奇襲作戦2
アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊は攻撃地点に到達すると、艦載機を発艦させた。太平洋艦隊にとっては未だに大日本帝国に察知されていない筈であった。タイミング良く北太平洋は冬の荒れた天気になり、航空機は敵味方共に飛行するのが困難だと判断していた。だが大日本帝国は新型の『42式早期警戒管制機』を飛行させ、装備する大型レーダーにより早くから太平洋艦隊を捕捉していた。アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊も逆探装置に断片的な反応を探知していたが、吹雪に阻まれておりその探知も吹雪によるものだと判断した。
それを裏付けるように大日本帝国からの攻撃が無かった為に、アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊は攻撃地点から艦載機を発艦させたのである。しかしそれ自体が大日本帝国の罠であった。大日本帝国はアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊が攻撃に成功したと思わせてから動き出した。
『大日本帝国本土の北海道を目標としてアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊が放った艦載機は、合計1490機という膨大な数になった。詳細を説明すれば護衛空母ボーグ級24機、軽空母インディペンデンス級38機、正規空母エセックス級110機をそれぞれ搭載可能で、護衛空母ボーグ級で45隻1080機、軽空母インディペンデンス級で5隻190機、正規空母エセックス級で2隻220機、をアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊は有していた。大日本帝国の歴史上これ程までに膨大な数の艦載機に攻撃されるのは初めてだった。
だが迎え撃つ大日本帝国は準備万端で待ち構えていた。今回のアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊の攻撃は北海道を目標にしたが、南樺太・千島列島・北海道に展開していた大日本帝国海軍陸軍航空隊は3個に及んだ。南樺太には大日本帝国陸軍航空隊の第2飛行師団、千島列島には大日本帝国海軍航空隊の第4航空艦隊、北海道には大日本帝国海軍航空隊の第9航空艦隊が配備されていた。1個航空隊は400機編成であり1個航空艦隊・飛行師団は800機を保有していた。それが3個もあり2400機もの機体が存在したのである。
既に即応待機中の機体のみならず全戦闘機が暖気運転を行い出撃体制にあったが、42式早期警戒管制機がアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊の発艦完了を確認すると、全機が一斉に離陸した。各種支援機を除いた戦闘機は2100機になり、海軍航空隊は局地戦闘機紫電とジェット戦闘機烈風、陸軍航空隊は二式戦闘機鍾馗とジェット戦闘機火龍が太平洋艦隊艦載機に向かった。その間もレーダーサイトや42式早期警戒管制機が太平洋艦隊艦載機を捕捉し続けていた。それにアメリカ合衆国は全く気付いていなかった。太平洋艦隊艦載機は全て新型であり艦上戦闘機はF6FヘルキャットとF4Uコルセアの2種類、艦上攻撃機TBFアヴェンジャー、艦上爆撃機SB2Cヘルダイヴァーであったが未だにレーダーは装備していなかった。
技術力と工業力としてはアメリカ合衆国もレーダーを開発出来る筈であるが、この当時のアメリカ合衆国はハード面の増強に必死でありレーダーにまで手が回っていなかった。アメリカ合衆国で航空機搭載レーダーが登場するのは1943年半ばであった。艦艇搭載レーダーも同じだった。
というよりも今回の空襲に於いて太平洋艦隊艦載機の大敗が、アメリカ合衆国にレーダーの早期実用化を決意させる事になったのである。ここからはその空襲について説明する。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋