第二話 リリックス・カフェ
――次の日
「ありがとうございました!」
ノアは今日四人目のお客さんに挨拶をして、別れを告げた。
それはいつもと変わらない日常だった。ノアは腰を下ろし、空を見上げる。空に浮かぶこの国で空を見上げるとは変な話だが、クロスセピアの上にも青空はちゃんとある。綺麗な青空だ。
「こんにちは」
カノンだった。座っているノアを覗き込むように顔を見せる。
「学校帰り?」
「うん」
軽い挨拶を済ませると、カノンは早速自分の鞄から、スケッチブックを取り出し、自慢するように開いてノアに見せる。
そこにはブレスレットの絵が描いてあった。それだけではない。そのあとのページにも同様に絵が描いてあった。
昨日の今日でカノンは既にいくつかデザインを考えてきてくれたみたいだった。
「えへへ。張り切っちゃった」
カノンは、にこにこ笑う。
「へえ、上手いな。これはありがたい」
「でしょ」
カノンは明るい声で返事をする。ノアは絵を見ながら、早速雲のかたまりを取り出すと、丸めて手で覆った。
気持ちを集中させる。
初めて作るものであり、自分で考えたデザインでないため、昨日より製作に大分時間がかかっているようだった。しばらくすると、昨日と同じように魔方陣が一瞬現れた。
ノアはゆっくりと手を開く。
そこにあったのは、絵と完全と言っていいほど同じブレスレットだった。
「すごい。やっぱりあなた紋章術の才能があると思う」
カノンが出来上がったばかりの現物を手に取りながら、そう言った。ノアは恥ずかしそうに下を向く。
今までノアが作って来たものと見比べると、確かに色が鮮やかで細かいアクセントも多い。人気が出そうと言われればそうだろうなと素直に思ってしまった。カノンのデザインがあってこそできた商品だった。
「それ……あげるよ。お金はいらない。昨日夕食おごってもらった分もあるし」
ノアは言った。彼にとっての、せめてもの感謝の気持ちだった。
「ありがとう!大事にするね」
カノンは眩しいくらいの笑顔でそう返した。カノンは自分の左腕にそれをつけるとノアに見せつける。
「ほら、ぴったり!」
ノアは今まで色んなお客さんを相手にしてきて何度も感謝の言葉をかけられてきたが、この瞬間ほど嬉しいと思ったことはなかった。そして、このとき初めてこの仕事をやって良かったとも思った。
けれども、そんな気持ちも束の間、突然のサイレンの音によって掻き消される。
町に響いたのは、シルクハッシュ襲来の予報だった。
◇◇◇
「この町で起こるのも半年ぶりくらいか」
ノアは作業道具を急いで片付けながら呟く。シルクハッシュ、それ自体は場所を変えて、相変わらず月一ほどのペースで起こっており、三週間ほど前は西の方の町を襲っていた。しかし、このランクリットで起こるのは半年ぶりであった。幸か不幸か、町の人にとって、もはやシルクハッシュはそんなに非日常的な現象ではなくなっていた。けれども、慣れからくる油断が危険なのもまた事実。道具をまとめたノアはカノンに呼び掛ける。
「さあ、早く避難所に行こう」
町にいくつか設置してある『避難所』と呼ばれる建物に行けば、とりあえず危険はしのげる。ノアを含め、外で作業をしている商人や現在いる場所と家までに距離がある人などは、シルクハッシュがおさまるまで、そこで待機するのが通例となっていた。
しかし、カノン最寄りの避難所とは逆の方向に行こうとしていた。
「あれ、どこいくの?」
「普通の避難所は人が多くなるじゃない?近くに顔馴染みの小さな店があるから、そっちに行きましょ」
カノンはノアの手を握る。
「ほら、早く!」
返事をする暇もなく、結局ノアは引きずられるようにして、その店へと足を運ぶことになった。
◇◇◇
扉を開けるとカラン、とベルの音が響いた。二人は足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ……あ、カノンちゃん!」
「シズ、久しぶり。ごめん、ちょっと避難させてもらっていいかな?」
カノンはお店の娘に頼む。
ノアたちが到着した場所は『リリックス・カフェ』と看板が掲げられた小さな喫茶店だった。店に入ると喫茶店らしい甘い香りがした。おしゃれな内装で、カノンのような年頃の女の子なら気に入りそうな場所。
店にいたのはシズと呼ばれる女の子である。そして、後ろでは母親のような人がお茶を準備しているのが見えた。
「良いけど、その子は?」
その女の子はノアの方を見る。ノアも彼女の方を見る。
「この子はノアくん。アクセサリーとか作ってる職人さんなの」
カノンは後ろにいたノアを前に突きだして、紹介する。
彼女はしばらくノアの顔をじっと見ていたが、すぐに合点がいったような顔をした。
「何だ。どこかで見たことあると思ったら、そこの通りで店を開いてる人ですよね」
ノアは軽くうなずいた。
「ふう、ビックリした。カノンちゃんが学院以外の男の子をつれてくるんだもん。てっきり彼氏かと思っちゃった、へへ」
「ちょっ…、そんなわけないでしょっ!」
カノンは顔を赤くして、あわてて否定するも、彼女は不敵に笑いながら、さてどうかしら、とカノンをからかう。カノンは更に何か言い返していたが、その女の子は視線を移して、今度はノアの前に来ると、丁寧に自己紹介をした。
「はじめまして。私はシズカ・リリックス。よろしくね、ノアくん」
「ああ、どうも……」
このあと二人はシズカに案内されて、店の奥の席についた。窓から外を見ると、うっすらと霧がかかってきているのがわかった。シルクハッシュがおさまるまでは外に出られない、そうわかっていても、ここ最近はずっと一人で過ごしていたノアには、年の近いの女の子とこうやって話をするのは苦手で、できれば一人になりたいと心の中で思ったりもした。
◇◇◇
しばらくすると、外は本格的に霧が出てきて辺りは静かになった。店には他のお客もいないため、シズカは休憩に入っており、ノアやカノンと一緒に雑談をして暇をつぶしていた。
「そうだ、これ。ノアくんがさっき紋章術で作ってくれたの」
「どれどれ。なるほど綺麗」
カノンは先程のブレスレットをシズカに見せた。そこから、ノアの紋章術の腕前の話になり、デザインはカノンが考えたことや、他にも色々な案があることについても話すと、シズカは興味深そうに聞いていた。
「ぜひ私にも作って下さいよ!」
話を聞き終えてシズカは言った。商人としては、商品が気に入られるのは嬉しいことだったが、ノア本人としては、シズカにキラキラとした眼差しを向けられてもただ対応に困るだけなのであった。
「え、あ、急にそんなこと言われても……」
シズカに詰め寄られ言葉に詰まる。
「お金なら払います!いくらですか?」
そう言われても、まだ値段も何も決めていなかった。
「まあ、また後で……」
結局ノアはお茶を濁した。カノンはと言うと、シズカとのそのようなやり取りを微笑ましそうに眺めているだけなのであった。
その時、店の外で何か音がした。
ノアは何だろうと気になったが、そんな気持ちも突然開かれた扉の音によって打ち砕かれることになった。
「すみません!ちょっと避難させてもらっても良いですか?」
店に入ってきたのは、水先案内人の女の子だった。
突然の訪問者に一瞬だけ店内が静かになる。店への避難を頼んできた少女に対して、状況を理解したシズカは、席を離れると、店員として対応する。
「……構いませんけど」
その時のシズカの心境は、ノアやカノンのものと同じだったに違いない。
そもそも、水先案内人とは、ランクリットの町を横切る運河を舟で移動しながら、観光客に町を案内する職業である。したがって、シルクハッシュ発生時は事故防止のため、舟をとめ、観光客を連れて避難所に移動する義務があるはずだった。
それはみんな知っていた。だから、困惑したのだ。
外はもう数メートル先は全く見えないと言うほどの濃い霧である。普通なら既に避難所にいなければならないはずのこの状況に、どうしてこの子は外にいたのか。
「もしかして、観光客の方もご一緒ですか?」
シズカは尋ねる。この男に何らかの事情があるにしても、まず状況を把握しなければならない、そう思ったからだった。もしかすると観光客とのトラブルに巻き込まれているのかもしれない、とも考えた。
「ああ、一緒に連れてきたよ。無事」
少女の後ろから姿を見せたのは、白髪の老夫婦。おっとりとしたしゃべりで挨拶をして店内に入ってくる。シズカはその三人を入り口近くの席に案内した。少女は席につくと、通信機を取り出した。
「あわわ。もしもし、お父さん?ん?私は大丈夫だよ」
通信機からはガヤガヤと何か聞こえている。
「本当だって!私だってもう一人前なんだから!え……いや、避難所じゃないけど」
少女は表情を色々と変えながら、通信機に向かって話していた。
「と、とりあえず!お客さんいるから切るね!じゃあね!」
少女はそう言うと、無理やり通信を切った。
「すいません!迷惑かけてしまって」
少女は申し訳なさそうに言う。
「いえいえ。困ったときはお互い様ですよ」
その間に、シズカは奥から飲み物を持ってきていた。老夫婦は出された飲み物をズルズルと飲みながら、不思議そうな表情で窓の外を眺めている。そして尋ねた。
「こういうのはよくあることなのかい?」
案内人の少女は帽子をとると、にっこりと笑って説明を始めた。
「えーと、ですね。この現象はそんなに頻繁に起きるものじゃないんですよ。逆に遭遇できた方が運がいいくらいです」
「へえ、そうかい」
老人はその言葉に熱心に耳を傾けていた。
「あ、でも。ちょっと不便に感じるかもしれませんが、このことでこの町を嫌いにならないでくださいね。この町には他にも数えきれないほどの良い所があるんですから」
案内人は答える。この町には流れがゆっくりで趣を感じられる運河も、いつも賑やかでイベントがたくさん催される広場も、王様が住んでいる綺麗なお城もある。そして何より、時の流れを忘れさせるほどの景色、ずっと変わらない町並みが存在する。そんな町の素晴らしさを彼女は説いていたのだった。それは仕事としてではなく、一人の住民として話しているようであった。
「それにしても、失敗しちゃったなあ」
残念そうな声が漏れた。
「私、この仕事始めてまだ長くないんです。お父さんもこの仕事やってて、それで私もやってみたいなあ、って思ってて。それで、この仕事を選んだんです。いつかは来ると思ってましたけど、いざシルクハッシュが来ると、まだ慣れないなあ……」
その言葉を聞いて、反応した人がいた。
「こんなことに慣れちゃだめですよ」
その声は席が離れたカノンの口から発せられたものだった。
「水先人さんも、これが無い方が仕事もやりやすいでしょう?私も同じです。うふ」
そして、カノンは優しく微笑んでそう付け加えた。
「ですよね~」
少女は笑ってそう返したのだった。
◇◇◇
――一時間後
霧はまだ晴れない。ノアはスケッチブックを見ながら、構想を膨らましていた。一個目が上手くいったからと言ってここに載っているもの全てが上手くいくとは限らない。多少練習が必要なものもあるだろう。それでも失敗はしないだろうと思ってしまうのは、一職人としての意地と、その腕前に期待を寄せているカノンへの見栄の表れなのかもしれなかった。
しかし、物理的にどうにもならない問題が一つ。
「材料もたくさん仕入れとかないといけないかな」
ノアは呟いた。独り言のつもりだったが、カノンの耳には届いていたらしく、手に持っていたグラスをテーブルに置くと視線をノアに向けてきた。
「材料って、もしかして町の外れの『採掘場』まで行くの?」
「そう……だけど」
カノンの言う採掘場とは、材料である雲のかたまりがとれるところだった。この町だけではない。クロスセピアには多数の採掘場があり、そのそれぞれに応じて違った品質の材料がとれるのだった。
そして、その採掘場こそ、ノアが行こうとしていた場所だった。
「ならさ、私もつれていってよ。興味あるんだ」
カノンは楽しそうな顔で言った。好奇心は旺盛のようだった。特に面白いものはないぞ、と一応念を推すノアだったが、カノンの意思は揺るがない。それどころか、早い方が良いと言うのでさっそく、今度の休日に行くことになったのだった。




