第35話:王都への旅路、夕映えの街道
六月の長雨が嘘のように上がり、ロシロ村を包む森は、弾けるような夏の生命力に溢れていた。
深い霧が山裾を白く覆う早朝。村の中央広場には、王都へと向かう巨大な商隊の列が、ひしめくように集まっていた。
大きな荷車を引くのは、四歳を迎え、立派に育ったユニコリザードたち。彼らが鼻から吐き出す白い湯気が、朝の光に透けて幻想的な尾を引いている。
八歳になったミヤコは、ジョゼクの隣で背筋をぴんと伸ばしていた。
彼女の白銀の髪には、旅の無事を込めて結った、真っ赤なリボンが結ばれている。
(……この子たちの鱗、昨日の夜に磨き直してよかったわ。朝日を浴びて、こんなにピカピカ)
ミヤコは、自分が手入れを担当した五歳の個体たちを、誇らしげに見渡した。
今日、この子たちはロシロ村という「ゆりかご」を離れ、王都へと納入される。その角には、納入品の証であるジョゼクの名が刻まれた深紅のリボンが、結び直されていた。
「ミヤコ、忘れ物はないか」
ジョゼクが、ミヤコの肩を大きな手で軽く叩いた。
彼は旅のために新調した厚手の革コートを纏い、いつにも増して険しい眼差しを前方の山道に向けていた。
「はい、ジョゼクさん。御香もお掃除道具も、全部カバンに入れました。……でも、ジョゼクさん。王都までは、本当に道が続いているのですか?」
ミヤコの指差す先、霧の向こう側には、まだ見たこともない世界が広がっている。
「ああ。道はどこまでも続いている。けれど、今日からの道には、お前が見たことの無いものもたくさんあるだろう。しっかり自分の足元を見て歩くんだぞ」
「はい。たのしみだなぁ。……さあ、早く行きましょう、ジョゼクさん!」
荷車の車輪が、乾いた石畳の上を軋みながら動き出した。
旅の始まりを告げるその音が、ミヤコの胸の奥を、期待と微かな不安で満たしていった。
森を抜け、数日の旅を続けるうちに、風景は劇的な変化を見せた。
目の前に現れたのは、視界を焼き切るほどに真っ白な石畳がどこまでも続く、広大な『王立街道』だった。
それは王都ノザリアの富と権威を象徴する道。
一点の曇りもなく磨かれた石の連なりは、突き抜けるような群青色の空を映し込み、まるで地上の天の川のように輝いている。
「わあ……。お空の青も、石の白も、とっても綺麗……!」
ミヤコは思わず声を上げた。
道沿いには鮮やかな野花が咲き乱れ、風が吹くたびに、またたきのような光が草原を揺らしている。
彼女は時折、休憩のたびに道端の石を拾い上げ、その清らかさを指先で確かめた。
(村の石よりも、ずっとつるつるしているのね。)
時折通り過ぎる騎士たちの鎧は、太陽を反射して眩しく輝いている。けれど、ジョゼクはその光を見ようとはせず、ただ無言でユニコリザードの手綱を握り続けていた。
その実、ジョゼクが街道を行き交う人々に向ける視線は、冷ややかですらあった。
ミヤコはその理由を尋ねようとしたが、彼の背中が拒否しているような気がして、そっと自分の胸元に手を当てた。
夕闇が静かに街道を呑み込み、空が深い藍色に染まった頃。
商隊は草原の端に陣取り、夜を越すための火を焚いた。
パチパチと薪が爆ぜる音と、ユニコリザードたちの穏やかな寝息。
ミヤコは、一日の埃を落とすために、クロスで丁寧にユニコリザードの鱗を拭っていた。
「ジョゼクさん。王都のお城ってどんなところなんだろう?」
揺れる炎をじっと見つめていたジョゼクが、重い口をゆっくりと開いた。
「……ミヤコ。俺は昔、あの白亜の城で幻獣のお世話をしていたんだ。……『宮廷飼育官』という仕事だ」
ミヤコの手が、ぴたりと止まった。
黄金色の瞳を星のようにまたたかせ、彼女は驚きの声を上げた。
「宮廷飼育官……! ジョゼクさん、やっぱり凄いお掃除の名人だったのね! ……わぁ、もっといっぱい幻獣のお世話ができるの? 私も、いつかなれるかな」
ミヤコは身を乗り出し、期待に満ちた声を弾ませた。
自分の救ってくれた優しい手が、かつて国の一番高い場所で命を磨いていたという事実。それは幼い彼女にとって、どんなお伽噺よりも魅力的な響きを持っていた。
「宮廷飼育官……になりたいか?」
「ええ! もし、なれたら、世界中の幻獣をピカピカにしてあげたいわ! 寂しい子も、汚れて苦しい子も、私が全部助けてあげられるもの」
「……ああ、お前ならなれるだろうな。お前のお掃除は、俺より上手だから」
ジョゼクは微かに微笑んだ。けれど、その微笑みには、深い夜の影が混じっていた。
「だがな、ミヤコ。あそこは光が強すぎるんだ。強すぎる光は、時として誰の手にも届かない深い影を作る。……命を『美しさ』や『強さ』だけで測り、中身が腐っていることに気づかない不潔な連中が、あそこにはたくさんいる」
ジョゼクの言葉は、冷たい雫のようにミヤコの胸に落ちた。
「お前は、そんな場所にいても……汚れた心から、目を逸らさずにいられるか?」
ミヤコは、目を閉じているユニコリザードの温かな背中に手を触れた。
ジョゼクがなぜ王都を離れ、辺境の村で獲卵屋を生業としているのか。その本当の理由は分からなかったけれど、彼女の中にある希望が、静かに熱を帯びるのを感じた。
「大丈夫よ、ジョゼクさん。不潔なものは、私が全部綺麗にしてあげるの」
夜がさらに更け、焚き火の火が小さくなった頃だった。
街道の反対側から、騒がしい足音が近づいてきた。
別の商隊が近くで野営を始めるらしい。けれど、その集団が連れている幻獣の気配を察した瞬間、ミヤコたちの商隊のユニコリザードたちが、一斉に怯えたように身を竦めた。
「ガアァァァッ!!」
闇を切り裂くような、狂暴な咆哮。
現れたのは、数頭の大型ユニコリザードだった。
けれど、その姿を認めた瞬間、ミヤコは背筋に氷を押し当てられたような戦慄を覚えた。
(あの子……ひどく、汚れている感じがする……)
そのユニコリザードたちは、ミヤコたちが丹精込めて育てた子たちとは、放つ空気が決定的に違っていた。
鱗は逆立ち、瞳は濁って真っ赤に充血している。
命の内側から溢れ出すような不潔な何かが、黒い霞のようにその個体を包み込んで見えた。
「ええい、この出来損ないが! さっさと大人しくしろ!」
他商隊の男たちが、太い鞭を振るい、無理やり手綱を引き絞る。
その衝撃で、ユニコリザードの角が「ギチリ」と嫌な音を立てた。
「……ジョゼクさん」
ミヤコが駆け寄ろうとするのを、ジョゼクが強い力で制止した。
「ミヤコ、あいつには近づくな。……あれは、もう限界が近い」
ジョゼクの声は、地底から響くように低く、重たかった。
闇の中で、狂暴なユニコリザードが、繋ぎ柱を壊さんばかりに暴れている。
ミヤコの指先が、無意識に震えていた。
助けてあげたい。けれど、今の自分には、あの濁った闇を洗ってあげるための技術も、魔法も、持ち合わせていない。
夜のしじまを切り裂くように、再び激しい咆哮が響き渡る。
それは、これから待ち受ける「過ちの代償」を予感させる、悲痛な叫びそのものだった。
――――――ଘ(੭ˊウˋ)੭✧あとがき✧――――――
幼少期編、あと少し!
頑張って読んでください!




