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黒猫と戦国のお姫さま  作者: 市川甲斐
4 月と猫
33/55

(5)

 次の日、母が出してくれた朝食をかきこむように食べてから、すぐに城に向かった。その日も凍えるような寒さで、風呂敷に包んだサビ猫の温かさが本当にありがたい。


 城内に入り、梓姫の部屋の障子の前で座って声を掛けた。


「虎政、参上いたしました」


 すると、「入りなさい」と答えが返ってきたので障子を開けた。中では、真穂が黒猫を撫でていて、その脇にはお富という侍女が座っている。


「や……じゃない、姫様。おはようございます」


 初めに風呂敷包みを置いて、正座して頭を下げる。すると、サビ猫が包みから姿を現した。それを見てお富が声を掛ける。


「何じゃ。またその猫を連れて来たのか」


「あっ……姫様の猫と仲が良いので、姫様が連れてくるようにと」


 伊織がそう答えると、真穂もそれに頷いた。


「そうか。それにしても、今日は早くに参ったのう。何か急ぎの用件でもあるのか」


「あの……本日は、姫様にお願いがあります」


「何ですか」


 真穂がこちらを見て尋ねる。


「月の里に行って欲しいのです」


「何じゃと。何故なにゆえじゃ」


 お富が不思議そうに尋ねてきた。


「あの……この前、月の里の長に会った時、変わったことがあればすぐに来るように言われていたのです。昨日の蓮姫様のことも報告したうえで、姫様が直接行ってお話しすれば、長からも何か知恵をいただけるのではないかと」


 サビ猫と相談して作った理由を言うと、お富は腕を組んだ。


「ううむ……しかし、里は寒き場所ゆえ、まだ雪も残っておろう。姫様をお連れするのはどうであろうか」


 お富はそれだけ言って黙ってしまったが、それ以上反論するだけの理由もなさそうだ。すると、真穂の隣にいた黒猫が答えた。


『そうであった。このようなことになってしまった理由を志月殿に聞いてみるつもりであったが、蓮姫のことですっかり忘れておったわ』


 すると、隣に座ったサビ猫も黒猫の方を向いて答えた。


『姫様。某は、スミに何か不思議なことがあれば連絡するようにと、かねてから月の里の長より伺っておりました。きっと、何かご助言をいただけるのではないかと』


『うむ。そうじゃな。行ってみようか、真穂』


 そう言う黒猫の方を見て真穂も頷いた。


「いいでしょう。参りましょうか」



 ******



 真穂と伊織は、お富と侍女二人を連れて城を出た。連れて行った方が体が温まると言って、真穂は黒猫を、伊織もサビ猫を抱えている。薄日で気温も上がらない中、日陰に残っている霜をバリバリと踏む草履から、その冷たさが伝わってくる。


(昔の人は強かったんだな)


 同行する女性たちが黙って歩いているのを見て思う。真穂も黙って歩いている。彼女がこの世界でどれほど過ごしているのかまだ聞いていないが、少なくとも草履で歩くことには慣れているように思えた。


 どれくらい歩いていたのだろうか。時計がないので分からないが、サビ猫の案内に従って歩いていくと、いつの間にか薄暗い山道に入っていた。


「本当にこっちでいいの?」


 不安になり小声でサビ猫に尋ねるが、『大丈夫じゃ』と言うだけだ。すると、木の影から着物姿の女性が突然現れた。ドキッとして立ち止まる。


「だ、誰だ」


「迎えの者にございます。里長さとおさの命によりお待ちしておりました。梓姫様。このような所まで足を運んでいただき、かたじけなき次第でございます」


 すると後ろからお富がホッとした様子で前に進み出た。


「長も我らが来ることをご存知であったか」


「はい。では参りましょう」


 そう言って振り返る時、女性は伊織の方をチラッと見た。笑う訳でもなく、その無表情の視線にドキッとする。


(まさか……もうバレたか)


 そう思ったが、すぐに女性は「私の後ろをついて来てください」と言って、振り返って林の中の道を進んでいった。


 その先は狭く細い道で、とにかくその女性に続いて歩いていった。木々に遮られて光が届かない地面には、まだ凍っている所や雪が残っている所もある。女性は軽々とした足取りでどんどん先に進み、方向感覚も無くなった頃、ようやく視界が開けた。


 そこは正に隠れ里といった感じだった。森を切り開いた場所に、数軒だけ木造の家屋があり、何人かが忙しなく動き回っている姿が見えた。案内の女性はその入口近くにあるまだ新しそうな木造家屋に一行を案内していく。


「こちらで少しお待ちください」


 そこには囲炉裏に火がつけられていて、室内はかなり暖かかった。草履を脱いで、真穂とお富が囲炉裏の一方に座り、その反対側に侍女と伊織が座った。


 しばらくして、二人の女性が茶碗を持って入ってきた。彼女らはそれを皆の前に置いていく。


「茶でございます。お待ちの間、どうぞお召しあがりくださいませ」


 丁寧な仕草で各自の前に茶碗を置いて、二人は再び部屋を出ていく。真穂が先に茶碗を持ってそれを飲んだので、他の者もすぐにそれに口を付けた。


「美味しいですね」


 真穂が言った。伊織も飲んでみたが、やや苦い抹茶という感じで、そこまで美味しいとは思えなかった。しかし他の者たちは、一様に美味しそうに飲んでいる。


 それからしばらく経った頃だった。座っていた侍女の一人が体をふらつかせたと思うと、そのまま横になってしまった。驚いて声を掛けようとすると、続いてもう一人の者も意識を失ったように倒れる。最後に、お富も「うう」と言いながら横に倒れてしまった。


 それは、あっという間の出来事だった。そして、座っているのは、真穂と伊織だけになった。


「な、何? みんなどうしたんだろう?」


 伊織が慌てて倒れている一人の体を揺らしてみる。すると、脇に座っていたサビ猫がお富に近寄った。


『寝ているだけじゃ。息はしておる』


 確かに、よく見ると目は閉じているが、体は大きく息をしている。すると、入口の引き戸が開いて、ここに案内してきた女性が現れた。


「お待たせいたしました。里長のところにご案内いたします」



 案内の女性についていくと、木造家屋の裏側の道に入り、そこから再び林の中に入っていく。やや不安になったが、しばらくして木造の朱色の鳥居がそこにあった。そこをくぐり歩いていくと、林が切り開かれて明るくなった場所に、木造の建物が目の前に現れた。


(ここは……この前の、真月神社?)


 元の世界で、竹内菜月たちに連れられて、姉の海未と梓姫とともにやって来たあの神社のように思えた。ただ、この前来た時の方が建物自体は新しそうに見える。どこかで建て替えたのだろうか。


 案内人の女性はその建物の入口の引き戸を開けて中に入るように促した。すると、神棚のような前に座っていた人間がこちらを振り向いた。まだ若そうな、髪の長い女性だ。


「ようこそ、いらっしゃいました」


 言いながら彼女は立ち上がった。真っ白な着物に身を包んだその女性は、身長は伊織より小さいが、大きな瞳を持ち、目に見えない力でこちらを見通しているかのような強い視線を感じた。


「どうぞ、こちらににお座りください。……お初、ありがとう」


 彼女がそう言うと、案内してきた女性は頭を下げてそこから去った。黒猫を抱いた真穂に続いて、サビ猫を抱いた伊織もその後ろから草履を脱いで建物の中に入っていく。そして、女性の正面に真穂が座り、伊織はその右斜め後ろの辺りに座った。


「志月様。お久しぶりです」


 真穂が言うと、彼女はニコッとした。どうやら彼女たちは面識があるらしい。


「はい。真穂殿もお変わりなく」


「お富たちは大丈夫なのですか」


「ええ。申し訳ありませぬ。ゆっくりあなた達とお話ししたかったものですから、少し眠ってもらうことにしました。目を覚ましたら、配下の者が城までご案内いたしますので、ご安心を。城に戻れば、ここに来たことすら忘れてしまうでしょう」


 そう言うと、志月と呼ばれたその里長の女性は、伊織の方に顔を向け、ゆっくりと頷いた。


「それにしても、これはなかなか……ややこしい事になってきたようですね」


 そう言って彼女はため息をつく。すると、真穂が抱いていた黒猫が床の上にトンと降り立った。


『志月殿。私の声が聞こえるか』


 そう言って志月を見上げる黒猫を、彼女はじっと見つめてから頷いた。


「もちろん。本物の梓姫様でございますね」


 ハッとした。彼女には分かっている。すると、伊織の抱えていたサビ猫も腕から床に飛び降りて、伊織の前に座った。


『志月様。お願いでございます。どうか我らを元の姿に戻す方策をお教えくださいませ』


 サビ猫が頭を下げると、志月は再び大きくため息をついた。


「まさか、虎政殿まで猫の姿になってしまうとは思いませんでした。……それにしても、こうしてみると、虎政殿もなかなか愛らしい猫でございますね」


 フフフ、と志月が笑う。すると黒猫も振り返って笑った。


『笑いごとではございませぬ。今はこの武田家の存亡がかかった大事な時。しかしながら、このような姿では、殿のために働くこともできませぬ』


「そうですね……。ところで、こちらの虎政殿の姿をしているお方は、名を何と申すのですか」


「僕は……内藤伊織と言います」


「伊織殿……。するとやはり、真穂殿と同じように、この先の世界からやって来たのですか」


「はい。僕達は、その……友達でした」


 そう答えると、志月は「なるほど」と頷いてから、今度は黒猫の方を向いた。


「しかし、どうしてずっと先の世界に生きる人間たちと姫様たちが入れ替わってしまったのでしょうね。しかも、姫様も虎政殿も猫の姿になってしまわれた。……全く不可思議なことでございます」


 志月はそこで立ち上がり、脇にあった火鉢の上の土瓶のようなものを手に取り、それを傾けて茶碗に注いでいく。そして彼女は、それを真穂と伊織の前に差し出した。「薬草茶です」と言って志月は自分の茶碗にも注いで一口飲む。濃い緑色に染まった茶碗の中を覗いてから、伊織も恐る恐る一口飲んでみた。予想通り、苦みが口の中に広がっていったが、不思議にもすぐにその苦さが消えていくような気がした。


「それにしても姫様は、これまで一体どうしておられたのですか」


『そうじゃ。まずは、それを話さねばならぬな』


 黒猫は志月の方を見上げて答えた。

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