奇襲作戦
1942年12月15日。アメリカ合衆国は大規模軍拡を実行中であったがその中で、修理改修が終わった太平洋艦隊と新造艦艇を利用した大日本帝国への奇襲作戦を開始した。ルーズベルト大統領としては大日本帝国に何としても目に物見せる必要があると、軍部に発破をかけて作戦を立案させルーズベルト大統領に提示したのが大日本帝国本土に対して北太平洋から奇襲作戦を行うというものだった。
『大日本帝国はその領有する全土に対空レーダー網を整備し、陸軍と海軍の航空隊基地も整備されていた。特に硫黄島・マリアナ諸島・千島列島は『要塞島』と言われる程に、朝鮮半島・台湾島・南樺太は軍事区画に指定された一部地域が、徹底的な要塞化がなされ陸軍と海軍の航空隊基地も整備されていた。これにより北からの攻撃は南樺太・千島列島の要塞が、南からの攻撃は硫黄島・マリアナ諸島の要塞が、西からの攻撃は台湾島・朝鮮半島の要塞が、それぞれ防衛線の役目を担う事になっていた。唯一要塞の無い東は太平洋が広がっており、海軍連合艦隊が活躍すると共に東北地方沿岸が要塞化されていた。その為に第二次世界大戦に於いてアメリカ合衆国からの攻撃は、万全の態勢で迎撃する事が可能になっていた。アメリカ合衆国は大日本帝国の防空体制を、完全に侮っていたのである。
1942年12月15日に行われたアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊による、大日本帝国への奇襲作戦はその時点で用意できる航空兵力を大規模に投入して行われた。アメリカ合衆国の[両用艦隊法]は膨大な数の艦艇を建造する事になっており奇襲作戦開始時点で竣工していたのは、駆逐艦フレッチャー級180隻・護衛空母ボーグ級45隻・軽空母インディペンデンス級5隻・軽巡洋艦クリーブランド級10隻・正規空母エセックス級2隻だった。恐ろしい事にこれだけの数でありながら、未だに計画数の3割弱でしか竣工していなかったのである。これにトラック島沖海戦での損傷を受けて改修を終えた太平洋艦隊も、戦列に復帰しており保有総数だけ見れば膨大な数に及んだ。
だが今や時代は航空機に主力が移っており、改修した太平洋艦隊の戦艦は巨大な護衛艦としての役割りしか無かった。奇襲作戦の一翼を担うのは竣工したばかりの護衛空母ボーグ級と軽空母インディペンデンス級・正規空母エセックス級であった。搭載機は護衛空母ボーグ級24機、軽空母インディペンデンス級38機、正規空母エセックス級110機。護衛空母ボーグ級で45隻1080機、軽空母インディペンデンス級で5隻190機、正規空母エセックス級で2隻220機、合計1490機という膨大な数を奇襲作戦では投入する事になった。
アメリカ合衆国が奇襲作戦を12月という真冬に実行したのは、気象条件が過酷であり大日本帝国の哨戒網に隙が生じると判断したからである。当然ながらその状況で北太平洋を航行しないといけない、アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊も相応の覚悟がいるが作戦は強行された。現状では大日本帝国によるハワイ諸島への空襲が断続的に行われており、太平洋艦隊の母港は西海岸サンディエゴに後退させられていた。その状況を少しでも挽回する為に実行された奇襲作戦だが、アメリカ合衆国は大日本帝国の哨戒網を甘く見すぎていたのであった。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




