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1.「真実の愛に勝るものなどありませんもの」

「シモーヌ、わたしは真実の愛を見つけてしまった」


 目の前にいるのは婚約者であるクリストフ・ディ・ブラッスール公爵令息だ。

 鼻息荒く、目を輝かせてこぶしを握っている。


「まぁ!」


 シモーヌは、クリストフの言葉にさらに目を輝かせた。

 海が太陽の光を受けてキラキラと輝くのと同じように、青い瞳が揺らめいた。

 手にしていた小説をパタンと閉じて、テーブルに置く。


 クリストフとの定期的なティータイムは、ここ数年はお互いが好きなことをして過ごす時間となっていて、シモーヌは今日も大好きなロマンス小説を持ってきていた。

 もう何度も読んでいるのでストーリーの展開はもちろん、セリフなども頭に入っているほどだ。


「どちらのご令嬢ですの、クリストフ様」


 ワクワクとした気持ちで問いかける。

 婚約者から告げられた言葉の返答としてはズレているが、シモーヌにとっては「真実の愛」とやらを見つけたという事実のほうが大切だ。


「ココ・ルコント男爵令嬢だ。一目見た瞬間、恋に落ちてしまった」


 素直に相手を告げてしまう公爵令息だが、まるで悪気はない。

 なぜなら彼は、ココとは「真実の愛」で結ばれているからだ。


「きみには申し訳ないが、婚約は解消してほしい」

「もちろんですわ。真実の愛に勝るものなどありませんもの」


 シモーヌは、頭を下げるクリストフに向かってドンと胸を叩いた。

 その勢いに胸元まであるお下げ髪がぴょこんと跳ねる。


「ですがクリストフ様。お相手が男爵令嬢となりますと、ご結婚するには家格がふさわしいとは言えませんわね」

「それはそうだが……、わたしたちは真実の愛で結ばれたのだ。そんなことは問題ではないだろう?」

「もちろんです。愛し合うお二人は必ずこの困難を乗り越えられますわ。だって真実の愛で結ばれているのですから。でもご両親を説得するためには少しの不安要素も取り除かねばなりません」


 シモーヌは侯爵家の一人娘だが、ココは男爵令嬢。

 公爵家に嫁ぐには、少なくとも伯爵以上の爵位が必要だ。シモーヌは顎に指を当てて思案を巡らせる。


「滞りなくお二人がこの愛を成就できるよう、伯爵家以上の家へ養子に入られるのが一番です。どなたかお引き受けくださるお知り合いはいまして?」


 シモーヌの問いに、クリストフはううむ、と唸る。


「それではわたくしも当てがないか聞いてみますわ。クリストフ様、決して諦めてはなりませんわ」

「ああ、決して諦めない!」


 二人して両手を握り締めて奮起する。

 婚約を解消し、クリストフの運命の相手を妻にするための同盟が、静かに結成された。


 この二人、七年来の婚約者同士である。



 ***


 その夜、トゥルナン侯爵家当主である父の執務室で事の次第を相談することにしたシモーヌ。


「ルコント男爵令嬢だと?」


 顔を真っ赤にした父を見て、「やはり真実の愛を見つけたクリストフ様へ感動されているのだわ」と共感を覚えるシモーヌだったが、それが見当違いであることは明らかだった。


「シモーヌが十七歳になったら結婚する約束だったはずだな。誕生日はもうすぐなのだぞ、シモーヌ」

「ですがクリストフ様は真実の愛、運命のお相手を見つけられたのです! 尊いことですわ」

「おまえが九歳の頃からの婚約だぞ。今さらほかの相手を見つけるのも難しいではないか」


 長年の婚約期間のため、シモーヌとクリストフの婚約は周知の事実であり、妙齢の令息たちにはすでに別の婚約者が決まっている。

 淑女教育も花嫁修業もとうに済ませているシモーヌだ。

 今さら婚約を解消されれば娘は醜聞のど真ん中に放り込まれることになる。

 だが娘のシモーヌはそれをいっこうに意に介している風でもない。

 それどころか嬉しそうですらある。


「真実の愛だと? 婚約者がいながら別の女性に手を出したということだろう」

「真実の愛だから、ですわ。お父さま! 運命には抗えないのです」


 シモーヌは胸の前で指を組み、クリストフを庇うような言葉を発した。そのことも父には理解ができない。

 袖にされたのはおまえのほうなのに、なぜ。

 その言葉をぐっと飲み込む。


「お相手は男爵令嬢。結婚するには家格が釣り合いませんの。お父さまのお知り合いに彼女を養子として受け入れてくださる方はいませんか」

「なぜそこまでしてやらねばならぬ」

「公爵家に嫁がなければならないココ様は、相応の教養と知識が必要です。さすがに今から彼女一人で習得するのは無理でしょう?」

「だからなぜ、それを我らが世話をしてやるのだと聞いてるんだ」

「クリストフ様が真実の愛を見つけたのですよ。物語の中だけのことだと思っていましたが、現実に起こりえるなんて、まるで奇跡です。その奇跡に立ち会うことができたお礼とも言えましょう」


 シモーヌに皮肉も嫌味のつもりも一切ないのが、目のキラメキから見て取れる。純粋に、心から感激している様子だ。

 隣に立つ妻に視線をやると、顎に手を当てて何やら考え込んでいる。


「では、私の姉に頼んでみるのはどうでしょう」

「アデル伯母様ですか? それは素敵ですね」


 シモーヌは迷いなく飛びついた。

 母の姉であるアデル・ド・サルー侯爵夫人。

 淑女教育において特別に厳しいと評判だが、シモーヌは伯母が大好きだった。

 所作は優雅で洗練されており、ウィットに富んだ会話も芸術に造詣が深いのも尊敬している。

 実はロマンス小説が好きという共通の趣味もある。一緒にいると時間を忘れて話し込んでしまう。


 身内というのを差し置いても、そんなサルー侯爵夫人と同等に渡り合えているのはシモーヌくらいなのだが、本人は伯母が優しいからとしかとらえていない。

 シモーヌはさっそく「アデル伯母様にお手紙を書くわ」と自室へと踊るように戻っていった。

 両親は深くため息をつき、娘の今後をどうしようかと頭を悩ませた。



 ***



「さあ、遠慮なんてなさらないで」


 赤毛の彼女、ココ・ルコント男爵令嬢は鼻の頭に薄っすらとそばかすが散っていて、ヘーゼル色の目がぎょっと見開かれている。


 シモーヌはクリストフに頼んで、ココをティータイムの場である公爵家のガゼボに招待してもらった。


「アデル・ド・サルー侯爵夫人は私の伯母ですから、心配いりませんわ」

「え、いや、あの……?」


 ココは不安げにクリストフを見上げるが、クリストフも笑顔で「大丈夫だよ」と囁いている。


「さすがに今すぐに養子にすることはできないと断られましたが、教育については問題ないということです。これで公爵家に嫁ぐ不安も解消されましょう」

「いや、ちょっと待って」

「皇族の方との謁見についての作法から、お茶会や夜会の開催においてどなたを招待するか、どのような席次にするか、便箋はどれを選ぶかといった小さなことまでみっちり教えてもらえますわ。ご安心なさってくださいな」

「あたしそんな、ただキットと一緒にいられるだけで十分なの」


 腰をくねらせてクリストフにしなだれかかるココを、クリストフは鼻の下を伸ばしながら受け止めている。


「まあ、美しい愛ですわ。ですがクリストフ様の妻として隣に立つためにも、その立場を揺るぎないものにするためにも、身につけるべきことはたくさんありますわ」

「いや、だからそんな」

「大丈夫です! 真実の愛で結ばれたお二人ですもの、きっと乗り越えられますわ」


 クリストフはぎゅっとココの肩を抱き寄せ、「二人で頑張ろう」と笑顔を見せている。

 エスコート以外でシモーヌには触れたことなどない彼が、ここまでの愛情表現を見せるとは。

 シモーヌはロマンス小説のなかの出来事のように、二人の姿をうっとりと眺めていた。

 羨ましいなどという感情は、微塵も浮かんでいない。



***



 サルー侯爵夫人の教育に早々に音を上げたココは、幾度となく部屋を脱走し、その都度クリストフに「いかに夫人の教育が厳しいか」を涙ながらに訴えた。

 だがクリストフは「私たちは真実の愛で結ばれたんだ。きっと大丈夫」と同じ言葉を繰り返してばかりで、「そんなに辛いなら勉強なんてしなくていい、ただそばにいてくれるだけでいいんだ」とは言ってくれなかった。


 どうやら、彼の婚約者であるシモーヌが「結婚しても困らないよう、公爵夫人としての立ち居振る舞いを身につけるべき」と唆しているらしい。


 ちょっと美人で頭がいいからとクリストフの婚約者に居座る彼女が妬ましかっただけ。

 長年の婚約者を奪ってやったらさぞ悔しがるだろうとほくそ笑み、計画的にクリストフに近づいた。

 シモーヌにはきっとできないような色を仕掛ければ面白いように釣れた。

 結婚しても小難しいことは誰か使用人などに任せ、クリストフに愛されるだけ、愛されてお金に困らないだけの日々を夢見ていたのに。


「真実の愛」を妄信しているシモーヌにしてやられた!


 ココの心情はそれ一色に染まっている。

 歯ぎしりをし、どうにか面倒な公爵夫人にはシモーヌが収まり、愛人としての立場を確立できないかと画策してみても、どれも失敗に終わった。


 すでにクリストフがシモーヌを捨ててココを妻に迎えると社交界中で噂は持ちきりだ。

 侯爵令嬢であるシモーヌを蹴落とし、クリストフを寝取って公爵夫人の座をぶんどった悪女として白い目で見られている。

 どの茶会でも令嬢たちは笑顔で言葉も柔らかいが、至るところに棘や毒が仕込まれているのが骨身にしみる。

 ここまでがシモーヌの策略なのだとしたら、してやられたのはココのほうだ。


 だがあいにく、シモーヌに裏はない。

 本当に、純粋に「お二人は真実の愛を見つけたのです」と声高に主張している。

 それが婚約者を思う健気な少女と同情を誘い、さらに火に油を注いでいるなど、まったくもって理解していない。

 彼女にあるのは純粋な賛辞。そして羨望のまなざしだけである。


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