第12話:捨てられた「ヘドロ」を洗ったら国宝級の聖獣でした①
今回は、ミヤコが王立幻獣保護センターの職員を辞めたすぐ後のお話です。
かつて地下の廃棄処理場で「欠陥品」と蔑まれていた私、ミヤコの新しい職場は、この爽やかな風が吹き抜ける小さな平屋だ。
軒先には『ミヤコ幻獣トリミング店』と書かれた手作りの看板。
そしてその前には、およそ人里離れた山中とは思えないような、異様な光景が広がっていた。
「はい、お次はケルベロスちゃん。左の頭、耳の裏に脂が溜まってますよ?」
「クゥゥ……」
三つの頭を持つ巨大な地獄の番犬が、私の前で借りてきた猫のように小さくなっている。
普通の人なら腰を抜かすような凶悪な牙も、今の私にとっては「磨き甲斐のある歯」でしかない。
私は特製の低刺激シャンプーを泡立て、三つの首を順番にゴシゴシと洗っていく。
背後では、看板犬のモップ――その正体は世界を喰らう終焉の獣フェンリル・ヴォイド――が、どっしりと座って行列を監視していた。
並んでいるのは、雲を突くような巨体のワイバーンや、全身から炎を噴き出すフレイムフェニックス。
彼らはモップの静かな眼光に射抜かれ、震え上がりながら「お座り」と「待ち」を完璧にこなしている。
「うん! 毛並みがふわふわになったわね。お疲れ様。はい、これ、ご褒美のジャーキー」
「ワフッ!」
三つの頭が同時にジャーキーを頬張り、嬉しそうに尻尾を振って帰っていく。
その様子を眺めていた次の客、古龍のグラン龍神が「次はワシの番かのう」と首を伸ばした、その時だった。
静かな森の空気を切り裂くように、けたたましい轟音が響き渡る。
現れたのは、銀色に輝く最新鋭の魔導装甲車。
そこから降りてきたのは、真っ白な軍服に身を包み、嫌なほどツンとした香水の匂いを漂わせた男だった。
「ふん。こんな肥溜めのような場所に、不届き者が潜んでいるとはな」
男は周囲に並ぶ伝説級の幻獣たちを「野良の雑種」を見るような冷淡な目で見下した。
彼は手にした鑑定モノクルを指先で弄びながら、私の方へと歩み寄ってくる。
「私は王都幻獣管理本部、特級監査官のサラザールだ。ミヤコ。貴様の営業は未認可であるとの通報を受けた。直ちにこの土地を接収し、営業を停止せよ」
サラザールと名乗った男は、私の返事も待たずに部下たちへ合図を送る。
部下たちが手際よく、トリミング用の桶やブラシを足蹴にしていく。
私は怒りで指先が震えるのを感じた。
「営業停止ですって? ここは私有地です。それに、認可なら旧センターが壊滅した際に特例で受けたはずですが」
「あのようなゴミ捨て場の言い分など通用せんよ。特級監査官である私の言葉が法だ。……それよりも」
サラザールの視線が、私の隣で欠伸をしていたモップに止まった。
彼の瞳に、隠しきれない強欲の色が混じる。
「その銀狼。なかなかの器だ。管理不届きの罰として、本国で没収させてもらう」
「モップは私の家族です。没収なんてさせません」
「黙れ。平民が。……ああ、そうだ。廃棄処理係だったお前に、おあつらえ向きの『仕事』を恵んでやろう」
サラザールは装甲車の後部座席から、一つの小さな檻を取り出した。
その中に入っていたのは、生き物かどうかも判別できない、どろどろとしたヘドロの塊だった。
悪臭が鼻を突き、周囲の木々がその気配だけで枯れていくような、禍々しい呪いの波動。
「王宮を巣食っていたゴミだ。鑑定不能、生存価値なし。本来ならその場で焼却するのだが、王宮内で殺生はご法度だからな。せっかくだ。廃棄係らしく、これを廃棄するのがお前の最後の仕事だ」
サラザールは笑いながら、檻の底に溜まっていた「汚物」を私の店の前にぶちまけた。
地面に広がった黒い粘液は、じりじりと土を焼き、異様な音を立てている。
「さあ、せいぜいその汚物と仲良くするがいい。接収の手続きが済むまでにな」
彼は優雅に背を向け、装甲車の中へと消えていった。
地面に広がる真っ黒なヘドロ。
それは、ただの泥ではなかった。
恨み、辛み、絶望。あらゆる負の感情が魔力と混ざり合い、発酵したような「魔力の澱」。
高名な魔術師が見れば「致死性の呪い」と叫んで逃げ出すような代物だ。
けれど、私の目には違って見えた。
「……信じられない。あんなに香水をつけて身なりを整えているのに、ゴミの分別もできないなんて」
私はサラザールが去った方向を、冷めた目で見つめた。
接収だの停止だのという言葉より先に、私の脳内を占めたのは「汚れへの怒り」だった。
こんな頑固そうな油汚れを放置するなんて、可哀想に。
「モップ、ごめんね。少しだけ待っていて。……これは、急いで洗わないと落ちなくなっちゃうわ」
私はバケツを取り出し、その「ヘドロの塊」を丁寧に掬い上げた。
指先に触れる感覚は、冷たくて、重い。
けれどその奥底、真っ黒な闇の核に、微かな「きらめき」が見えた。
「大丈夫。今、綺麗にしてあげるからね」
私はヘドロを洗い場へと運び、特製の「強力重曹ブレンド・聖水仕立て」の洗剤を投入した。
生活魔法。
それはかつて私が地下で磨き続けた、ただ一つの武器。
「うわあ……これはひどい。何層にも重なったこの呪い、まるで換気扇の裏の油汚れみたい」
私はブラシを手に取り、無心で擦り始めた。
普通なら魂を侵食されるはずの呪詛が、私の生活魔法の前では「しつこい黒ずみ」として落ちていく。
シュワシュワと白い泡が立ち、黒い汁が排水溝へと流れていく。
その汁が流れるたび、山奥の森に清涼な空気が戻ってきた。
「あら。この子、実はこんなに可愛い形をしていたのね」
汚れが落ちるにつれ、ヘドロの中から「形」が現れてきた。
それは細い足、しなやかな体、そして頭にある二本の小さな角。
真っ黒だったそれは、洗剤の泡に包まれて、少しずつ、本来の色を取り戻していく。
「あともう少し。最後は、この特製ホワイトニング・リンスで仕上げよっか」
私は慈しむように、その小さな体を泡で包み込んだ。
一方、装甲車の中で優雅にティータイムを楽しんでいたサラザールは、苛立ちを隠せずにいた。
接収を命じた部下たちが、なぜか作業を進められないでいるのだ。
「何をしている! さっさとあの女を追い出せ!」
「は、監査官。それが……その、周りの『幻獣』どもが、我々を睨んで一歩も通してくれないのです……」
部下が指差す先には、巨大なドラゴンやフェニックスが、低い唸り声を上げて壁を作っていた。
彼らはミヤコが「トリミングの邪魔」をされることを何より嫌っているのを知っている。
「ええい、無能め! こうなれば私の真の力を見せてやる!」




