第9話:診断は「誤飲による毛玉詰まり」
私は、震える子熊の傍らに膝をついた。
その体からは、冬の凍てつく風のような冷たい呪いの気配が立ち上っている。
普通なら、触れるだけで魂が凍りついてしまうような、濃密な死の瘴気。
「ちょっとごめんね。痛いところ、見せてちょうだい」
私は、そっと子熊の膨れ上がったお腹に手を当てた。
手のひらから伝わってきたのは、生き物の温もりではなく、石のように冷たくて硬い感触。
まるで、氷を触っているかのようだった。
「あらあら、カチカチじゃない。これじゃあ、お腹が張って苦しいわね」
私の診断を聞いたなら、王都の幻獣錬金術師たちは目を剥いて驚いたに違いない。
この子が飲み込んだ『影ネズミ』は、内側から呪いを増殖させ、あらゆる生体機能を停止させる「死の宣告」そのもの。
それを「お腹が張っている」などと、まるで毛玉が詰まっている程度の診断。
(でも、理屈は同じだもの。本来流れるべきものが、外から来た不純物でせき止められている……。まさしく毛玉よ。猫の毛球症と同じ)
かつて幻獣保護センターの廃棄処理係として働いていた頃、私は何度もこういう場面を見てきた。
呪いだろうが、毛玉だろうが、私の目にはすべて「溜まった汚れ」に見える。
排水管に詰まった毛玉を取り除くように、適切な手順で掃除してあげれば、命は必ず助かる。
「変なものを拾い食いして、毛玉みたいに詰まっちゃってるのね。研修の時に対処法を習っておいて良かったわ。……ねえ、モップ。この子、うちで『洗浄』してあげましょう」
「わふっ?(マジ?)」
モップは少し困ったように鼻先を鳴らした。
私の腕の中にいる子熊を見つめる彼の瞳には、心配の他に、ほんの少しだけのやきもちの色が混じっている。
いつも自分だけを磨いてくれる私の手が、他所の子を抱き上げているのが、少しだけ面白くないらしい。
「ふふ、大丈夫よ。あなたへのブラッシングを忘れたりしないから。……さあ、急ぎましょう。この汚れは、時間が経つほど落ちにくくなっちゃうもの」
「さ、お店に連れて帰りましょう」
私が立ち上がると、倒れていた親熊がハッとしたように顔を上げた。
彼女はまだ、私という人間を完全に信用したわけではないのだろう。
喉の奥で「グルゥ……」と、我が子を奪われまいとする本能的な警告の音が漏れる。
「――グルル……」
けれど、その警告は、モップの一睨みで霧散した。
モップが低い唸り声を上げ、巨躯を揺らして親熊の前に立ちはだかる。
その瞳に宿るのは、「俺の主の決定に従え。さもなくば頭蓋骨を噛み砕くぞ」という、逃れようのない威圧。
一体相手に村が滅びるレベルの森の王者が、災禍級の終焉の獣を前にして、文字通り蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
やがて、親熊は力なく首を垂れ、私に子熊を託すことを選んだ。
「いい子ね。……モップ、背中を貸してくれる?」
「わふんっ(仕方ないな)」
モップは姿勢を低くし、私たちが乗りやすいようにしてくれた。
私は冷たくなった子熊を大切に抱き抱え、モップの銀色の背中へと跨がる。
空はいつの間にか、燃えるようなオレンジ色の夕焼けに染まり始めていた。
こうして、奇妙な行列が始まった。
夕闇が迫る森の獣道を、白銀の巨狼がゆったりとした足取りで進む。
その背中には、小さな命を抱いた少女。
そしてその後ろを、三メートルを超える赤兜熊が、申し訳なさそうに、トボトボとついてくる。
道中、森の小動物たちがその光景を見て、目を丸くして逃げ出していく。
伝説のフェンリルと、森の王者、赤兜熊。
その二頭を従えている私の姿は、きっと、この森の誰よりも風変わりに見えたことだろう。
(お腹の詰まりを流して、それからお母さんの毛並みも整えてあげなきゃ。あんなに泥だらけだと、病気になっちゃうもの)
私は子熊の背中を優しく撫でながら、これからの『洗浄プラン』を組み立てる。
背中越しに伝わってくるモップの温かさが、私の心を勇気づけてくれた。
オレンジの香りが立ち込める森を抜け、私たちは我が家――『ミヤコ幻獣トリミング店』へと急いだ。




