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暮れて惑うは幽霊船  作者: 柚田縁
第三章
22/51

二人の傷と絆

いらっしゃいませ。今回のお話は、2505文字です。ぜひ、読んでいってください。

 エミーの部屋を出ると、すっかり外は暗くなっていた。空には一つ二つと星が瞬いている。

 誰かが出て行ったのか、甲板への扉が開きっぱなしになっていて、そこから吹き込んでくる涼やかな潮風が、少し肌寒くも心地良かった


 僕が甲板に出ると、ちょうど食堂の明かりが消え、すぐにメアリが出てきた。後片付けも終わったのだろう。

 暗い中である上に、背後の船内廊下を照らす光が逆光となって、彼女の方からは僕の顔が見えないようだ。

 かなり近くに来るまで、こちらの顔を窺っていたが、やっとわかるようになったらしい。僕の名を呼んだ。


「ジェイク」


「誰か、こっちに来なかったか?」


「さあ、私食堂にいたけど、気付かなかったわ」


「そうか。ありがとう」


 メアリは船内へと入っていった。彼女の後ろ姿が部屋に消えてくのを見送って、僕は甲板を歩き出した。きっと、扉を開けた誰かが、まだいるに違いないと踏んで。


 ところが、舳先側の操舵室付近や、船尾まで確認したが、誰もいない。単に、誰かが扉を閉ざし忘れたのか。そう考えながら、食堂の前を通りかかった時、食堂内の奥の方に弱い明かりが灯った。

 そこに誰かがいるのは間違い無いが、メアリは気が付かなかったのだろうか。


 僕は、食堂の正面から音を立てないように静々と入っていき、調理室の前で止まった。奥からは、かちゃかちゃと陶器や金属の立てる、乾き澄んでいる物音がしていた。

 そっと調理室の中を覗き込むと、青いリボンで髪を飾った少女が、何やら物色していた。

 僕は彼女に声を掛けず、何をするのか、少しの間見守る事にした。

 マリアンの肩越しに、何かが光ったような気がした。そして、彼女は身震いをしながら、右手をほんの少し上げた。

 嫌な予感がした。


「よせ!」


僕は咄嗟に叫んでいた。

 その声に、ハッとなって振り返るマリアン。彼女の手には、果物ナイフが握られていた。

 僕は飛び込み、その刃物を奪い取った。


「何してるんだ!」


すると、マリアンは言葉を繰り返しながら、泣き崩れた。

繰り返された言葉は、「カイを止めなくちゃ」だった。


 僕はマリアンが泣きやみ、落ち着いてくれるまで、彼女の震える肩を支えていた。

 一体何が起きて、何が起ころうとしているのか。

 こんな小さな子供が、果物ナイフで何をしようとしていたのか。それから、カイの何を止めようとしていたのか。

 思い当たる節は、無くはない。カイが、マリアンと同じ右手の甲に傷を負っていた、あの件だろう。

 マリアンは、カイのその現象が自傷行為であると知っているのだ。


 やがて、マリアンはすっと立ち上がった。

 目と頬が赤くなっているのは、涙の名残だが、それすらも超えて、彼女の目には何かを成そうとする強い意志の力が宿っていた。

 僅か五歳の少女に圧倒され、僕は何も言えなかった。

 マリアンは、凛とした透き通るような声で、僕に言った。


「ジェイク。カイの所に連れてって」


「……わかった」


『連れてって』と言われたものの、カイが今どこでどうしてるのか、僕は知らない。

 カイが行きそうな場所。

 最後に見たのは、エミーの部屋だ。そこで、エミーに問い詰められて部屋を飛び出した。

 そんな彼には、孤独が必要だったかもしれないし、人の温もりが必要だったかもしれない。前者なら、この船全体に無数にあるが、後者なら限られてくる。

 今まで見てきたカイのイメージからすると、こういう時は、誰か側にいてくれる存在を求めるような気がした。

 尤も、僕が見たのは、殆どマリアンと化したカイだった訳なのだが。

 後者という事にして、僕がカイなら、まず姉であるマリアンの所に行くだろう。しかし、彼女はここにいる。孤独に抱かれながら、カイは自室にいるだろうか。


 僕達二人は、マリアンとカイの部屋へ向かった。

 扉を開けると真っ暗な宵闇が、部屋中を覆い尽くす程大きな黒幕のようにのっぺりと広がっていた。

 明かりを点灯させるまでも無く、その部屋に人気は無かった。


「いないね」


ぼそっと、マリアンは呟く。


「ああ」


 次点繰り上げなら、エミーのような気がする。彼女は皆の母親のような存在だ。

 だが、カイがどこかへ行ってしまった原因となっているのだから、これも可能性は薄い。


「カイは特別誰かに懐いていたりしたのか? エミー以外で」


僕はヒントをマリアンに求めた。


「うーん。一人の時はタイスの後を追い掛けたりしていたっけ」


意外な人選だと思った。


「タイスって、私達の入れ替わりをすぐに見抜いちゃうから、あたしは避けてるんだけど、カイはそれを凄いって言ってるの」


「そっか」


今度はタイスがいるであろう、僕の自室に行く。


 入る時、自分の部屋なのだが、何故かノックをしてしまった。如何にもだるそうなタイスの返事があった。

 戸を開けると、タイスが舌打ちをして、いつもの毒を吐き捨てた。


「自分の部屋に入るのに、一々ノックなんぞしてんじゃねーよ」


僕はそんなタイスの言葉を聞かず、部屋を見回してみた。カイの姿は無い。そう思って踵を返そうとした時、ドアの蝶番が外れた。

 こちら側に倒れるドア。マリアンの小さな悲鳴が上がったが、僕がドアを支えたので、彼女には何事も無かった。

 左肩で受け止めていたドア板を、すぐ脇に置いたところ、これまでドアで死角になっていた部屋の左隅に、体操座りをした小さな体があった。


 マリアンは、カイの座っている場所に走り寄っていく。


「カイ!」


「マリアン!」


互いの名を呼び合う姉弟。


「何なんだ?」


「さあな」


 何も知らないタイスは疑問の言葉を投げかけてきたが、今の僕は説明する気力を持ち合わせていなかった。


 マリアンはカイの右手を両手で包み、そこに右の頬をそっとくっ付けた。


「痛かったね」


 そう言うと彼女は、カイの包帯を解き始めた。無抵抗の弟。

 ぽろりと落ちたガーゼの内側には、固まって赤黒くなった血痕が残されていて、痛々しかった。

 マリアンは露わになったカイの傷口を見て、大粒の涙を零すと、小さな舌で一度だけ舐めた。

 滲みるのだろう、カイは顔を歪めたが、すぐに平静を装うように、歯を食いしばった。

 それから、カイの目をまっすぐに見つめて、マリアンはこう言った。


「もう、いいんだよ、カイ。ここにはいい人しかいない。もう、私を守らないでいいんだよ」と。

読んで頂き、ありがとうございました。第三章は次話で終了です。またのお越しをお待ちしております。

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