7.代替不能
教室に、乾いた電子音が響いていた。
八人の子どもたちは、それぞれの机に座り、教室の前に表示された大型のホログラムから流れる、配信の授業を受けている。
〈――連邦設立直前、初代統合司令官オスカー・オーウェンは、戦争と環境破壊により居住不能となった地域の拡大を受け、生存可能域への住民移動を決断しました〉
ホログラムに、赤く塗られた危険区域と、それを避けるように北へ伸びる移動ルートが表示される。
〈この北方移動により、当時予測されていた民間人被害は約37%低減されています〉
〈英雄、オスカー・オーウェンの決断は、連邦設立後も「危機管理における最優先原則」の一例として――〉
リアは、肘をついて画面をぼんやり眺めていた。
エミリオは、ペンを指でくるくると回している。
数字と事実は、淡々と流れていくだけで、そこに感情の居場所はない。
〈本日の授業は、以上で終了です。次回は社会基盤論・初級。各自、復習を――〉
最後まで聞いた者は、ほとんどいなかった。
「終わったー!つまんねー!」
椅子を蹴るようにして立ち上がったのはリアだった。
椅子自体は床に固定されているのでびくともしないが、気持ちだけは伝わる。
エミリオは机に突っ伏し、ペンを握ったまま呻いた。
「知らない戦争ばっかだし。オレ、早く訓練したい」
「歴史は訓練で戦略を立てる時にも役に立つよ。前にどうなったか知ってたら、同じミスは減らせるでしょ」
ギルダが振り返り、エミリオに向けて言った。
「そういう正論、今は聞いてないの」
エミリオは顔も上げずに返した。
そのとき、教室の奥の扉が静かに開いた。
「おつかれ」
入ってきたのはカイルだった。 淡い光の中で、彼の影が床に細く伸びる。
「おっ、カイルだ」
エミリオがようやく顔を上げる。
「カイルってさ…授業中、なにやってんの?」
リアが当然のように聞く。
カイルは一瞬きょとんとしたあと、少し考えてから答えた。
「……ぼくも、授業を受けてるよ」
「えっ」
「どゆこと?」
リアとエミリオが同時に首をかしげる。
横にいたギルダが、半ば呆れたように口を挟む。
「カイルは、別の部屋で大学レベルの講義を受けてるんだよ」
一秒。
二秒。
「……だい、がく?」
リアの困惑した声が、教室に響く。
ギルダは淡々と続けた。
「義務教育のあとに行く、高度専門教育機関。研究とか専門職のための勉強をするところ」
リアとエミリオは、完全に理解を放棄した顔になった。目の焦点がどこにも合っていない。
「…で、カイルは何してんの?」
再び、リアが訪ねた。
「今は、流体力学を応用した高密度熱エネルギーの圧縮変調を中心に勉強してる。マイクロキャビテーションが超伝導義体の内部アクチュエーターへ与える流脈ストレスの動的解析と、その最適化プロトコルの構築を――」
一文字も脳裏に引っかかることなく、右の耳から左の耳へと言葉が通り抜けていく。リアとエミリオの瞳が、完全に宇宙の彼方へと飛んだ。
「ストップ」
ギルダが慌ててカイルの前に手をかざして遮った。
「カイル、もうちょっとわかりやすく説明して」
カイルは「うーん」と考え込み、言葉を選ぶ。
「機械の設計とか、義体の内部構造とか……そのへんを解析する研究」
「は?」
エミリオが目を丸くした。
「………それと、人体側のほうも。軍医資格を取るための基礎過程を同時にやってる」
「…………」
今度こそ、完全な沈黙。
リアとエミリオは、ぽかんと口を開けたまま固まった。
「……おかしくね?できんのそんなこと?」
リアが真顔で言った。
「数字とか、覚えるの好きなの?」
エミリオが聞く。
「好きでもあるんだけど……必要だから、かな」
「なにに?」
問い返されて、カイルは一瞬だけ言葉に詰まった。
頭の中には、分解図、神経伝達モデル、義体の応力計算、拒絶反応の数値──複雑な情報が同時に浮かんでいる。 けれど、それをそのまま言っても伝わらないことは分かっていた。
「……将来、思うように動けなくなった人とか、義体が壊れた時とか…ちゃんと直せるようになりたいんだ」
「医者ってこと?」
エミリオが聞く。
「それともエンジニア?」
リアが続ける。
カイルは首を振る。
「両方」
リアが、乾いた笑いを漏らした。
「なんだそれ」
エミリオも続く。
「欲張りすぎだろ」
リアが腕を組んで言った。
「よくわかんねーけど、とんでもなく頭よかったんだな、カイルって」
カイルは少しだけ照れたように笑った。
「……サイバーニューロンがちょっと変なふうに噛み合っちゃったみたいで。だから暗記とか計算とか、そのへんはわりと得意なんだ。それに、ヘッセン大尉にも『お前は戦闘を磨くより、研究領域を伸ばした方が軍にとって有用だ』って言われてさ」
「言いそう」 ギルダは納得したように頷いた。
その瞬間、教室の扉が静かに開いた。
予定にない来訪者に、子どもたちは一斉に姿勢を正す。
入ってきたのは、ヘッセンだった。
空気が、わずかに張りつめる。
〈……何? 今日なんか予定あったっけ?〉
〈リア、お前が赤点だったからじゃねーの?〉
〈え、ウソだろ! オレまた追試!?〉
脳内で交わされるテレパスのざわめき。表情は取り繕っていても、思考の波は隠しきれない。ヘッセンは、じろりと鋭い視線を向けた。
「……脳内私語を止めろ。混乱を避けるために、神経同調通信は戦術リンク限定だ」
低く静かな声。
怒鳴っていないのに、逆らえない圧がある。
子どもたちは一斉に背筋を伸ばした。
ヘッセンは教室を見渡し、淡々と告げる。
「お前たちに報告事項がある。現在、連邦議会で草案の策定が進んでいる『創造規制法』についてだ」
緊迫した視線が、子どもたちの間で激しく交錯した。
「この法案の本質は、大量破壊兵器へ転用可能な過剰技術の永久凍結にある。法律が施行されれば――お前たちのような『規格外の高性能サイボーグ』は、例外なく製造および存在を禁止される対象となる」
言葉は淡々としているのに、内容は重い。
「先日、施行までに四、五年はかかると説明したが……恐らくもっと早まることになる」
沈黙に耐えかねたように、カイルが挙手した。
「……どうして、早まるんですか?」
「法案の施行に向けて、監査部が組織改編され“監査執行局”へと昇格する。人員も規模も従来の比ではない。そして、その中枢に――『法務・文書処理の特異点』の様な男がいる」
ヘッセンの眼光が、わずかに細められる。
「法理の穴を埋め、論文を処理する能力が規格外だ。法律という名のシステムを構築させれば、彼の右に出る者はいない。そいつが草案の策定に関わっている以上、法が完成するのが一、二年は早まる」
淡々とした説明なのに、どこか冷たい現実が突きつけられるような感覚があった。
「よって、施行前にアトリの義体更新を行う必要がある。本来は十六歳まで待つ予定だったが、スケジュールを前倒しする」
アトリがわずかに息を呑む。 ヘッセンはその反応を確認しつつ、続けた。
「更新は二年後だ。早急に開発局と連携し、義体の設計を進める。そのための検査が今後増える……覚悟しておけ」
「えーーーっ!」
アトリの声が教室に跳ねた。驚きというより、半分は抗議のような叫びだった。
アトリは九割が義体だ。他の子どもたちと違い、身体のほとんどを一から設計し直す必要がある。二年後──十四歳。他の誰よりも早く、“大人の体”へ移行することになる。
「アトリ、どんまい!」
追試の危機をまぬかれたリアが、ほっとしたようにアトリを茶化した。その軽さは、重い話題を一瞬だけ中和する。
しかし、ギルダだけは凍りついたような表情を崩さなかった。 彼女は鋭い銀光を宿した瞳でヘッセンを見据え、小さく、だが毅然と手を上げる。
「質問してもよろしいですか」
ヘッセンは返事をせず、ただ視線だけで促した。
「……私たちの『実戦投入』は、いつ頃になる予定ですか」
教室の空気が、今度こそ完全に凝固した。あまりに唐突で、かつあまりに生々しい彼女の問いに、子どもたちの脳内通信が一斉に息を呑む。
ヘッセンは感情の失せた声で、淡々と規定を口にした。
「前線での直接戦闘行為への従事は、連邦法において十八歳からと明確に定められている」
「それは――」
ギルダの細い指先が、怒りと焦燥でかすかに震えた。彼女はヘッセンの言葉を遮るように、声音の温度をさらに一段と下げて言い放つ。
「『人間』を対象とした法律ですよね?」
剥き出しの敵意とピリピリとした緊迫感が、冷たい刃のようになってヘッセンへ突きつけられた。
「私たちは人間なんですか」
子どもたちは困惑して互いに視線を交わす。この時点で彼女の怒りと焦燥の正体を、正しく理解できた者はいなかった。
「……お前たちは、まだ戦場に出せる状態ではない」
ヘッセンの声は低く、静かで、しかし容赦がなかった。
「判断は遅く、感情に左右されやすい。無駄な動きも多い。緊張の維持もできていない。今のままでは、初動で死ぬ。十八歳という年齢以前に──お前たちは、戦場に耐えうる完成度に達していない。だから、まだ先だ」
「なんだよ、ギル。怖いのかよ」
エミリオが茶化すように言ったが、ギルダは反応しなかった。 いや──耳に入っていないのだ。
彼女はただ、ヘッセンを見据えていた。鋭い銀光を宿した瞳で、逃げ場のない問いを突きつける。
「法が私たちを“危険技術”として分類するなら、それはつまり── 私たちは“人間”ではなく、“軍事資産”ということですよね?」
ようやく、子どもたちはギルダの懸念の正体に気づいた。彼女が恐れているのは“戦場”そのものではない。自分たちの未来が、人間として保証されていないこと。そして、人間扱いされないまま最高戦力として死地へ送られる未来だった。
ヘッセンは灰色の眼でギルダを見据えたまま、静かに言葉を落とした。
「……この世界は、前に立つ者の力量で、後ろにいる者の生存が決まる」
その声は冷たくはなかった。
ただ、事実をまっすぐに置くような響きだった。
「前に立つ者とは──お前たちだ。後ろにいるのは、連邦で暮らす人々だ。資源も少なく、未来も不確かで……それでも生きようとしている者たちだ」
ギルダの瞳がわずかに揺れる。
ヘッセンは続けた。
「お前たちは、彼らを守るために作られた。軍事資産ではなく──“盾”としてだ。お前たちが前に立つことで、後ろの者が生き残る。それが、この衰退した世界の現実だ」
そして、彼なりの最大限の賛辞を告げる。
「お前たちは、前に立てる能力を有している。それは、連邦にとって希望だ。お前たちの存在は、未来をつなぐためにある」
ヘッセンはゆっくりと視線を巡らせ、九人の顔を一人ひとり確かめるように見渡した。
「だからこそ、代替不能になれ。……そうすれば、少なくとも消耗品にはならない」
しん、と教室が静まり返る。
その静けさの中で、九人は互いに視線を交わし、やがて、揃った声で返事をした。
「はい」
***
ヘッセンが告げた「代替不能」という言葉。
それは、僕たちに向けられた祝福であり、同時に──呪いにもなる。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回で、子ども時代は終了します。




