タイス・スタルト
いらっしゃいませ。ぜひ、読んでいってください。
タイス・スタルト。
彼は一体、何なのだろう。
僕は、怒りと悲しみの狭間で混沌となった胸中のまま、無意味にというか、とにかく彼のいないどこかを目指し、歩幅を精一杯広げて歩いていた。
「てめーがジェイクとかいうはなたれ小僧か」
出会い頭の一言である。
僕は船内を歩き疲れた為、自室へ戻った。すると、そこにいたのがタイスだったのだ。
散々探して見つからなかった人物が、最初にやって来た場所でくつろいでいた。無駄足とまでは言わないが、歩き疲れた分、徒労に終わったような気がした。
それでも、僕は笑みを見せながら挨拶をしようとした。
それが。
「てめーがジェイクとかいうはなたれ小僧か」である。
はなたれ小僧?
ちなみに、誓ってはななど垂らしていなかった。そして、どちらかと言えば、タイスの方が背が低く小僧と呼ぶに相応しかった。
それでも僕は、自分に非があると思い込んでいた。何しろ、あのように言われたのである。
謝ろうとさえしたその時、彼は二言めを発した。
「親に捨てられたんだってな」
謝罪の言葉も凍り付いてしまうような思いがした。
「だけどな、自分だけが不幸なんて思うなよ!」
タイスは、三言目を吐き捨てた。
僕は結局、彼に何も言う事が出来なかった。とにかく、この場を去ろうと、一心に思った。
思い切りドアを叩き付けるように閉め、今に至る。
すれ違った人が誰なのか、男か女かさえわからない。そんな余裕も無く、ただ歩いていた。
けれども、僕は誰かを探していたのかもしれない。このやるせない感情を受け止めてくれる誰かを。
それが誰なのか、気が付いた時には、既にその人物と出会っていた。
不思議と、その人の顔だけは、すぐに頭の中に入ってきた。
「あら、ジェイク。どうしたの? そんな顔して」
微笑みを浮かべていたエミーは、少々僕の表情に驚いたのか、話しながら心配そうな顔に変わった。
と言っても、自分がどんな表情を浮かべていたかなどというのは、当然わからないのだが。
ともかく、僕はそんな彼女の問いには答える事が出来ず、ただ立ち尽くした。
気を使ってくれたのだろうか、彼女は僕を部屋へと招いてくれた。
小さな部屋ではあったが、エミーの私室は小綺麗で、居心地も良さそうだった。
一つしかない窓からは、午後の強い日差しが、レースのカーテンを通して優しく差し込んでいた。
「さぁ、座って」
古い流木同士を繋ぎ合わせ、その上にクッションを敷いたような横長な椅子に、僕は腰掛けた。
エミーは少し斜向いになるベッドに腰掛けて、再び優しく微笑んだ。
僕は何故だかわからないが、妙に安らいでいて、既にいくらか落ち着きを取り戻していた。
「何かあったのなら、話してみて」
何も語らない僕に、エミーはそう促した。
こっくりと頷き、僕はタイスの仕打ちを話した。話しながら気付いた。その時、僕は怒りを無くしていた。代わりに、全ての感情は悲しみに変わっていた。
よく途中で泣き出さなかったものだと思う。
話が終わり、部屋に静けさが戻った。
「あの子ったら」
困ったように眉根を寄せて、彼女は呟いた。
「確かに、タイスは口は悪いわ。でも、あの子もここに来る前は色々あったみたいなの。あっ、もう気付いてると思うけど、私達は血の繋がりの無い家族なのよ」
確かに、僕はその事に薄々気が付いていた。彼らが血の繋がりのある、本当の家族ではないという事に。だが、そんな事が関係しているだろうか。
僕は彼女の言葉に頷いて、返した。
「確かに、僕は自分を不幸な身の上だって思ってたかもしれない。でも……でも、あんなことを言われる筋合いは無い! あいつは性格が良い悪いっていうレベルじゃない、人格に問題がある!」
「うーん」
「僕は、あんな奴と一緒の部屋で寝泊りは御免だ」
「そうね。取り敢えず、今は別の部屋を割り当ててみるわ。何か荷物があったら、持って来てね。その間に部屋を決めておくから」
エミーはそう言うと、ベッドから立ち上がり、僕を残して部屋を出て行った。
「荷物なんて、そんなもの……あ」
バングルを置いてきたのだった。それは、銀で出来た高価なもので、筏に乗せられる際に、母親が僕に持たせてくれた唯一の品だった。
それを大事だと思う事が、未練等ではないと誓いたいが、真正面から否定する程の勇気を僕は持っていない。
しかし、あの部屋に行くとタイスがいる。今度は何を言われるかわかったものではない。
僕は躊躇いながらも、バングルを取りに行く事にした。
エミーの部屋から例の部屋までそれほど離れてはいない。急ぎ足なら一分とかからないだろうが、その時は、重い足取りだった為、それ以上の時間を要した。
さらに扉の前だ。意を決するまで、ここで深呼吸を何度かした。
ドアのノブに手を掛け、開く。何も言わずに黙っていれば、問題は無いだろう。
早歩きで部屋に入る。背中にじっとりと汗をかいていた。
だが、タイスはいなかった。
僕は拍子抜けして、その場に崩れるところだった。
「なんだ、いないのか」
僕は一歩前に足を出した。その時、チャリン、と金属の音が鳴ると共に、何かを踏んだような感触があった。
足を除けて床を見ると、何故かドアの蝶番が落ちていた。振り返り見てみると、ドアの上側が固定されないで、傾き、隙間が空いていた。
この船の傷みの激しさを憂いながら、僕はバングルを持って戻ろうと、左側のベッドの脇にある棚を見た。
しかし、そこにバングルは無かった。
右側の棚も見てみたが、同様だった。
その瞬間、僕の脳裏には、目の前にある現象へと至るまでのシナリオが、自然に作成された。
読んで頂き、ありがとうございました。




