月よりも儚く(後編)
ホワン視点です
狼の大群が我がファーファベア国にやってくると聞き、周囲の者は誰も杞憂などなかった。なぜなら、女神ヒツジの再来と言われたモアさまが毛玉要塞で守りを強固にしていたからだ。
従騎士であるホルン兄上は万全な態勢で外敵たちからの危機に備えることができている。報告では返り討ちにした狼達は数知れず。よほどの執着がない限りは、ファーファベア国に押し寄せることはないだろうと報告を受けた。
「よほどの執着か……」
「我らファーファベア国の至宝・モア姫だろう。彼女だけは奪われてはならない」
「分かってはいるが、モア姫の価値は高すぎるな……」
狼達は未だにファーファベア国周辺をうろついている。隙をつけるような場所も時もないのだろうが、心配の種は刈り取っておかねば。
「明朝、従騎士達は城を出発する」
「ホルン兄上、私も行きます」
白い巨体がのそりと動く。
「良いのか? ホワンが居ないとモア姫が悲しむのでは?」
「私が狼に負けるとでも? 私は、昔のか弱きヒツジではないのです」
一瞬躊躇したが、狼共には負けたくないと鼓舞した。だが思惑とは裏腹に、モア姫も共についてくるとしがみつかれる――これで負けは許されない。もしモア姫を奪われても、首だけの存在になったって取り返しにいく気構えだ。
(なんだ、私も同じ穴のムシロか……)
モア姫に執着しているのは自分の方だと、己の中にあるどす黒い感情と向き合っていた。
****
ファーファベアの従騎士達は四方に散った狼の残党狩りに。ホルン兄上とホワン、モア姫は狼王率いる草原へと赴いた。
ホルン兄上は白い巨体に似合わず動きも俊敏で、角の一撃がものすごく重いことを知っている。何匹かをそちらに誘導してもらい、足止めと気をそらせてもらった。
狼王と対峙するとさすがというか、とてつもない俊敏力で噛みつき攻撃を繰り出してくる。それに伴い、こちらも応戦すれば後退を繰り返して間合いを詰めてくる。一進一退、どちらも退かずに爪と牙で、角と頭突きで死闘を続ける。そんなときに、モア姫が羊毛をほのぼのと食していたときだ。
「こいつ……ファーファベア国の女神の娘?」
「捕まえろ!」
一瞬の判断が遅れる。
狼王よりも近くにいた狼二匹に、不覚にも私は噛みつかれてしまった。それとともに二匹の狼にはしっかりと角で頭部を殴打してやって、意識を混濁させてやる。口から泡を吹いて昏倒した。上等だ。
我らヒツジの特徴を知る由もない、間抜けな狼共には丁度いい。倒れたふりをし、その隙をついて一網打尽にしてやろう――そう思った矢先に悲痛な叫び声が聞こえた。モアさまだ。
「ホワン――!」
また泣いている。
いや、今度は泣かせてしまった。
「ホワン、ホワン、死なないで、ホワン……!」
「モア……さま……」
モアさまのために起き上がろうとするとぐりぐりと頭をすり寄せ泣きつかれた。
「わたしは、ホワンのことが好きなんだよ」
「モアさま……!」
「ホワンが死んだら、わたしはどうしたらいいの、一人ぼっちになっちゃうよぅ……」
自らの羊毛に涙のしずくがポタリ、ポタリと零れ落ち、じんわりと染みをつくった。こんなに泣いたりして、目元が赤くなってしまう。叫ぶと喉を痛めて声がかすれてしまい、可愛い声が聴けなくなってしまう。なぜか既視感を感じる……この状態は前にも見たことがあった。
世界で一人ぼっち――そうだ、モアさまはこんな風に毎晩泣いていた。毎夜抱き寄せ、なだめながらあやしつける日々を過ごした。最近ではそのようなことが無くなって、添い寝ができないと不満だったけれど――愛しいモアさまは、常に孤独と戦っている。自分がお救いしたいのだ。それをわからせるにはどうすればいい? 私の声はどうすれば届く。
「ホワンのお嫁さんになりたいよ――!「なれますよ」――え?」
気づいたら即答していた。
この絶好の機会を逃すわけにはいかない。
正気にもどったモア姫は、どんどん顔が赤くなっていく。この可愛い顔をもっと堪能したい。結婚の是非を貰えたばかりか、力はどんどん湧き出るし。勢いづけて私は、巻貝角で残っていた狼と、狼王に向き直った。
「ぐるるぅ……」
狼王とモア姫の視線がぶつかったのか、モア姫の小さな体は恐怖にぶるぶると震えている。今度は奪わせるものかと、足の蹄を深くめり込ませて狼王を力任せに押し退けた。
「ぐぅ、ぐるるぅ……!」
「私の巻貝角を防ぎきれるとお思いか、狼王よ!」
鋭い牙が私の体を貫こうとも。羊毛の深さには程遠く、鋭い爪もモア姫が作られたベストによって急所は外された。狼王が、雄たけびを上げる。
「密猟されてばかりでは、我らファーファベア国民が廃れるというもの――反撃の隙を狙って逃れる確率も増え、今のファーファベア国があるのです!」
母や仲間のヒツジ達が狼達の手に掛かり、羊毛は売られ、亡き者とされた。我らヒツジ達の積年の恨みを晴らす――頭突きと頭上に放り投げて地面に打ち付ければ狼王は脳震盪を起こしていた。
「密猟者は逃がしてはなりません、モアさま!」
彼らの無念を晴らすためにも生け捕りに。そして、自分たちの行った卑劣な行為に報いた制裁を。捕らえた狼達を森深くに置き去りにし、森の魔獣たちに託した。弱者が強者をいたぶるさまは身体的にも苦痛だろう。
ファーファベア国に凱旋するとホルン兄上は職務にもどり、眠った状態のモア姫を背に乗せた状態で国王さまと王妃様のもとへ赴く。
モア姫の気持ちを知った私は、すぐさま結婚したいと願い出る。ただの従者がモア姫をもらい受けられるだろうか――悩みはすぐさま霧散した。
「これからはホワンが私の息子になるのですね。嬉しいわぁ」
「勿体ないお言葉です。王妃さま」
「モアを、幸せにしてやってちょうだい」
「誠心誠意、命ある限りそのつもりです」
満足そうに頷いたヒツジ王妃さまは、ノリノリで花嫁のベールを探しにいった。
「泣かすなよ、ホワン」
「国王さま。もちろんです」
「我が娘ながらモアはお転婆だけどな……ものすごく脆いんだよ。地面にこけたら、起き上がるのにひと苦労でさ。今にも崩れ落ちるやもしれん」
瞼を閉じて、思い出深くに浸るヒツジ国王は、昔のモア姫を思い出しているのだろう。毎晩泣いていたのを、私含めてみなが知っていたことだ。その彼女には今度こそ、幸せになってもらいたいのだろう。
「これからは我ら夫婦となりますので、苦楽を共にし、苦痛をなるべく無くすよう、私が務めさせていただきますから、ご心配には及びません」
「ははは、頼もしい息子だ。これからよろしく頼むよ、ホワン――」
***
結婚式は恙なく執り行われ、両陛下ならびに、臣下一同、ファーファベア国のヒツジ住民から、惜しみない祝福をいただいた。このときの行事の皆で行ったヒツジダンスが忘れられない。お尻をふりふりして可愛さをアピールするのだが、モア姫も私も真似して今日この幸せを堪能した。
初夜で夫婦として契りを交わし、恥ずかしさに身悶えるモア姫とともに夜も更けて寝静まるころ、ヒツジ女神を夢に見る。
白い世界に、水色の球体。モアが「地球?」とつぶやいたから、もしかするとあれが彼女が生きていた世界なのだろうか。以前からモアは異世界の前世があると教えてくれていたので、年相当より大人びて見えるのはそうなのかもしれない。
「二ホンとファーファベア国、どちらが大切ですか」
「え」
「今ならニホンに帰れます。今この機会を逃すと、二ホンにはもう戻れません」
心臓がバクバクと音が鳴る。
モア姫が異世界に帰る?
喉がひゅっと鳴り、モア姫の小さな体に寄り添った。
「ホワン?」
「モア、行かないでほしい」
やっと繋がった愛しいモアと、離れたくない。
「行くなら、私を殺してからにしてほしい」
「行かないよ、ホワンや、みんなを残して帰るわけない!」
モア姫のつぶらな瞳から涙がぽたぽたと零れ落ちる。どうして泣いてるのかと聞いたら、私のせいだと頭突きされた。
「簡単に死ぬとか、殺してとか、言わないでよ! ホワンのそーいうとこ、きらい!」
「モア姫……」
「私にはホワンしかいないのに! 死ぬとか……私の目の前で言わないで……うぅ、バカ、ホワンのバカァ」
消え去りそうなくらいのか細い声でつぶやかれる。そして、女神ヒツジに彼女は宣言した。
「わたしは帰りません。だって、ホワンのいるところが、私の生きてく場所ですもの」
「そう、それがあなたの答えなのですね」
優しい眼差しが、彼女に降り注がれる。
「ファーファベア国で私は幸せになります。ヒツジの女神さま、ご配慮いただきありがとう」
「最善の答えなのかもしれませんね。では、二ホンとこちらの世界を剥離します」
優しくて残酷な言葉だ。
彼女のもう一つの世界と切り離されて、何も不満に思わないのだろうか。私が警戒しつつも、ヒツジ女神の表情を見る。
「何らかの事故に巻き込まれ、彼女がニホンに戻ってしまう軸だけを消し去りました。安心してください、彼女の記憶は消さないし、私は干渉しません」
危惧していた恐れがないことによって、私は安心したのだろう。モア姫の羊毛に顔をうずめて、香りを鼻いっぱいに吸っていた。
「それでも」
「あ……」
「ファーファベア国に来てくれてありがとう、モア。あなたに、数多くの幸せが訪れますように」
目が覚めたら、モア姫は目元を赤くして私の顔をのぞいていた。
「おはよう、ホワン。昨日は誰かさんのせいで、いっぱい泣かされちゃったなぁ」
「うっ……! そ、それは」
あの時の選択は、私にとっては生きるか死ぬかの瀬戸際だったのだ。モア姫に呆れられても仕方ない。
「でも、今日からは違うよね。ホワンも私も、いっぱい笑っていこう。ね!」
「はい、モアさま」
「さま付けはだーめ! モアって言ってよ」
「モア……」
それで許してあげると、口元に可愛いキスをされた。
「ホワン大好き!」
「私は愛してますよ」
どちらの方が好きだなんて、勝負にならないのに。私たちはたわいのないことで笑えるようになっていた。
「ふっ、ぷくくく……! 」
「笑いすぎです、モア」
泣き虫でお転婆でわがまま、野菜嫌いだったモア姫は、周辺国家に轟かせるくらいの最上なるヒツジ姫と呼ばれるようになるのは別のお話――
どうしても完結しない作者が、せっせと毎日書き足してた物語。これで土台もできました。(ムーン行くかは別として;)何はともあれ読了、お疲れさまでございます(*´エ`*)