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日英首脳会談

『大英帝国からの脱出作戦は順調に進展していた。二式大艇と百式輸送機でイタリア王国に空輸され、そこから客船に乗り込んで順次大日本帝国へ向けて出航していた。あまりにも人員が多い為に客船だけでは足りず、戦標船甲種である一般貨物輸送船も大量に派遣されていた。国王ジョージ6世以下王族と貴族、チャーチル首相以下政府首脳陣は一足先に二式大艇で大日本帝国へ移動し1942年9月25日に東京に降り立った。大日本帝国は山本総理兼海相以下内閣、帝国議会衆議院議員貴族院議員総出で出迎えた。何せ国王ジョージ6世以下王族と貴族、チャーチル首相以下政府首脳陣が大日本帝国へ訪れるのが初めてなのである。この瞬間を取材しようと主要新聞社のみならず、大日本帝国のありとあらゆる地方からも地方新聞記者が詰め掛けた。その為にどのような新聞でも一面を飾っていた。今でもその当時の新聞は国立国会図書館に行けば、山本総理兼海相とチャーチル首相が握手している写真が掲載された各新聞一面を見る事が可能である。ラジオ放送も[国営放送]たる[帝国放送協会(THK)]が生中継を行い、史上初の国王ジョージ6世とチャーチル首相来日を生放送し続けた。そしてその後国王ジョージ6世とチャーチル首相は山本総理兼海相の案内により皇居を参内し、そこで大日本帝国史上初の天皇陛下と国王ジョージ6世の会談が実施された。

国王ジョージ6世は大英帝国を代表して国外脱出に協力してくれた大日本帝国に感謝の言葉を述べた。天皇陛下は同盟国としての義務を果たし、困っている同胞を見捨てる事は出来ないと応えたのである。終始和やかな雰囲気で天皇陛下と国王ジョージ6世の会談は行われ、無事に終了した。その後国王ジョージ6世は大日本帝国が赤坂離宮を滞在先として提供し、そこに移動した。チャーチル首相は山本総理兼海相と首相官邸に移動し、史上初の日英首脳会談を実施した。そこでチャーチル首相は改めて脱出作戦の感謝を述べたのである。これ程までに順調に進展したのは、大日本帝国あってこそだと言い深々と頭を下げたのだ。山本総理兼海相は慌ててチャーチル首相に頭を上げるように言ったが、チャーチル首相は暫くは頭を下げていた。それは随伴していたイーデン外務大臣を始めとして、閣僚達も同じであり全員が暫く頭を下げていた。

これはある種象徴的な出来事であった。世界帝国として君臨した大英帝国も今や本土が陥落寸前で、国王を始めとして政府まで全てが大日本帝国に脱出して亡命政府を樹立する事態にまで落ちぶれていたのだ。この時の山本総理兼海相以下大日本帝国側の閣僚達の感想は一切公表されていないが、哀愁を感じたのは想像に難くないと私は思っている。そのようにある種の上下関係が出来てしまったからこそ、チャーチル首相以下閣僚達は深々と頭を下げたのである。

ようやく頭を上げたチャーチル首相以下閣僚達に山本総理兼海相は、大英帝国への揺るぎ無い支持と軍事援助を約束したのである。それは陸上兵器と航空機は当然ながら、海軍の艦艇まで全面的に軍事援助すると言ったのだ。それにはチャーチル首相以下閣僚達も驚き、再び深々と頭を下げた。山本総理兼海相は更に大規模な軍事援助を行うにあたり、脱出してくる科学者と技術者には大日本帝国での汎ゆる分野での開発に協力してもらいたいと語ったのである。それはチャーチル首相も当然の事として即答で了承した。むしろそのように協力しないと、大英帝国の沽券にかかわると言い切った。そしてチャーチル首相は大英博物館をはじめとして各種博物館・美術館から移動させた宝物や美術品を当分の間、大日本帝国の博物館・美術館に展示したい旨を伝えた。それは山本総理兼海相としても賛成であり、展示は即座に実行される事になったのである。

その後は大日本帝国と大英帝国それぞれの協力に関して様々な議題で会談が行われ両国は合意し、その後周到なる準備の結果1942年9月28日に大英帝国は大日本帝国にて亡命政府樹立を正式に発表したのである。チャーチル首相は同盟国の大日本帝国とイタリア王国と協力して、必ず大英帝国本土を奪還すると宣言したのであった。それは大日本帝国の帝国放送協会が生中継を行い、同じく大英帝国を脱出した英国放送協会(BBC)も帝国放送協会から放送機材を借りて生中継を行っていた。その亡命政府が無事に樹立された事を受けて、山本総理兼海相はチャーチル首相に同盟国が更に結束する事を世界に宣伝する必要があるとして、イタリア王国と中華民国を交えた首脳会談を行うべきだと説明したのである。

チャーチル首相はイタリア王国とは大日本帝国も含めた三国同盟を締結していた為に賛成したが、中華民国も含める事に驚いた。山本総理兼海相は現状では中華民国と同盟関係にあるのは大日本帝国だけであり、中華民国に軍事援助を行い急速に軍事力を向上させていると説明した。そして大英帝国奪還を含めたヨーロッパ遠征には兵力は多いに越したことはない、としてこの際大英帝国とイタリア王国も中華民国と同盟を締結し一種の[連合国]になるべきだと力説したのである。それをチャーチル首相は受け入れ、山本総理兼海相は政府として正式に外交ルートを通じて、イタリア王国と中華民国を首脳会談に招待した。

その招待をイタリア王国と中華民国は受け入れムッソリーニ統領は大日本帝国海軍の二式大艇により大日本帝国へ来日し、蒋介石国家主席も大日本帝国へ来日した。そして1942年10月1日に大日本帝国帝都東京帝国ホテルにて、日英伊中四カ国首脳会談が開催されたのであった。』

小森菜子著

『帝國の聖戦回顧録』より抜粋

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