トーチ作戦
1943年1月25日。アメリカ合衆国はトーチ作戦を開始した。
『アメリカ合衆国は海軍大西洋艦隊と陸軍・海兵隊の総力を挙げてアフリカ大陸への上陸作戦を開始した。当初アメリカ合衆国は保護国のリベリアへ部隊を輸送させようとしたが、大英帝国とイタリア王国との戦闘はその植民地の位置するアフリカ北東部で行われていた為に、フランス領アルジェリアへの上陸が行われた。しかしヨーロッパ大陸と違いアフリカ大陸では大英帝国とイタリア王国が優勢だった為に、アメリカ合衆国は上陸作戦から壮絶なる戦いを行った。
1942年12月15日に実施した大日本帝国空襲作戦に失敗した太平洋艦隊の空母部隊を大西洋艦隊に移動させて、トーチ作戦用の海軍兵力を編成した。壊滅状態にある艦載機は空母部隊がアメリカ合衆国東海岸のノーフォーク海軍基地に到着してから、機体とパイロットが補充され戦力としては再編された。そして休養と大西洋艦隊との合流を行い、満を持して1943年1月25日にトーチ作戦は開始されたのである。正規空母エセックス級2隻と軽空母インディペンデンス級5隻から発艦した艦載機410機は、フランス領アルジェリアを攻撃していた大英帝国とイタリア王国に対して爆撃を開始した。それに対して大英帝国とイタリア王国の現地部隊は必死になって迎撃を行った。
何せアフリカ大陸を失い地中海の出入り口であるスエズ運河も失う事になれば、イタリア王国に対する大日本帝国からの軍事援助が途切れる可能性が高かった。大日本帝国はそうなれば大英帝国の時と同じく空輸作戦を行う事にしていたが、今の輸送船団を利用した大規模な軍事援助が出来ないとなればそれは大きな意味があった。だからこそアメリカ合衆国はフランス・オランダを支援する為にトーチ作戦を実行したのである。そして大英帝国とイタリア王国は地中海の出入り口を死守する為にも、何としても侵攻を阻止しなければならなかった。』
小森菜子著
『欧州の聖戦』より一部抜粋
必死に防衛戦を行う大英帝国とイタリア王国であったが、何せアメリカ合衆国海軍大西洋艦隊の艦載機が多過ぎた。しかもフランス・オランダ陸軍航空隊も合同で攻撃してきた為に、至る所で空戦が繰り広げられたのである。その為に上陸作戦を行うアメリカ合衆国海軍大西洋艦隊は一切の妨害を受ける事無く、上陸作戦を行う事が出来た。アメリカ海軍大西洋艦隊の誇る戦艦部隊が、意地を見せるように猛烈な艦砲射撃を開始したのである。姉を大日本帝国に拿捕された超弩級戦艦ユナイテッドステーツ級2番艦アメリカは、その自慢の46センチ砲を振りかざしアフリカの大地を抉り続けた。
時代の趨勢から海軍の主力は空母に譲る事になったが、その圧倒的な存在感は他を圧するものがあったのである。その他の戦艦部隊も艦砲射撃を続け遂にアメリカ合衆国海兵隊が上陸作戦を開始した。