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空の都の方舟物語(アークティル)  作者: 三崎ヒロト
第一章 謎の少年とお城の王様
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第三話 カノンの頼みごと①

それからは、カノンはスケッチブックの新しいページを開いてデザインを考えていた。案内人のほうも老夫婦と楽しそうに話している。シズカは寝ていたし、ノアは外を見ていた。しばらくすると、カノンは絵を描きながらノアに尋ねる。


「ノアくんはさ、ずっとこの町にいるよね?」


 グラスの中の氷がカランと音を立てる。カノンは顔を上げると真面目な表情になっていた。ノアは迷うことなく答える。


「もちろんさ。最後の一人になっても、ここから離れる気はない」


カノンはそんなノアを見てなぜか少し悲しそうな顔をする。

「そういう人がこの町にまだたくさんいることは、喜ばしいことだって私は思う。でも、確実にシルクハッシュの発生頻度は多くなってきているのもまた事実」

隔絶されていく空気を感じながら、ノアは耳を傾けていた。


「知ってる?私の学校ではね、卒業したら外に行くって言ってる人が多くなってるの。そりゃあ、外の世界に行きたいという気持ちも大事だと思うよ」

「でもね、私は絶対にここに残るんだ」

誇らしげに、でも自分に言い聞かせるように宣言する。

「私考えちゃうんだ。今は時間が経てば霧は晴れるけど、いつか晴れなくなる日がくるんじゃないかって。そんな事態が国全体で起これば、もうクロスセピアには住めなくなる。私怖いんだ。いつか自分が生まれ育ったこの国が消滅するかもしれないって考えると」

『消滅』という言葉には、どこか恐怖が混じっていた。

「だから私はたくさん勉強して、学術院に行って、この国を守る研究をするの。そのために学校でも『研究会』に入ってる。このクロスセピアを訪れる人も、住んでいる人も、みんなが好きになれる所って素敵だと思うから」

「ノアくんはどう思う?」

ノアは微笑む。

「君ならきっとできるよ。そういう人がいて幸せだろうよ、この国も」

 カノンは照れるように笑った。


◇◇◇


しばらくして窓の外を見ると霧が薄くなっていた。

「収まってきたみたいだな」

 霧が完全に晴れると、建物に避難していた人も続々と姿を見せ、町はいつものように活気づいていった。その様子を見て、入り口近くに座っていた水先案内人の少女は、帽子をとると、頭の上に乗せた。

「じゃあ、私たちもそろそろ行きます」

 案内人の少女はシズカに丁寧にお礼をのべると、老夫婦と共に町へと戻って行った。おばあさんも店の対応や女の子の話にすごく満足したようで、良い話の種になった、と嬉しそうに去っていった。

 そのあとに、二人が立つ音も聞こえた。

「俺たちも行くか」

「そうね。ありがとう、シズ」

 荷物をまとめた後、会計を済ませる。その時のお代はノアが持った。

「いえいえ、こちらこそ。楽しい話が聞けたし」

 シズカは見送りながら言った。

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています!」

 

元気な声が響いた。


◇◇◇


――城内、王室

一人の男が、机に手を置き、リズムを刻みながら報告を聞いていた。

「今回は随分と近くでシルクハッシュが起こったものだ」

彼はクロスセピアの王様、ウェーバーであった。父である先代の王が病気にかかり、若くして亡くなった結果、第一皇子であった彼が王位を継ぐことになった。彼は歴代でも最年少の王様としてこの国を治めていた。

「いずれは、この城も他人事ではなくなる日が来るかもしれないな」

王様は悲しげな声でつぶやいた。

「どう思う?」

彼は側近に尋ねる。

「それは……」

 側近は言葉に詰まる。シルクハッシュに関して専門的知識もないうえ、今実際に思っていることを口にすると、不吉な気がしたからだ。

「まあいい。いずれわかることさ」

そう言って王様は側近の言葉を遮った。王様は決して答えを聞いていたわけではなかったからだ。王様は引き続き、残りの書類に目を通す。

そして、その作業が終わると、席を立ち、部屋を後にした。


◇◇◇


「ごめんなさい。待たせた?」

「うん。待ちくたびれたよ」


 ノアが答えたその顔は笑っていた。それを見てカノンも笑う。

今日は休日。当然のことだが、カノンはいつもの制服ではなく、私服だった。その腕にはノアがプレゼントしたブレスレットもちゃんと着けてある。ノアの作った飾り物も、カノンの服と合わせれば、ファッションの一部として機能していた。

「さあ、行こうか!」

「うん!」

 カノンとは今日、採掘場に一緒に行く約束をしていた。

準備ができた二人は、目的の場所へと向かって一歩を踏み出す。まずは大通りに沿って町外れを目指すノア。そして、その後ろを楽しそうな表情でトコトコとついてくるカノン。まるで遠足にでも行くかのような雰囲気を醸し出している。

舟を使う手もあったが、日帰りできるところは基本は徒歩で済ますのがいつものパターンだった。



二人のそばを何隻もの船がゆっくりと通り過ぎる。ノアの好きな風景の一つだった。オールで水を掻く音が一定のリズムを刻んで耳に届き、地面の石畳が視覚的にも程よい感じで刺激を与えてくれる。商人や観光客のいろいろな人の声が飛び交い、これが自分が住んでいる街なのだという実感を与えてくれた。


こうして二人は、着々と歩みを進めていくのであった。


◇◇◇


カノンはしばらく辺りをきょろきょろと見ていたが、途中から様子がおかしくなる。

人通りが少ない道を歩き始めてから、急に前方のノアに視線を固定させる。そして怯えるような声で話しかけてきた。

「ねえ、ノアくん、聞いて。……さっきから私たちをつけてくる人がいるんだけど」

確かにカノンたちの後ろからは人がつけてきている。気づかれないようにこそこそしている時点で、ただの通行人ではなかった。そのことにカノンは恐怖を抱いたのだ。

しかし、ノアの返事は意外なものだった。

「ああ、気にしなくていいよ」

「えっ?」

カノンは思わず聞き返した。

「あの人は俺の知ってる人。不審者じゃないよ。危害も加えてこない。だから、気にしなくていいよ」

ノアは早口でもう一度答える。

「でも……」

カノンは何だか混乱した。知ってる人なら、なぜ無視をするのか。そもそも後ろの男は今までも二人を監視していたのか。そしてノアはなぜそのことについて何も言わなかったのか。カノンが次の言葉に迷っていると、ノアの方から提案を出してきた。

「わかった。なら今から逃げよう。走れる?」

「え、……うん」

カノンの返事を聞くと、ノアはすぐカノンの手を握り、走り出す。

本来のルートを外れ、二人は目の前にあった脇道に入った。後ろの男も、走って追いかけてきた。尾行されていたと知られた以上、身を隠す必要がないのか、普通に追いかけてきた。しかし、ノアたちが逃げ込んだのは、見通しのきかない住宅街だった。

そのおかげで、しばらく走りまわるとすぐに男を巻くことに成功した。


◇◇◇


「もう、いないみたいだな」

ノアは辺りを確認しながら、先程とは違うルートで目的地に行く道を探していた。カノンはその姿を見ながらもう一度尋ねる。

「ねえ、あの人だれなの?」

ノアはにっこりといつもの笑顔で答える。

「知りたい?でも内緒」

カノンはほほを膨らました。


◇◇◇


再びゆっくりと歩き始めた二人。今度は不測の事態も起こらずに、順調に歩を進める。そして、

「……到着した」

 目的地である『採掘場』についた。幸い他に人はいなかった。

ノアはさっそく道具を準備し始める。

けれども、カノンは不思議そうな顔であたりを見渡し始めた。けれども、ノアはそれもそうだろう、とあまり驚きはしなかった。カノンはきっと石切り場みたいなところを想像していたに違いない。

だが実際は違う。あたりに民家こそないが、草木は生い茂りきれいに手入れもしてあるし、野生の動物も数多く通りかかる。


ただ一つ見慣れないのは目の前の『絶壁』。


 『雲のかたまり』は要するに雲である。雲の上に浮かぶクロスセピアでそれを採取するには下に行かなければならない。意外に知られていない、単純な論理だった。

「おもしろくないって言っただろ。危ないからここで待ってろよ」

 ノアは装備の安全を再度確認すると、崖から足を出してロープを伝ってするすると降りていく。崖の下からは、ザッザッという音が響いていた。



することがないカノンは、ただ待っているだけだった。

しばらくは離れたところで待っていたカノンだったが、暇すぎて恐怖心よりも好奇心が勝ったのか、場所を移動すると、心配そうに崖下を覗き込む。

そして、その拍子に砂が少しノアの頭に降り注いだ。

「バカ!何やってんだよ!落ちたらどうする!」

 下から叫び声が聞こえ、ロープがぎしぎしと音を立てる。

この一言が効いたのか、すぐに顔を戻したカノンはそれ以後、ノアの作業が終わるまで顔をのぞかせることはなかった。


◇◇◇


――二十分後

雲のかたまりを容器いっぱいに採取し、上まで戻ったノアが見たのは、木にもたれかかって座っているカノンの姿だった。何だかいつもの元気がないとノアは違和感を覚えたが、その理由がわかるのにさほど時間はかからなかった。カノンのいつもの笑顔がなかったのだ。

彼女は足音に気付くとノアの方に顔を向ける。そして、尋ねた。

「いつも、こんな危ないことしてるの?」

その眼の奥からは今まであった好奇心の色は消えていた。

「まあ、そうだけど」

「……」


カノンは再び口を開いて何かを言いかけようとしたが、結局何も口には出さず、代わりに申し訳なさそうな顔をした。

年齢がほぼ同じのノアとカノン。勉強をして名門の学校に入ったカノンはいわゆる外の世界というものを知らなかった。そんな彼女がノアに口出しするにはあまりにも知識が乏しく、憚られると思っていたのだ。

だから、彼女はいつもと違って口数は少なめだった。

そんな彼女を見て、ノアは表情を緩める。

「心配かけてごめんね。でも、これくらいのことじゃケガもしないくらいの技術は持っているつもりだよ。ちゃんと免許も持ってるし」

そして、ノアは続けた。

「でも、わざわざ自分で取りに来なくても、これを専門にしてる人から買い取るっていう手もある。もっとも、今じゃそっちの方が主流かな」

そこで彼女は口を開いた。

「じゃあなんでわざわざ」

「こっちの方が安く手に入るから。それとクロスセピアの基盤の様子もわかる。だから俺は自分で取ることにしてる」

 カノンは少し不思議そうな顔をした。

「基盤の様子がわかるの?」

「わかるよ。ちょっとやそっとじゃ沈まないってくらいしっかりしてる」

 ノアは、胸を張って答える。誰にでも見れるものではないという点ではノアの特権であり、この国を愛するノアにとって地盤がしっかりとしているということは何事にも代えがたい喜びであったからだ。

「それはすごいね。私も見てみたいな」

 カノンはそう呟く。ノアと話すうちに少しずついつもの調子を取り戻してきたのか、先程のような暗さは既になくなっていた。

「下に降りるのは無理だけど、ここまでなら一緒に来れるし、写真ならいつでも撮ってきてやるから」

 だから元気出せよ、と言葉を結んだノアにカノンはありがとう、と答える。そして、立ち上がるとぐいっ伸びをした。

「さあ、帰ろうか」

「うん」

 二人は来た道を戻っていく。今度はカノンが前だった。


◇◇◇


――一週間後

カノンがデザインを考えるようになってから、売れ行きは増加した。

カノンが考えたデザインをノアが紋章術で作る。二人の分担で出来上がった商品は見た目も華やかで形も綺麗なものばかりだった。

そして、もう一つ大きな決め手となったのが、カノンの学校での宣伝だった。そのおかげもあって、特に学校帰りの学生の来店率が目に見えて増えた。

それにつられるように観光客の人も少しは増えていた。


観光マップには載らない穴場としても、ノアの店が少しずつ水先案内人の間で広まっていることをノアはこのときはまだ知らなかった。

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