大英帝国本土陥落
1942年10月20日。フランスとオランダ政府は共同声明を発表し、大英帝国本土占領が全世界に向けて宣言された。
『1942年9月15日から正式に大英帝国脱出作戦は開始されたが、大日本帝国の不断の努力により大規模な人員が大英帝国脱出に成功した。その成果は大きく大英帝国本土人口は1940年で約4700万人であったが、そこから王族・貴族・政府首脳陣・科学者・技術者・軍人・財界の有力者約800万人が大英帝国から脱出に成功した。残されたのは完全なる一般国民だけとなったのである。ただこの脱出作戦は大英帝国本土奪還後の、政府に対する恒常的な国民感情悪化という最悪の副産物を生んだが、当時はそのような事は想定している余裕がチャーチル首相以下政府首脳陣にあった。冷静に考えれば国民を見捨てて自分達だけが脱出する事なのだから、国民感情が悪化するのは当然でありそれを思い付かなかったのは、如何に切羽詰まる状態だったのかの表れだった。
とは言え戦時中の話に戻ると、大英帝国本土脱出は成功したのである。これによりフランス・オランダ両軍は、その後一切の抵抗無く大英帝国本土北上を続けたのだ。軍が丸々脱出するというまさかの事態であり、国民も最早諦めに似た感情で無抵抗状態だった。その為にフランス・オランダ両政府は1942年10月20日に共同声明を発表し、大英帝国本土占領を全世界に向けて宣言したのである。大英帝国本土の占領により世界は、世界帝国たる大英帝国の終焉を垣間見る事になった。王族と貴族・政府首脳陣等が一斉に大日本帝国に脱出し、亡命政府を樹立するという事態に陥っていたからである。しかも大日本帝国の大規模な軍事援助が大英帝国に行わる事も発表されており、更に世界に大英帝国の権威が下がった事を如実に映し出す事になった。
この大英帝国本土陥落によりヨーロッパ大陸はイタリア王国を除き、フランスとオランダに占領される事になったのである。西はポルトガル、東はロシア内戦のゴタゴタに便乗してウクライナ、北はスウェーデン・フィンランド・ノルウェー、広大な領域を支配するに至った。フランスとオランダは支配地域での経済と工業振興に力を入れ、アメリカ合衆国に匹敵する国力を手に入れようと必死であった。アメリカ合衆国も大英帝国陥落により当初の目的である、世界帝国大英帝国の打倒を果たしたが大日本帝国という思わぬ強敵を相手にする事になってしまった。
そこでフランス・オランダには今まで以上に経済協力と軍事援助を行う事にし、ヨーロッパでの残るイタリア王国制圧を任せ自らは大日本帝国打倒に全力を投入する事にしたのである。だが戦争序盤での太平洋艦隊敗北により、軍拡を行っていたが未だに大日本帝国海軍連合艦隊に対抗出来る戦力の構築には至っていなかった。アメリカ合衆国にも大日本帝国は大英帝国とイタリア王国・中華民国への軍事援助に注力せざるを得ない為に、作戦行動は開始しないという楽観論があった。だが大日本帝国はアラビア半島打通作戦以後、久し振りに大規模な作戦を計画していたのである。それはアメリカ合衆国ハワイ諸島を除く、[太平洋平定作戦]であった。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




