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解説 帝国改革法案

数話前に投稿した帝国改革法案での5項目を1つずつ、加筆したものを投稿していきます。

『当時大日本帝国の農地は、半分近くが小作地で多くの農民が地主から農地を借りて耕していた。しかも搾取する地主も少なくないため、小作農は貧しい生活を強いられる事が多かった。そして地主の一部は自らの農地の近くには住まず、大都市で優雅な生活を営む者も少なくなかった。その為にそのような事態が続くようならば、農業の担い手がいなくなり大日本帝国全体の農業生産体制に悪影響が及ぶと判断された。放置を続けるのは主食たる米をはじめとして農作物の不足を招き、農家が社会不安の温床になる事も懸念された。その為に当初の農地改革案は大日本帝国政府が直々に地主から農地を買い上げ、その農地を小作人に与え[自作農創設]を目的とし、これを押し通す事が最適だと農林省は判断していた。これは農林省としても大日本帝国の産業構造の変化に対応しての策でもあった。というのも当時大日本帝国は山本内閣による重厚長大産業育成による各種工業の発達と土木建設業の拡大により、小作農たちがより多くの収入を求めて職業を転向していったからだ。しかも第二次世界大戦が始まると若者は兵士となり、それ以外の者も軍需生産の計数的と言われる拡大によって軍需工場に吸収されていった。工場の集中する地域(主に都市部)への出稼ぎも、異常なほど増えた。女性も軍需工場や男性のいなくなった職場に必要とされ、農村に残されたのは老人と子供、そして一家の主や跡取りの長だけという有様の場合も少なくなかった。このため農業生産の大幅な減少が起きたが、小作にだけ頼っていた農地は耕す者がいなくなって、酷い場合荒れ地に近い有様にまでなってしまう事になった。農業生産の激減は大日本帝国政府が危惧したほどで、慌てて農機具メーカーに対して耕耘機やトラクターの増産を要請し、それを農村に配った程であった。

その為に当初農林省が構想した自作農ばかりを増やしても、都市部での異業種転換やそもそもの担い手不足、それに伴う高齢化での耕作地放棄が発生すれば将来的な大日本帝国の農業が壊滅的被害を受けると判断された。そこで農林省が新たに構想したのが[大規模自作農・法人化]であった。これにより農村単位で大規模な1つの自作農とし、かつての[地主・小作人]という関係から法人化を行い[社長・社員]という関係にするものであった。これにより個人の農地では無くある種企業の所有地として、担い手不足や高齢化による耕作地放棄が起こりにくいと判断され、そして企業化した場合は各種の労働者に対する法制度を整備する為に、今までのように小作者を不当に扱うわけにもいかず、小作者(社員)も正統な賃金での雇用関係へと変化すると農林省は考えたのである。この新たな構想により自作農創設による農業指導を主な目的にした[農業協同組合]の創設は、大規模自作農・法人化には似つかわしく無いとして創設は白紙撤回された。この新たな構想を山本総理兼海相は採用する事にし、農地改革案としたのである。

そして農地改革が実行に移され大日本帝国全土の農地で華族所有の農地以外が、一律に大日本帝国政府により買収された。華族所有の農地については、後述する華族の改革説明時に合わせて行う為に今回は省略する事にする。その一律に買収した農地は各農村単位で1つの農地として、それを法人化し大規模な自作農にする事にしたのである。ある種農業に資本主義的競争原理を取り入れた結果、農業に於いて猛烈な市場規模拡大が成し遂げられた。小作料の金納化と合わせて農業企業は驚異的な成長を成し遂げた。ある農業企業はホテルと専属契約を結び農作物の販売先を確保し、別の農業企業は食品メーカーと専属契約を結ぶ事などを行った。しかし競争原理が取り入れられた為に、売上が低迷する企業は他企業から買収される事もあった。

それを避けようと独自性を出し[ブランド品種]を編み出し、米や小麦粉に希少価値を付けた。その後大日本帝国政府により、畜産も法人化が行われそれは農村企業と即座に経営統合する事に繋がり、更にそれは米や小麦粉のブランド品種と同じように牛豚鶏に於いてブランド品種が確立された。特に牛肉は神戸牛・松坂牛・近江牛の[三大和牛]と呼ばれる程に成長した。競争原理が働いている結果より売れる品種の為に品種改良は常に行われ、それは各種農作物にも及んだ。その結果として食料自給率が大幅に拡大するという副産物があった。

そして大日本帝国政府は農作物拡大を推し進めたが、国内での消費量とのバランスを取り積極的な農作物輸出も行ったのである。』

小森菜子著

『帝國の聖戦回顧録外伝〜帝国改革法案解体新書〜』より一部抜粋

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