パットン将軍のある種無謀とも言える突貫により、万全を期す事は出来なかった。
『パットン将軍率いる第1機甲軍団は、大英帝国陸軍とイタリア王国陸軍を圧倒した。何と言っても第2機甲師団が擁する戦車兵力が圧倒的だった。M4戦車も新型砲に換装されており破壊力は向上し、V号戦車パンターとVI号戦車ティーガーI型は言わずもがなの破壊力をみせた。
だが縦横無尽の活躍をみせたのは、アメリカ合衆国陸軍が開発した新型重戦車である、M26パーシングの先行量産型だった。フランス陸軍に続いて、アメリカ合衆国陸軍も重戦車を開発し、遂に実戦投入したのである。大日本帝国陸軍とイタリア王国陸軍も重戦車開発を行っており一部の研究者は、この時期こそ主力戦車(MBT)の第一世代だと訴えている。
私もその意見に賛同したくなる程に、第二次世界大戦に於いては主要国家は全て重戦車を開発し、実戦投入したのである。特にこの北アフリカでは新型重戦車である、M26パーシングの先行量産型は文字通り[最強]となった。主砲の50口径90ミリ砲M3は、大英帝国陸軍とイタリア王国陸軍の戦車を簡単に撃破したのである。その戦車は大英帝国とイタリア王国それぞれの国産戦車のみならず、大日本帝国が軍事援助として提供した三四式戦車も含まれており、後に大日本帝国の重戦車開発に大きな影響を与えた。
アメリカ合衆国陸軍第1機甲軍団により、北アフリカ沿岸部の広大な地域は占領され、アメリカ合衆国は続々と部隊を送り込むことになったのである。』
小森菜子著
『欧州の聖戦』より一部抜粋