30.引き金
ギルダとオーウェンを乗せた公用車は、ドームを離れ、外縁地区へ向かっていた。後方では、護衛車両に乗ったテオとリアが一定の距離を保ちながら追従している。
高層ビル群は次第に姿を消し、窓の外には古びた工業施設や物流区画が広がっていく。
オーウェンはジャケットの内側から拳銃を取り出し、安全装置を確認すると、そのままギルダへ差し出す。
「念のため、預かっていてください」
「……?」
ギルダは小さく首を傾げながら受け取った。
「……一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「先ほどの命令です」
ギルダは真っ直ぐ前を見たまま言う。
「大佐に何があっても、許可が出るまで排除行動を取るな――あれは、どういう意味ですか」
「そのままの意味ですよ」
オーウェンは景色から目を離さず、穏やかに答えた。
「代表のマルヴェルですが、もともとは軍向け兵器の開発者だったそうです。創造規制法の施行で事業転換を余儀なくされ、現在の警備ユニット事業へ移ったとか……まあ、我々に対して、あまり友好的とは言えないでしょうね」」
一拍置き、小さく笑う。
「少々、気性の荒い人物だと聞いています」
「でしたら、なおさら事前に排除許可を出しておくべきです。判断が遅れたら、大佐ご自身が危険に晒されます」
オーウェンはようやくギルダへ視線を向けた。
「その時は、僕の判断ミスです。責任は僕が負います」
あまりにも迷いのない返答だった。
ギルダは言葉を失う。しばらく沈黙が続いたあと、オーウェンは目元を軽く押さえた。うっすらと隈が浮かんでいる。
「……すみません。少しだけ眠ります」
苦笑しながらシートへ深く身を預ける。
「到着したら起こしてください」
「……はい」
返事をした頃には、オーウェンはもう目を閉じていた。
創造規制法の施行以降、監査執行局には膨大な案件が押し寄せている。審問、適性評価、法解釈、運用調整――そのほとんどに、主任審問官である彼自身が関わっていた。
だからこそ、今こうして移動時間を睡眠に充てるのも、ある意味では合理的なのだろう。
そのとき、不意に後方車両からテオのテレパスが届いた。
《……オーウェン大佐は?》
ギルダは窓の外へ視線を向けたまま、短く返す。
《寝た》
《えぇ!? この状況で!?》
リアの驚いた声が頭の中に響く。
《すげぇ……よく寝られるなあ》
テオが苦笑混じりに続ける。
《審問が相当立て込んでたからな。本来、この案件だって取締部の担当だ。それを大佐が自ら来てる》
ギルダは小さく息をつく。
《それと……荒事になるかもしれないって》
《うん》
《でも、大佐が許可を出すまで排除するなって言われた》
今度はリアが黙る。
《……それ、難しいなー。その辺、ヘッセン大佐はハッキリしてたからなー》
ギルダは眠るオーウェンへ視線を向ける。穏やかな寝息だけが、静かな車内に小さく響いていた。その寝顔を見つめながら、ギルダはもう一度だけ胸の内で呟く。
《……やっぱり、よく分かんない人だ》
***
マルヴェルの事務所へ足を踏み入れると、重厚な革張りのソファが中央に鎮座していた。壁面には大型ディスプレイが並び、警備ユニットの実績や武装装備の映像が絶えず流れている。その脇には、旧式の軍用装備や装飾用の武器が飾られていた。
客をもてなすというよりも――自分の力を誇示するために置かれているようだった。
部屋の奥では、五十代半ばほどの男が足を組んで待っている。
恰幅のいい体に、首元の太い金鎖。撫でつけた黒髪には白髪が混じり、指にはいくつもの指輪が光る。笑みを浮かべていても、その目だけは獲物を値踏みするように鋭かった。
オーウェンは一歩前へ進み、丁寧に一礼する。
「はじめまして、ミスター・マルヴェル。監査執行局のヘルマン・オーウェンです」
「はいはい、ヘルマン・オーウェン大佐……噂はかねがね。思っていたよりお若い方なんですな」
マルヴェルは気怠げに応じると、値踏みするような視線をオーウェンからギルダへ滑らせた。
「……で、そちらのお嬢さんは?」
「私の補佐官です」
オーウェンは淡々と答える。
ギルダは一歩後ろで微動だにせず立っていた。視線は正面のまま、表情も変えない。
「へぇ……」
マルヴェルは口元だけで笑うと、革張りのソファを手で示した。
「まあ、立ち話もなんです。どうぞ、お掛けください」
***
オーウェンは向かいのソファへ静かに腰を下ろし、ギルダはその一歩後ろへ控えた。
「大佐自ら、こんな場所までご足労いただけるとは、光栄ですよ」
マルヴェルはそう言いながら、どさりとソファへ身を沈める。
「……そういえば、前から気になっていたんですがね。オーウェンというのは、もしかして、あの“オーウェン”ですか?」
「どのオーウェンを想定されているかは分かりかねますが。オスカー・オーウェンのことをであれば、私の曾祖父にあたります」
マルヴェルは目を見開き、次の瞬間、堪えきれないように吹き出した。
「はははっ! そいつは驚いた!」
ソファの背にもたれ、大きく肩を揺らして笑う。
「民間人を救った英雄の血筋が、巡り巡って民間を締め付ける法の番人とは。いやあ……歴史ってのは皮肉が利いてる」
「歴史談義をご希望でしたら、博物館をお勧めします。ここは現場ですので」
マルヴェルの口元が、わずかに歪んだ。
「冷たいねえ。血筋の話はお嫌いでしたか」
オーウェンは答えない。
代わりにホログラムを展開し、一枚の資料を机上へ投影した。
「――本題に入りましょう」
事故報告書が、青白い光を放つ。
「貴社が卸した規格品に関連し、四名が死亡しています。」
マルヴェルは即座に肩をすくめる。
「知らないね。うちは規格どおりの商品を卸しただけだ。使い方を誤った連中の責任まで、面倒は見られんよ」
「三件続いています。偶然では片づけられません」
「事故は事故だ。現場が杜撰だったか、運が悪かっただけだろう。それを全部、元締めの責任にされちゃたまらん」
オーウェンは頷きもしない。
ただ、静かに言葉を置く。
「私は、誰が引き金を引いたかを問題にしているのではありません――誰が、引き金を引かせたかです」
空気が止まる。
マルヴェルは小さく舌打ちすると、苛立ちを紛らわすように机を指先で叩き始めた。
一定だったリズムが、オーウェンの静かな視線を受けるにつれ、わずかに乱れていく。
「生憎だがな、俺たちはあんたらみたいな"お上品な仕事"はしてない。軍だけが得をする創造規制法を正義面して振りかざす……権威の陰に隠れた卑怯者に、説教される筋合いはない」
オーウェンは穏やかな表情を崩さない。
「我々は、引き金を引けば必ず記録が残ります。命令書にも、報告書にも。引くことを許可した者の名も、例外ではありません」
そして、静かに言い切る。
「あなたは、引き金だけを引かせ、自分の名前を消した」
マルヴェルの瞳が、わずかに揺れる。
オーウェンはその変化を見逃さなかった。
「一体どちらが卑怯者か――ご説明しましょうか?」
次の瞬間だった。
マルヴェルが荒々しく立ち上がる。 机上のガラスコップを掴み、そのまま躊躇なく振り抜いた。
鈍い衝撃音。コップはオーウェンの額で砕け、透明な破片が床へ散った。 赤い血が、頬を一本、ゆっくりと伝う。
ギルダの身体が反射で動いた。腰のホルスターから銃を抜き、マルヴェルの胸元へ照準を合わせる。 銃口は寸分の狂いもなく、心臓の中心を捉えていた。
引き金に掛かった指が、わずかに沈む。
「――撃つな!」
オーウェンが鋭く叫ぶ。
額から血を流したまま、一歩も引かずに立っている。
ギルダの指先は、まだ引き金に掛かったままだ。




