スタルト・ファミリー
本編に入ります。
ゴースト・シップ。幽霊船と、そう訳されることが多い。
けれど、古来より伝説として語られるマリー・セレスト号のように、本当の幽霊が住んでいる幽霊船とは意味が異なる。
ここで使われている『幽霊』とは、そこに在りながら、無きものと同じ、という意味。
つまり、船籍の無い船を『幽霊船』と呼んでいる。
筏で漂っていた僕を拾い上げた船は、そういう船だった。
ゴースト・シップがゴースト・シップとなる理由は、船籍を管理している七海連合に知られては不味い何かがある場合がほとんどで、例えば、禁止薬物の密売や、売り買いが禁じられている動植物及び鉱物の取引を行っているような、犯罪組織の船などだ。
海賊船もゴースト・シップの一つとして数えられるが、これはごく少数な例だ。
して、僕が今いるこの船の場合はどうかというと、例に挙げたような犯罪組織とは事情が異なっていた。
船長曰く、登録する良い機会に巡り会わなかったから、と。
ただ、チャンスが無かったから、船籍を登録せず、ゴースト・シップと呼ばれるようになったとは。
だがしかし、この船(スタルト艇というらしい)、実を言うと、喩えチャンスが在ったとしても船籍の登録は出来そうになかった。
乗組員達は知らなかったらしいのだが、船籍を登録するためには、最低限船長がいなくてはならない。
その船長になるための条件はそれほど厳しくはなく、十八歳以上であればいい。
スタルト艇の船長は、エミー・スタルト。十五歳。たった一つの船長の条件を満たしていないのだ。
同い年の僕が言うのも何だが、まだ子供だ。その上残念なことに、エミーという人は、この船のクルーの中で、最年長ときている。誰も船長になる資格を有していないという事だ。
エミーに助けられ、食事をごちそうされた後、彼女は僕の事をいろいろ聞いてきた。
親に捨てられた僕は、途端に惨めな気持ちになり、言葉がスムーズに出てこなくなった。
訥々と話すそんな僕を、エミーは急かす事もなく、我慢強く話を聞いてくれた。
事情を説明し終えると、彼女は僕に選択を迫った。
「私達の船は、さっきも言ったけど、船籍を登録していないゴースト・シップ。非合法な存在よ。あなたのような人を保護してくれる合法的な施設だってあるんだけど、どうする?」
「どうするって、何を?」
「つまり、この船に残るか、それともそういう施設に行きたいか、っていう事」
正式なクルーになるか、一時のお客さんになるか。そういう事らしい。悩む事などあるだろうか。
しかし、エミーの表情は固く、さっきまでの優しそうな様子は、影を潜めてしまっていた。
僕は、その迫力に気圧され、生唾を飲み込んだ。
「じゃあ、施設に巡り会うまで、世話になるという事で」
「そう」
エミーの瞳が一瞬憂いに染まったように見えたが、単なる気の所為だったのかもしれない。彼女は次の瞬間には、まぶしい程の笑みを顔に浮かべたのだから。
その後、スタルト・ファミリーの紹介へと、場面が移っていった。
この船には自分も含めて、七人の乗組員がいる。
その内、男が四人で、女が三人だ。
正直、全員が一堂に会しての紹介では、覚える事が多すぎて、誰が誰だかわからなかった。
そう言えば、一人席を外しているとエミーが言っていた。そういう人の方が、返って記憶に残っていたりするものだ。
確か、タイスという名の男だった。見た事の無い顔であれば、それが彼なのだろう。
僕は、まだ済ませていない挨拶をする為にタイスを探し、そのついでに船全体の構造を見て回ることにした。
言い方は悪いかもしれないが、この船は基本的にボロボロだ。だが、そのくせやけに広い。七人が暮らすにしても、やはり広いように思える。
そんな船内の全ての部屋が、使用されている訳ではないらしい。正しく言い換えるなら、使用できる訳ではない。
最初に入った部屋が当にそれで、荒れ果てていた。雨漏りどころか、一部、天井から青い空が覗いている部分さえ見られた。
床にも埃が、一級品の絨毯のように厚く降り積もり、まみれていた。それに、所々床板が抜けていたりして、中へ進むのを躊躇わせた。
僕は苦笑いを浮かべながら、その部屋の扉を閉じた。
廊下を歩きながら、過ぎ行く部屋の扉を見送る。何らかに使われている部屋には、ノブに紐で吊り下げられた板があり、部屋の用途が書かれているようだ。
僕は、タイスがいそうな場所として、目星を付けていた。
それは彼の部屋であり、僕の部屋でもある。僕は、タイスと相部屋となった。だからこそ、こうして探し歩いているのだ。
廊下の突き当たり、探していた部屋はあった。ドアノブには、『タイス』と書かれていた。
僕は少し緊張を和らげるために、呼吸を整え、ドアを数回叩いた。
数秒後、もう三度叩く。
いずれも返事は無かった。
僕は意を決して、ノブに手をかけた。
戸は開け放たれ、明るみに出る部屋。誰もいない。
向きが互い違いに設置されたベッドが二つと、その脇にそれぞれ棚がある。その棚には何も置かれてはおらず、あまり意味を成していない。
床は綺麗に掃除されていて、返って生活感が無いように思われた。
せめて、どちらのベッドが自分用のなのかと、近づいて観察してみた。
窓に向かって右側のベッドのシーツには、若干の縒れがあったが、もう片方の扉側にあるベッドのシーツは、皺一つ無く綺麗なままだった。
多分、左側のベッドが僕のなのだろう。
確証は無いまでも、自信はあった。
僕は唯一の荷物と言ってもいい、左腕に着けたバングルを、扉側のベッドに隣接する棚の上に置くと、仕方無しに部屋を出た。
後ろ手に戸を閉めていると、間隔の短い足音が近づいて来た。目を遣ると、小さな女の子がこちらに向かって走って来るところだった。
さっき、エミーに紹介された中にいたのは覚えていたが、名前がよくわからない。
その子はすぐ側で立ち止まり、僕の顔を見上げた。
青いリボンで結われた金色の髪に、透き通るような白い肌。グリーンの瞳が、こちらの目をじっと見ている。
「えっと、君は……」
そう言って僕は、彼女の頭に手を乗せ、しゃがんで視線を同じ高さにする。
すると、彼女は名乗ってから笑った。
「僕、マリアン! にひひ〜」
そうらしい。
「マリアン。この部屋のタイスってどこにいるかわかるか?」
マリアンは、「うーん」と唸りながら、右足のつま先でトントンと床を叩き始めた。
五秒後、彼女は宣誓するような大声で答えた。
「わかんない! にひひ〜」
口角が横いっぱいに広がる笑顔。
「そうか、わかんないか」
そう言うと、僕は立ち上がり、手を振りながらマリアンと別れて、別の場所へ向かった。
船内を無作為に歩いていると、思い付いた事があった。それは、この船がずっと昔、客船だったのではないかという事だ。
そう考えると、こう無駄に広いのも、船室がやたら多いのも納得がいくのだが。
歩きながら僕は、細かい所に意識を傾け、この船がかつて客船だったという証拠を探し始めた。
壁の案内板や、天井に吊るされている非常口のマーク、それに部屋に付けられた通し番号の札。
「やっぱりそうか」
今の独り言に、僕は少し恥ずかしさを覚え、周囲を見回す。誰もいない事を確認すると、胸を撫で下ろした。
安心してふと自分に戻ると、人を探すついでだった船の散策が、今では逆転してメインとなってしまっていた事に気が付いた。
これではいけないと、僕はもう一度、タイスを探すのを優先するよう意識して歩き出した。
少し進んだ所に、プレイング・ルームと書かれた札が見えて来た。ドアのノブには、会議室と書かれた板切がぶら下がっていた。
中から人の声が聞こえてきたと、そう思った瞬間、ドアが勢いよく開け放たれ、僕はそれを避けるために思い切り後ろに跳んだ僕は、背中と後頭部を反対側の壁に激しくぶつけた。
「痛っ!」
痛みにうずくまる。
後頭部を両手で押さえながら、僕は目を開けてドアの方へ視線を遣った。
キョトンとしている女の子が一人、こちらを見下ろしていた。次の瞬間、彼女は顔面蒼白とまではいかないまでも、顔色を青くしながら慌てふためき、謝罪の言葉を連発した。
「ごごご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
僕はゆっくりと立ち上がった。
見ると、さっきの紹介の時にあった顔だった。名前は……やはり思い出せない。
彼女はまだ頭を下げたまま、小刻みに「ごめんなさい」を繰り返している。
「あ、あの、もう謝るのはいいから。勝手に跳んで頭を打ったのこっちなんだ。気にしないでくれ」
すると、その女の子は恐る恐るといった風で顔をゆっくり上げた。目には薄らと涙を溜めていた。
「僕はジェイク」
改めて自己紹介をしたのは、自然に彼女の名前を知るための策だった。
想定通り、彼女は名前を名乗ってくれた。
「あ、私、メアリです」
「ここ、会議室って書いてあるけど……」
「はい。でも、ほとんどあっちの方で使われてます」
と、彼女が微笑みながら指差したのは、『プレイング・ルーム』という札だった。
なるほど。僕が納得して頷いていると、メアリは改まって言った。
「ジェイクさんはどうしたんです?」
「船の散……いや、人探しをしてるんだ」
「あ、私と同じですね。ティム見ませんでした?」
「ティム? ああ」
顔が脳裏に浮かんで来たのは、奇跡と言う程のものではない。ただの偶然と消去法だ。
紹介された人の中で、男だったのはティムともう一人がいるだけだった筈。偶然、こちらの方が記憶の網に引っかかっていただけだ。
「いや、知らないな」
「そうですか。ジェイクさんは誰を?」
「僕が探してるのはタイスだよ。まだ顔を合わせてないから、挨拶でもと」
「へ、へぇ。挨拶……ですか」
メアリが目線を横の方へ逃がしたのを、僕は見逃さなかった。何なんだ、この反応は。
意識の端っこにそんな違和感を引っ掛けながらも、あくまでもついでであるが、聞いてみた。
「そう言えば、この船って、ずっと昔は客船だったんじゃないか?」
メアリの遊泳中だった目線が、こちらに戻って来た。
「あ、わかりました? そうなんですよ」
やはり。
考えが的を得ていた事で、口元が緩むのを抑えるのに僕は苦労させられた。
お互い人探しをしていながら、それぞれに対して有益な情報を持ち合わせていない二人は、何やら気まずい雰囲気の中で別れる事となった。
読んで頂き、ありがとうございました。




