23.一緒にいる資格
ドームの夜は、都市の冷たい人工光に満ちていた。
ヘリクス・ダイナミクス本社から少し離れた路肩。軍用車両の無機質な車体は、暗がりに潜む獣のように静かに佇んでいる。
車内には、帰路につくはずのリア、テオ、そしてアトリの三人が取り残されていた。ほんの少し先、夜陰に沈む植え込みの影で、オーウェンとギルダが向き合って立ち話をしている。
帰路につく途中、ギルダが突如として「中佐に話がある」と告げ、車を止めさせたのだ。ヘッセン大佐と邂逅してから、彼女の表情は凍りついたままだった。有無を言わせないその張り詰めた気配に押されるようにして、オーウェンとギルダのふたりは外へと出ていった。
残された三人は、互いに肩を寄せ合うようにして、後部座席の遮光ガラスに顔を張り付かせていた。窓の向こうの、声すら届かない距離で行われている密談を、固唾をのんで見守る。
「あーあ……どうすんだよアレ。前のギルに戻っちゃったじゃん。せっかくアトリが来て、ちょっとはマシな空気になってきたのによー」
リアが後頭部をガシガシと掻きむしり、窓の外を睨みつける。その苛立ちの矛先は、先ほどまで邂逅していた同族へと向けられた。
「……あとで、エミリオの野郎、とっちめてやる。余計なことばっかり言いやがって」
「オレも参加させろ。あのアホには一度、監査が必要だ」
普段はリアの無茶を止めるストッパー役のテオも静かに同意した。
アトリは二人の会話を半分聞き流しながら、遠くのギルダを見つめていた。夜の闇に紛れた彼女の背中は、いつもより小さく、ひどく遠い場所にあるように見える。
「アトリ。お前の耳で、中佐とギルが何話してるか聞き取れないか?」
リアが期待を込めた目で覗き込んできた。
アトリは目を閉じ、聴覚神経を集中させ、外の音をフィルタリングしようと試みる。
「うーん……周りの音と混ざっちゃって。ぼそぼそとしか……」
何度か試したが、意味のある言葉として結実する前に、人工的な風や車の行き交う音が混じり、ノイズに消えてしまう。
「いい。二人の話なんだから、聞くな」
テオが、自分自身に言い聞かせるような硬い声で制した。それは、知ってはいけない領域がまだ存在することへの、彼なりの防衛本能だったのかもしれない。
アトリは諦めて、深く背もたれに身を預けた。ふと、自分の右手を見つめた。そこには、先ほどギルダから流れ込んできた、どろりとした記憶の残滓がこびりついている。彼女の奥底に澱んでいた、言葉にならない悲鳴。焼けるような熱。そして、胸を抉るような鋭い痛み。
指先を動かしてみても、その生々しい感覚は消えない。まるで自分の骨が砕かれたような錯覚に、アトリは小さく震えた。
「……ギルダに、何があったの?」
掠れた声が、車内の沈黙に落ちる。
「ギルダの右手……あれ、ヘッセン…大佐に撃たれたの?」
その問いが投げかけられた瞬間、リアとテオが、ゆっくりと視線を交わした。重苦しい沈黙が車内を支配し、空調の作動音だけが妙に大きく響く。やがて、テオが重い口を開いた。
「……ギルの右手を撃ったのは、オレだ」
観念したような、ひどく掠れた声だった。
「え……?」
アトリは言葉を失い、隣に座るテオを凝視した。
「ギルが……ヘッセン大佐に銃を向けたんだ。それを止めるために、オレが撃った」
テオの視線は、窓の外の闇に固定されたまま動かない。その横顔には、消し去ることのできない悔恨が深く刻まれている。
「お前が一回、機能停止してからだいぶ後の話だよ。……もう、4年前だな」
リアが助け船を出すように、努めて軽い口調で続けた。
「ちゃんと説明しなきゃとは思ってたんだけど……」
「いや、いいよ」
アトリは静かに首を振った。
「ぼくの記憶がなくて、話したら混乱すると思ってたんでしょ? みんなが気を使ってくれてたのはわかるから。……ありがとう」
沈み込むテオとリアを気遣うように、アトリは静かに、だが確かな意志を込めて続けた。
「でも、その話は……ギルダから聞かなきゃいけない気がするんだ」
***
アトリたちが乗っている車両から、少し離れた街灯の下。
冷たい夜風がオーウェンとギルダの間に割って入り、衣服を揺らした。
「――アトリ君を連れて帰れない、というのは、どういう意味ですか?」
オーウェンの問いは、事務的な響きの中に、逃げ道を塞ぐような鋭敏さを秘めていた。
「先ほども言った通りです」
ギルダは視線を地面に落としたまま、絞り出すように言葉を繋ぐ。
「私には……アトリと一緒にいる資格がありません」
「君の考える『資格』とは何ですか。居住区の提供ですか?それとも、管理者としての適性ですか?」
「……アトリに、説明していないことがあります」
ギルダの左手が、無意識に自らの右腕――無機質な義手を、強く掴んだ。
「それについて、話したくもありませんし。今後……するつもりもない。そんな卑怯な状態で、あの子と誠実に向き合えるはずがないんです」
重苦しい沈黙が、二人の間に横たわった。オーウェンは眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、夜の闇を溶かすような深い溜息をついた。
「そんなことを言ったら、僕だって君たちに話していないことなんて山ほどありますよ。今回のヘリクスの件だって、僕が握っている氷山の一角にすぎませんし」
オーウェンは突き放すわけでも、慰めるわけでもない、平熱のトーンで続けた。
「君の理屈をそのまま当てはめれば、隠し事だらけの僕には、指定指揮官としての資格など一欠片も存在しないことになりますが?」
オーウェンの淡々とした、しかし逃げ場を塞ぐような問いかけが夜の空気に溶ける。ギルダは自らの右腕を、骨が軋むほど強く抱え込み、耐えかねたように視線を伏せた。
「…………すみません。資格、なんてそれらしい口をききましたが。……結局は、私が苦しいだけなんです」
絞り出すような告白。彼女の震える指先が、服越しに古傷の熱をなぞる。
「もう……4年も経っているのに。大丈夫だと思ってたんです、あの人に会っても。平気な顔をして、職務を遂行できると。……なのに、まだあんな最悪な感情が自分の中にあったなんて。それを、アトリに見られるのが怖い……。あの子がいなかった8年間、私が何をやってきたか……あの子にだけは、知られたくないんです」
「ギルダ君、それが理由なら、アトリ君と離れる許可はできない。物理的な距離をとることは救済ではない。……今の君は、ただ自分から逃げてしまっているだけだ」
オーウェンの瞳が、街灯の光を跳ね返して冷たく、それでいて揺るぎなく光る。
「――君はこれから一生、あの基地に独りでいるつもりですか?」
ギルダが息を呑むのを余所に、オーウェンは慈悲を装うことさえせず、さらに追い打ちをかける。
「君が感じている痛みは正常なものです。そのまま安心して苦しんでください」
そのあまりに『オーウェンらしい』宣告に、ギルダは一瞬呆然とし、やがて自嘲気味に短く息を吐いた。
「……オーウェン中佐に、口で勝てるはずがありませんでした」
降参するように項垂れるギルダ。わずかに肩の力が抜けた彼女に対し、オーウェンは眼鏡の奥の目を少しだけ細め、いつもの不敵な、食えない微笑を浮かべた。
「そうでしょう。百年早いですよ」
夜風が二人の間を吹き抜け、張り詰めていた空気がわずかにほどけた。
***
車内の密室に立ち込めていた重苦しい沈黙を切り裂くように、スライドドアが滑らかな音を立てて開いた。
逆光の中に立つ、一人の影。夜の冷気に銀髪をなびかせ、そこに立っていたのはギルダだった。いつものように少しだけ不器用な笑みを浮かべている。
「お待たせ、帰ろうアトリ」
その声は、アトリの右手に残っていた熱い残痛を、ふっと上書きするように穏やかだった。アトリは、弾かれたように顔を上げた。不安も、疑惑も、飲み込んだ言葉もすべて一旦胸の奥に仕舞い込み、全力の笑顔を彼女に向ける。
「……うん!」
アトリは座席を蹴るようにして、ギルダの待つ夜の中へと一歩を踏み出した。
ヘリクス編は以上で終了です。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
ギルダとアトリはこの後も一緒にいることを選びました。
次回からはアトリが自分たちの過去を探る回になります。
明日は更新お休みして20日に更新します。
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