表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
12/47

第12話:捨てられた「ヘドロ」を洗ったら国宝級の聖獣でした①


 今回は、ミヤコが王立幻獣保護センターの職員を辞めたすぐ後のお話です。



 かつて地下の廃棄処理場で「欠陥品」と蔑まれていた私、ミヤコの新しい職場は、この爽やかな風が吹き抜ける小さな平屋だ。

 軒先には『ミヤコ幻獣トリミング店』と書かれた手作りの看板。

 そしてその前には、およそ人里離れた山中とは思えないような、異様な光景が広がっていた。


「はい、お次はケルベロスちゃん。左の頭、耳の裏に脂が溜まってますよ?」


「クゥゥ……」


 三つの頭を持つ巨大な地獄の番犬が、私の前で借りてきた猫のように小さくなっている。

 普通の人なら腰を抜かすような凶悪な牙も、今の私にとっては「磨き甲斐のある歯」でしかない。

 私は特製の低刺激シャンプーを泡立て、三つの首を順番にゴシゴシと洗っていく。


 背後では、看板犬のモップ――その正体は世界を喰らう終焉の獣フェンリル・ヴォイド――が、どっしりと座って行列を監視していた。

 並んでいるのは、雲を突くような巨体のワイバーンや、全身から炎を噴き出すフレイムフェニックス。

 彼らはモップの静かな眼光に射抜かれ、震え上がりながら「お座り」と「待ち」を完璧にこなしている。


「うん! 毛並みがふわふわになったわね。お疲れ様。はい、これ、ご褒美のジャーキー」


「ワフッ!」


 三つの頭が同時にジャーキーを頬張り、嬉しそうに尻尾を振って帰っていく。

 その様子を眺めていた次の客、古龍のグラン龍神が「次はワシの番かのう」と首を伸ばした、その時だった。


 静かな森の空気を切り裂くように、けたたましい轟音が響き渡る。

 現れたのは、銀色に輝く最新鋭の魔導装甲車。

 そこから降りてきたのは、真っ白な軍服に身を包み、嫌なほどツンとした香水の匂いを漂わせた男だった。


「ふん。こんな肥溜めのような場所に、不届き者が潜んでいるとはな」


 男は周囲に並ぶ伝説級の幻獣たちを「野良の雑種」を見るような冷淡な目で見下した。

 彼は手にした鑑定モノクル(片眼鏡)を指先で弄びながら、私の方へと歩み寄ってくる。


「私は王都幻獣管理本部、特級監査官のサラザールだ。ミヤコ。貴様の営業は未認可であるとの通報を受けた。直ちにこの土地を接収し、営業を停止せよ」


 サラザールと名乗った男は、私の返事も待たずに部下たちへ合図を送る。

 部下たちが手際よく、トリミング用の桶やブラシを足蹴にしていく。

 私は怒りで指先が震えるのを感じた。


「営業停止ですって? ここは私有地です。それに、認可なら旧センターが壊滅した際に特例で受けたはずですが」


「あのようなゴミ捨て場の言い分など通用せんよ。特級監査官である私の言葉が法だ。……それよりも」


 サラザールの視線が、私の隣で欠伸をしていたモップに止まった。

 彼の瞳に、隠しきれない強欲の色が混じる。


「その銀狼。なかなかの器だ。管理不届きの罰として、本国で没収させてもらう」


「モップは私の家族です。没収なんてさせません」


「黙れ。平民が。……ああ、そうだ。廃棄処理係だったお前に、おあつらえ向きの『仕事』を恵んでやろう」


 サラザールは装甲車の後部座席から、一つの小さな檻を取り出した。

 その中に入っていたのは、生き物かどうかも判別できない、どろどろとしたヘドロの塊だった。


 悪臭が鼻を突き、周囲の木々がその気配だけで枯れていくような、禍々しい呪いの波動。


「王宮を巣食っていたゴミだ。鑑定不能、生存価値なし。本来ならその場で焼却するのだが、王宮内で殺生はご法度だからな。せっかくだ。廃棄係らしく、これを廃棄するのがお前の最後の仕事だ」


 サラザールは笑いながら、檻の底に溜まっていた「汚物」を私の店の前にぶちまけた。

 地面に広がった黒い粘液は、じりじりと土を焼き、異様な音を立てている。


「さあ、せいぜいその汚物と仲良くするがいい。接収の手続きが済むまでにな」


 彼は優雅に背を向け、装甲車の中へと消えていった。




 地面に広がる真っ黒なヘドロ。

 それは、ただの泥ではなかった。

 恨み、辛み、絶望。あらゆる負の感情が魔力と混ざり合い、発酵したような「魔力の澱」。


 高名な魔術師が見れば「致死性の呪い」と叫んで逃げ出すような代物だ。


 けれど、私の目には違って見えた。


「……信じられない。あんなに香水をつけて身なりを整えているのに、ゴミの分別もできないなんて」


 私はサラザールが去った方向を、冷めた目で見つめた。

 接収だの停止だのという言葉より先に、私の脳内を占めたのは「汚れへの怒り」だった。


 こんな頑固そうな油汚れを放置するなんて、可哀想に。


「モップ、ごめんね。少しだけ待っていて。……これは、急いで洗わないと落ちなくなっちゃうわ」


 私はバケツを取り出し、その「ヘドロの塊」を丁寧に掬い上げた。

 指先に触れる感覚は、冷たくて、重い。

 けれどその奥底、真っ黒な闇の核に、微かな「きらめき」が見えた。


「大丈夫。今、綺麗にしてあげるからね」


 私はヘドロを洗い場へと運び、特製の「強力重曹ブレンド・聖水仕立て」の洗剤を投入した。


 生活魔法。

 それはかつて私が地下で磨き続けた、ただ一つの武器。


「うわあ……これはひどい。何層にも重なったこの呪い、まるで換気扇の裏の油汚れみたい」


 私はブラシを手に取り、無心で擦り始めた。

 普通なら魂を侵食されるはずの呪詛が、私の生活魔法の前では「しつこい黒ずみ」として落ちていく。


 シュワシュワと白い泡が立ち、黒い汁が排水溝へと流れていく。

 その汁が流れるたび、山奥の森に清涼な空気が戻ってきた。


「あら。この子、実はこんなに可愛い形をしていたのね」


 汚れが落ちるにつれ、ヘドロの中から「形」が現れてきた。

 それは細い足、しなやかな体、そして頭にある二本の小さな角。

 真っ黒だったそれは、洗剤の泡に包まれて、少しずつ、本来の色を取り戻していく。


「あともう少し。最後は、この特製ホワイトニング・リンスで仕上げよっか」


 私は慈しむように、その小さな体を泡で包み込んだ。




 一方、装甲車の中で優雅にティータイムを楽しんでいたサラザールは、苛立ちを隠せずにいた。

 接収を命じた部下たちが、なぜか作業を進められないでいるのだ。


「何をしている! さっさとあの女を追い出せ!」

「は、監査官。それが……その、周りの『幻獣』どもが、我々を睨んで一歩も通してくれないのです……」


 部下が指差す先には、巨大なドラゴンやフェニックスが、低い唸り声を上げて壁を作っていた。

 彼らはミヤコが「トリミングの邪魔」をされることを何より嫌っているのを知っている。


「ええい、無能め! こうなれば私の真の力を見せてやる!」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ