解説 帝国改革法案4
『労働者についてである。農地改革に併せて改革が行われ、これまで確固たる制定が無かった労働者について明確に規定される事になった。それは[最低賃金法][労働基準法][労働組合法]の3種類からなった。これにより内務省社会局労働部には労働基準課が新設される事になった。
まずは[最低賃金法]である。この法律は賃金の低廉な労働者について賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的としたものであった。これにより事業者は不当なる賃金で労働者を使役する事が明確に禁止された。最低賃金は地域よる物価を考慮し各都道府県別に制定され、しかも年俸・月給・日給に関わらず時給として制定された。これにより雇用形態を問わず、年俸・月給・日給でも時給換算で最低賃金を下回る事になれば厳罰(最低でも執行猶予無し実刑で禁固35 年)をもって処罰される事になった。
この最低賃金法が制定されるまで、大日本帝国は最低賃金を定めることをしてこなかったのである。それどころか大日本帝国憲法第18条で禁じられたはずの奴隷制や人身売買が、前借金という慣行の下に、無賃金ないし極端な低賃金で使われる労働者すらいたのであった。そして最低賃金法施行前に、大審院において前借金の制度を民法90条違反で無効とする決定を下し、大日本帝国全土に於いて前借金制度を廃止した。戦時中であり財閥の協力も得られる事からある種強権的に最低賃金を強制する事にしたのである。内務省社会局労働部労働基準課が中央最低賃金審議会を開催し最低賃金の大まかな基準を制定した。その後各都道府県地方最低賃金審議会の審議に基づき、地域による物価差を考慮した地方最低賃金を制定しそれを再び中央最低賃金審議会に送付し、そこで地方の直接の意見として全て決定し当該都道府県の全ての労働者に適用される最低賃金として正式に決定したのである。前述の通り戦時中であり財閥の協力により各都道府県でこの最低賃金は即座に設定され、全都道府県が最低賃金をもつにいたり全ての労働者に等しく最低賃金制度が適用されるようになった。同時に前借金を担保とした奴隷労働も、大日本帝国から姿を消したのである。
そして[労働基準法]も制定され労働条件に関する[最低限の基準]を定めた。 雇用契約・労働時間・休日・休憩・年次有給休暇・賃金・解雇・就業規則・書類の保存などが規定され、使用者と労働者との労働契約関係を定めた最も基本的な法律として制定されたのである。また[労働基準法第36条]には企業が従業員に法定労働時間を超えての労働は1日2時間月10時間を上限に時給8割増しで可能とし、休日に労働させる事を全面的に禁止すると明記されていた。これにより大日本帝国に於ける労働基準は週5日8時間労働を上限とし、基本的に残業と休日労働は禁止にしたのである。この厳格な労働基準法により大日本帝国産業は根本的な労働生産性向上と、大規模な機械化を推進する事になった。この労働基準法制定により労使が合意の上で締結した労働契約であっても、労働基準法に定める最低基準に満たない部分があれば、その部分については労働基準法に定める最低基準に自動的に置き換える(強行法規性)として民事上の効力を定めているほか、一部の訓示規定を除く殆ど全ての義務規定についてその違反者に対する罰則を定めて刑法としての側面も持ち、また法人に対する両罰規定を定めている。更に労働基準監督機関(労働基準監督官、労働基準監督署長、内務省社会局労働部労働基準課課長、労働基準主管係長等)の設置を定め、当該機関に事業場(企業、事務所)や寄宿舎に対する立入検査、使用者等に対する報告徴収、行政処分等の権限を付与することで、行政監督による履行確保を図るほか、労働基準監督官に特別司法警察権を付与して行政監督から犯罪捜査までを通じた一元的な労働基準監督行政を可能にしている。最低賃金法と同じく労働基準法違反が判明すれば厳罰(最低でも執行猶予無し実刑で禁固35 年)をもって処罰される事になっていた。
[労働組合法]は1926年(大正15年)4月9日に公布され、同年7月1日に施行された労働争議調停法により労働者の団結権と争議権が部分的に認められるようになっていたが、労働者の権利向上を図る為に労働争議調停法を廃止し、新たに制定された。これにより各企業財閥も含めて労働組合が結成され、労働者が企業に対して団体交渉を行う事が可能になった。ただし労働組合法には付帯事項が細かく制定されており、反国家・反戦等の国家の根幹を成す事項へのストライキや労働運動を全面的に禁止していた。あくまでも労働組合は所属企業への労働条件に関する要求を行うものてして定義された。これに違反する事は国賊・売国奴とされ労働組合は無条件で解散となり、違反者は外患誘致罪が適用されるという極端な内容でもあった。その為に一部国民からは非難されたが、大多数の国民は労働条件に関しては労働組合により権利を主張出来る事になった為に、概ね受け入れていた。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録外伝〜帝国改革法案解体新書〜』より一部抜粋