緊急閣議5
1942年9月8日。大日本帝国帝都東京首相官邸では、山本総理兼海相が緊急閣議を招集していた。議題は大英帝国から外交ルートを通じて、脱出計画への協力を要請されたからである。脱出計画とあるが、ようは亡命政府樹立であった。大英帝国政府が外交ルートを通じ大日本帝国へ要請を出したのは、1942年9月7日であった。そして東郷外務大臣は山本総理兼海相に報告を行い、翌8日に緊急閣議を招集したのだ。
まず山本総理兼海相は東郷外務大臣に対して、大英帝国からの要請内容を改めて説明するように求めた。それを受けて東郷外務大臣は説明を始めた。大英帝国からの要請は王室・貴族・政府首脳陣をはじめとして、科学者や技術者・経済界の有力者・軍人全てを国外脱出したいというものだった。そして脱出先はカナダが既にアメリカ合衆国に占領されている為に、大日本帝国を希望しているとも語った。それを聞いた山本総理兼海相以外の閣僚達は驚いた。賀屋大蔵大臣はチャーチル首相とイギリス国王が大日本帝国で亡命政府を樹立する事に驚き、浮足立ってしまった。他の閣僚も一応に驚き、東條陸相でさえも唖然としていた。そんな中で山本総理兼海相は、大英帝国の脱出計画には海軍の二式大艇を送り込むと語った。二式大艇なら航続距離・速度・武装・装甲に於いて十分な数値を誇り、今回の大規模な脱出計画には最適であった。山本総理兼海相は現在中島飛行機が開発中の超重戦略爆撃機富嶽の派生機である輸送機型があればそれを使用したが、富嶽は未だに開発中である為に現状で最長の航続距離を誇る二式大艇を使用すると語った。
そして二式大艇と百式輸送機で脱出計画を行うのと同時進行で、護衛を大英帝国に派遣している海軍航空隊第11航空艦隊行わせながら、イタリア王国まで引き揚げさせるとした。これによりイタリア王国に海軍陸軍航空隊を集中配備し、イタリア王国は死守する事を語ったのである。その後は客船を利用して、大日本帝国まで帰国させるというものであった。しかも山本総理兼海相はある種大規模な空輸を何度も往復して行う必要から、陸軍にも第3飛行師団に万全の態勢で協力して貰いたいとお願いしたのである。それを聞いた東條陸相は当然の事として了承し、第3飛行師団の百式輸送機でも空輸を行うと応えた。それを聞いた山本総理兼海相は感謝を述べると空輸と護衛を強化する為に、アラビア半島に展開している第10航空艦隊を一時的にイタリア王国に移動させて協力させると説明した。東條陸相は海軍だけに負担はかけられないとして、陸軍も第4飛行師団を本土から進出させると語ったのである。
それを聞いた山本総理兼海相と東郷外務大臣はこれで脱出計画は成功すると安堵した。しかしそこに落ち着きを取り戻した賀屋大蔵大臣が、大英帝国軍人が脱出するとして軍事援助はどうするのか尋ねたのである。山本総理兼海相は現在輸送船団でイタリア王国へ向かっている軍事援助は全て、イタリア王国用に切り替え今後は大英帝国本土には軍事援助を送り込まず、大日本帝国国内にて大英帝国分の軍事援助を備蓄すると断言したのである。ある程度予想された返答だった為に特に気にする事は無かった賀屋大蔵大臣だが、大英帝国海軍は艦隊自体をどうするのか更に尋ねた。
それに対して山本総理兼海相は大英帝国首相チャーチルからの決断として、海軍は艦隊を放棄して人員を脱出させるのを優先させると応えた。これは陸軍と空軍も同じで兵器を全て放棄して、人員を脱出させるというものだった。このあまりにも極端な決断に再び、閣僚達は驚いていた。東條陸相は驚きながらも兵が脱出するなら、兵器は後で生産すれば軍として復活出来るとしてチャーチル首相の決断に理解を示した。その東條陸相の言葉を聞いた賀屋大蔵大臣は、嫌な予感がしたが自分では尋ねる勇気が出なかった為に山本総理兼海相の言葉を待った。
それを察した山本総理兼海相は口を開くと、大英帝国への軍事援助は拡大し特に海軍は駆逐艦のみならず、軽巡洋艦・重巡洋艦・軽空母・正規空母も建造数を拡大し大英帝国に貸与すると語ったのである。それを聞いた賀屋大蔵大臣は強烈な目眩と頭痛に襲われた。