連合国拡大
1942年11月11日。大日本帝国にとって歓迎すべき知らせがもたらされた。タイ王国・オーストリア・ニュージーランド・トルコ・イランが連合国への加盟を表明したからである。
『1942年10月1日に大日本帝国帝都東京帝国ホテルにて開催された日英伊中四カ国首脳会談に於いて、山本総理兼海相は太平洋憲章を基礎として[連合国共同宣言]を提示した。これに四カ国は署名し連合国共同宣言によって、大日本帝国・大英帝国・イタリア王国・中華民国の四カ国を連合国の主要国として、今後の戦争に於ける中心的役割りを担う事にしたのである。そして首脳会談終了後大日本帝国は世界各国に連合国への加盟を呼び掛け、連合国を増やそうとしていた。だがそれに即座に反応したのは大日本帝国の保護国たる満州帝国だけだったのである。
満州帝国は外交も安全保障も大日本帝国に全面的に依存する保護国である為に、連合国の拡大とは言い切れなかった。大日本帝国で亡命政府を樹立した大英帝国首相チャーチルは、大英帝国連邦のオーストラリアとニュージーランドに連合国加盟を打診した。チャーチル首相はこの戦争終了後に大英帝国連邦からの完全独立を認める事も伝えており、大英帝国から独立後は大日本帝国の組織する大東亜共栄圏が亜細亜と太平洋の安全保障を担うと語ったのである。
力関係的に大英帝国から大日本帝国に乗り換えるのが得策だとオーストラリアとニュージーランドは理解していたが、現状で太平洋にはアメリカ合衆国とフランスの拠点が点在しているのも事実だった。そこでオーストラリアとニュージーランドはチャーチル首相に、大日本帝国が安全保障を担う事の証明としてハワイ諸島以外の太平洋平定を求めたのである。それを受けてチャーチル首相は山本総理兼海相に、オーストラリアとニュージーランドの要望を伝え山本総理兼海相は大日本帝国の方針として[太平洋平定作戦]を実行すると約束した。そうして実行された作戦は見事に成功し更にはミッドウェー島とジョンストン島に大日本帝国は海軍と陸軍の航空隊をそれぞれ配備し、ハワイ諸島への恒常的な空襲を行うに至ったのである。こうして実行力と軍事力で証明された大日本帝国を支持する事にし、オーストラリアとニュージーランドは連合国加盟を宣言したのだ。
タイ王国と大日本帝国は、大日本帝国がフランスに宣戦布告しフランス領インドシナへ侵攻した時から[日泰友好条約]を結んでいた。タイ王国は大日本帝国と[攻守同盟]を締結する用意があると表明していたが、東南アジア唯一の独立国であり友好国を戦争に巻き込むのは良くないとして山本総理兼海相の判断により、友好条約に抑えていたのである。何せ当時はアメリカ合衆国との開戦前でありフィリピンには大量のアメリカ合衆国軍が展開し、タイ王国との攻守同盟はアメリカ合衆国を刺激するとの判断もあった。
だが開戦後東南アジアのアメリカ合衆国・フランス・オランダ領は瞬く間に大日本帝国が占領し、トラック島沖海戦でアメリカ合衆国太平洋艦隊を撃破し、そして太平洋平定作戦でハワイ諸島以外が大日本帝国に占領されたのである。この劇的な情勢変化と連合国加盟を大日本帝国が呼び掛けた事により、タイ王国は連合国に加盟すると名乗り出たのだ。タイ王国にしてみれば周辺地域が大日本帝国により制圧され、アメリカ合衆国とフランス・オランダとの距離を考えれば安全圏になり、その為に多少無理をしても大日本帝国に協力出来るとの判断から連合国加盟を宣言した。
トルコはフランス・オランダによるヨーロッパ大陸制圧から辛くも生き延び、第二次世界大戦には中立を宣言していた。しかしヨーロッパ国境でのフランス・オランダによる圧力は大きく、トルコとしては苦しい状態だった。そんな中で[エルトゥールル号遭難事件]以来の友好国たる大日本帝国が目覚ましく活躍していたのである。トラック島沖海戦ではアメリカ合衆国太平洋艦隊を撃破し、アラビア半島打通作戦でフランス・オランダ軍を駆逐し、太平洋平定作戦でハワイ諸島を包囲するに至ったのだ。そこに大日本帝国から連合国加盟の呼び掛けがあった為に、トルコは大日本帝国に対して連合国加盟を宣言した。
イランもトルコと同じような理由であり、大日本帝国の活躍と連合国加盟の呼び掛けに応じて、連合国加盟を宣言したのである。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋
山本総理兼海相はタイ王国・オーストリア・ニュージーランド・トルコ・イランの連合国への加盟表明を受けて、緊急閣議を招集した。